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 「星谷の池辺富士」参詣記   - shiba -  2023年4月17日(月) 11:27
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「新池辺富士」を記したので、タイトルを敢えて「星谷の池辺富士」としました。
新池辺富士からの帰りに、星谷の池辺富士を尋ねて来ました。

この富士塚の呼び名にはいろいろあり、星谷富士、元富士、池辺富士遺跡等の名で書かれた地図や書物を見かけます。
また、新池辺富士にも「池辺富士跡」と書かれた地図もあります。

池辺町星谷の農地基盤整備をされた農業専用区域内に、星谷池辺富士と呼ばれる富士塚はあります。
今にも朽ち落ちそうな鳥居の下をくぐり、蜘蛛の巣を払いながら最近修復された20数段の階段を上ると、頂上にはご神体がない寛政8年(1796)建立の石作りの祠が祭られています。
富士塚ですから浅間神社碑でしょう。毎年6月1日には、池辺の人々が塚の草刈りを行ない、清掃後礼拝し、飲食を共にしているとのことです。
頂上に立つと360度の良い眺めです。目の前に都筑清掃工場の煙突がそびえています。
生憎湿度の高い天候で、本物の富士は拝めませんでした。

《写真説明・左より》?@朽ち落ちそうな鳥居のある登り口 ?A塚の頂上?B頂上にある石作り祠、お供え物の痕跡がある 
?C地元の人が「星谷の元富士」と呼ぶ池辺富士。
ふくちゃん投稿の写真より頂上の木々が大きくなっている。

2011年9月9日(金)  作成

 まぼろしの「新池辺富士」探索記   - shiba -  2023年4月17日(月) 11:12
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何かの書物で「都田小学校のすぐ近くに新池辺富士と呼ばれる富士塚がある」を読み、聞いたことないがホント?とばかりに、探しに行ってきました。

ホントありました。正しくは現物未確認のため「あるらしい」ですが。
都田中学校の横の路を登ると、ここも横浜?と思うほどの深山に迷い込んだような場所に出ます。
その左側の2〜3mの崖上、常緑樹や杉・檜の大木と孟宗竹が生い茂った奥にやや盛り上がった所がかいま見える。
そこに正体不明の建造物が藪の隙間から僅かに見え、岡本太郎のオブジェとでも表現出来そうな人工物体。
富士塚に岡本太郎風のオブジェでもなかろうと帰る途中、畑仕事中の農家の人に会い尋ねてみた。
その人曰く「そこは子供の頃から池辺富士と呼んでおり、子供の頃はその付近で良く遊んだものだ。
ここらには、川和富士、星ヶ谷富士、ここの池辺富士の3ヶ所の富士塚がある」との話で、「新池辺富士」は現存し、場所もほぼ間違いない。
後日、重装備で出直し藪をかき分け登ってみたいと思っている。
この界隈には1世紀もタイムスリップしたかのような風景の場所もありました。

《写真説明・左より》?@都田中学横を登った所の左側がその場所 ?A木々の隙間から
正体不明の物体が見える ?B新池辺富士がある辺りの遠景、中央の一段高く尖った木の下がそれか?
(池辺町八所谷戸)?C鎌倉古道まがいの切通し道が残る風景(池辺町防方)

2011年9月9日(金) 作成

 鎌田正清と鉄製品   ふくちゃん  2023年4月17日(月) 10:21
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ハラ様
「鎌田正清」と「西ノ谷遺跡」の関係は鋭いご指摘だと思います。
「一〇世紀には大溝が掘られ、竪穴形の鍛冶工房(かじこうぼう)が形成されます。
鍛冶工房は、次第に大規模となり、一一世紀には掘立柱建物へと変化し、一二世紀には長大な掘立柱建物を主とした屋敷が形成されます」と報告されていますので、時代も合いますね。
ますます大河ドラマ「平清盛」の目が離せませんね!

平将門は平家の一族でしょうが、確かに清盛とは離れています。
家系図では、清盛から遡ると、忠盛ー正盛ー正衝ー正度ー維衝ー貞盛の従兄弟にようやく将門が登場します。桓武天皇から4代目ですね。確かにまだ「源平合戦」の「前史」です。

2012年2月13日(月)  作成

 イコノベ  ハラ  2023年4月17日(月) 10:19
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イコノベですが、200年ほど前の文書にも「井子延」や「伊子野辺」
といった表記があります。「池鍋」と書いた書状もありますので、音はイコノベだったようです。
鎌倉期にはすでに池辺郷だったようです。川越市に池辺という地名がありますが、こちらも「イコノベ」なんだそうです。池ですが、宗忠寺の前の説のほかに、現ららぽーとのところにあったという説があり、後者のほうがデカイし説得力がありそうです。

2012年2月9日(木) 作成

 鎌田正清が武具制作にも関与?  ハラ  2023年4月17日(月) 10:17
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「鎌田正清」が南山田周辺に居たとすると、見逃せないのが「西ノ谷遺跡(中川小の北)」でしょうか。
ここでは10〜12世紀にかけて、この地域では珍しい鉄製品→「武具(鎧の部品)」が制作されていたことが判明しています。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/news/news7-4.html

関東武士団への武具供給地のひとつで、製品は陸路や海路で輸送でしょうね。「鎌田正清」が管理監督していたのかも、と考えることも出来ます。遺跡や遺物との関係性がわかれば、単なる伝説ではないる気もいたしますが、果たして?

2012年2月8日(水) 作成

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