浄土宗 光照山隆香院 宗忠寺 神奈川県横浜市都筑区池辺町2704
創建 小笠原和泉守宗忠 文禄3年(1594) 本尊 阿弥陀如来像
光照山隆香院宗忠寺。浄土宗鎮西派。本尊は阿弥陀如来像。「緑区史資料編第一巻」
由来 町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起(碑) 古代より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。 私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」とも称しました。宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います、
また古くは都筑郡池ノ辺村といい、明治二十二年の市町村制施行の際に、都田村大字池ノ辺となりました。時代を経て昭和十四年に横浜市編入時に池辺町は新設されました。 宗忠寺は、元犬山城主、小笠原和泉守宗忠が、徳川幕府の命令により江戸を守る要所として陣屋を池辺村に置いたことから、また父伊予守長隆のために建立したとも伝えられています。この陣屋は、宗忠寺から西に二百メートル位離れた大陣屋、小陣屋の屋号で呼ばれる島村家、志田家に偲ばれます。 江戸時代、池辺村は門奈、仲根、北村など旗本の知行地のほか、増上寺下、宗忠寺領七石などの記録があります。
−−−−−−−−−− 江戸時代初期、松平忠吉(徳川家康の四男)の筆頭家老・小笠原宗忠の陣屋があった。現在、小字「大陣屋・小陣屋」と称している場所で、街道から少し離れた枝道・裏手にあたるものの、遺構は残っていない。陣屋の西150mには、明治時代まで「殿様寺」と呼ばれた宗忠寺がある。同寺は、小笠原宗忠が父の菩提を弔うために建立したという(『日本城郭大系』)。
交通 「横浜ららぽーと」から徒歩10分
2014年1月19日(日)作成 |
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