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このコーナーは、皆さんが作っていくコーナーです。「つづきの歴史」に関係することなら何でも投稿して下さい
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都筑区で一番標高が高いところ、低いところ
星の王子
2023年5月14日(日) 12:45
修正
都筑区で一番標高が高いところ、低いところ - つみかさね
http://3yokohama.hatenablog.jp/entry/2020/01/13/161621
一番高いところは川和富士(人工物)74mで低いところは川向町ポンプ場付近5m自然物では牛久保町川崎市境付近71mです。一覧表を作ってみました。またマピオンのキョリ測を使って標高と距離も図ってみました。意外と高いところが烏山公園、川和高校などでした。この間カシミール3Dを使って標高などを求めましたが、マピオンも使い勝手が良い地図です。初心者向きで誰でも使えると思います。
マピオンで探した標高などのデータ(共有)です。
都筑区境尾根ルート
http://is.gd/6dij5V
緑区境川ルート
http://is.gd/hj4XCQ
荏田南町境尾根ルート
http://is.gd/SF1eUu
2020年1月13日(月)
柚木の丘(通称)
星の王子
2023年5月14日(日) 12:37
修正
柚木の丘(通称)
都筑区の荏田東町、荏田南町(元は荏田町)の境界線に小高い丘があります。ここは弥生時代からの遺跡も残り、人々が住んでいたところです。ちょっとした丘の上で、日当たりもよく、住むのにはいいかも、現在はちょっと上り下りがきつい場所です。このあたりは柚木(ゆのき)という古くからの地名も残り、地元の人は柚木で判る場所です。それで誰が言うともなく柚木の丘と呼んでいます。(標高57.1m)都筑区の中でも高い所になります。毎年正月の初日の出を拝むのに大勢の人が集まるところです。
2019年9月18日(水)
そういえば山田村(やまたむら)
星の王子
2023年5月14日(日) 11:51
修正
そういえば山田村(やまたむら)というのは古文書などでよく出てきますが、都筑区には南山田、北山田だけになって山田はなくなってしまいました。何故なんでしょう??
2019年5月14日(火)
縄文海進、南堀貝塚について
星の王子
2023年5月14日(日) 11:48
修正
縄文海進、南堀貝塚について
場所
南堀貝塚(標高約43.1m国土地理院)
横浜市都筑区南山田三丁目40付近
サレジオ学園のグランドが見える高い台一帯あたり。
現在の標高が43.1mの所に貝塚があるとすれば海はどこまで陸地に食い込んでいたか?縄文海進と呼ばれる地図がいろいろ提案されています。この話は考古学会だけではなく、地殻変動、地震学など総合的な学問が必要ですが、これからの研究に期待したいところです。
葛飾区史|第1章 葛飾の風土と自然(なども)
http://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/1-2-2-26-1.html
最近の技術を使って細かく水深の設定が出来るシミュレーションツール
「浸水シミュレーション」
http://gsj-seamless.jp/labs/elev/shinsui.html
これはよく出来ていますし、綺麗です。でももう少し拡大したところが欲しい。
海面上昇シミュレーションシステム - 産総研
https://gbank.gsj.jp/sealevel/
これもそれなりに出来ているけれど、詳細な地名が良くわからない。
Flood Maps
http://flood.firetree.net/
これは東日本大震災以前から存在していて非常に使いやすい「浸水シミュレーション」ツールです。かなり拡大できるので詳細な地点が見やすいです。ただ「NASA」のデータを使っているので精度はいまひとつ、作者が言っています。
写真は深度+20m、+30m、+40mの場合の浸水度合です。関東地方の図があるのは+40mの時です。
2019年5月14日(火)
横浜市で唯一の大名家米倉家について
星の王子
2023年5月14日(日) 11:37
修正
横浜市で唯一の大名家米倉家について
3,4年前から相州金沢藩の目付日記をずっと読んできました。その中に武田信玄公という記述が出てきて、米倉家は旧武田信玄の家来ということが判った。米倉宗継と言う人が天正三年(1575)長篠の戦で戦死した。
その後養子が後を継ぎ、武田遺臣とともに家康にしたがった。米倉家の家禄も少なく、大名でもなかった。中興の祖として米倉昌尹が急に出世したようだ。理由は不明。
米倉昌尹は48歳で600石を相続、書院番士から毎年のように加増されて60歳では10,000石の大名に、死ぬ年63歳で15,000石。
綱吉によほど気に入られたのか?凄い大出世です。世襲の時代、こんなことは例外だったのでしょうね。普通にはなかったのでは?このことに興味を持ちました。なぜだろう!
寛永14(1637) 米倉丹後守昌尹生まれる
貞享1(1684) 昌尹(48):米倉家相続(600石),書院番士
元禄3(1690) 昌尹(54):500石加増,従五位下丹後守
元禄5(1692) 昌尹(56):側衆,1000石加増
元禄7(1694) 昌尹(58):1000石加増
元禄8(1695) 昌尹(59):1000石加増
元禄9(1696) 昌尹(60):若年寄,1万石
元禄12(1699) 昌尹(63):下野皆川1万5000石転封,卒
武家家伝_米倉氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yonekura.html
米倉家系図
http://office-morioka.com/myoji/genealogy/kinsei/yonekura.html
米倉家
http://himuka.blue.coocan.jp/daimyou/yonekura.htm
2020年9月5日(土)
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