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 池辺富士を確認しました  ふくちゃん  2023年4月17日(月) 11:52
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ハラさん、shibaさん
情報有難うございました。
池辺(いこのべ)の第2冨士(新冨士)を確認してきました!
健在でした。しかし、急な坂で危険ですので、登山はお薦めできません。

ハラさんの情報によるグランさんの元の家も確認しました。このにフェリスにあった風車が回っていたことを想像すると、都筑の歴史の懐の深さを感じます。お墓もお参りしました。
都田小学校の郷土資料室にある写真と1936年度卒業生の描いた「思い出の旧校舎」の絵にも風車が描かれていると聞いたので、今度行ってみてきます。

2012年2月13日(月)  作成

 Re;池辺富士  ハラ  2023年4月17日(月) 11:44
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星谷の「元富士」は今の倍以上の高さで、スゾが長く優美だったそうです。
港北NT以前の土地改良で低くなったという話です。「新富士」は写真の位置の三角点のところです。先達のKさん宅にあった資料などは長王寺に納めたようです。

ついでに言いますと、「新富士」の登り口の右にあるYさん宅には明治中期にデンマーク人のグランさんが住んでいて、フェリスにあった風車を移築して使用していたとか。風車は失われましたが、当時の井戸は健在。グランさんのお墓も長王寺にございます。

「風車の回る異人館(金子勤/講談社出版センター/1994)」に詳しいほか、「横浜をめぐる七つの物語(大西比呂志/フェリスブックス/2007)」にも紹介されてます。
こちらに画像も
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/s-isan_090320.html

あとは島村抱月の妻の実家とかもありますね。

2012年2月6日(月)  作成

   ふくちゃん  2023年4月17日(月) 11:41
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shibaさん、
川和の八幡神社いある旧川和富士の「浅間大神建立記念碑」等のレポート有難うございました。
このような歴史が、ちゃんと現在も残っていることが「都筑」はスゴイ街だと思います。

ところで、細かいところを1点だけ確認です。
「旧川和富士は、・・・延人員4,120人、・・・かけて明治20年(1887)4月に完成した。」とありますが、延べ人数は記録によると、3,120人と聞いています。原典は明治24年の山開きに年にまとめられたと言われる「「冨士塚建造扣(ひかえ)」だと思われます。その部分を、添付します。

2011年9月23日(金)  作成

 旧川和富士の浅間大神宮を訪ねる   - shiba -  2023年4月17日(月) 11:34
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川和富士は元々は現在の川和高校のすぐ裏(現見花山6番付近)にあったもので、昭和49年8月から始まった港北ニュータウン開発の陰に、昭和53年消滅した。
この川和富士消滅を惜しんだ地元の人々から保存の陳情が出され、昭和61年2代目川和富士が再現され、その公園が川和富士公園と名付けられた。

旧川和富士は、万延元年(1860)4月1日に着工し、延人員4,120人、27年の歳月をかけて明治20年(1887)4月に完成した。
当時、富士塚の頂上に祭られていた浅間大神宮石碑、富士塚浅間大神建立記念碑や道祖神、庚申塔などは、現在川和八幡宮境内に遷され、本殿の右後部に鎮座召されている。
「写真説明・左より」
1.川和八幡宮(正面拝殿の右側後部に石碑群あり)
2.旧川和富士にあった浅間大神宮ほかの石碑群(芝笹に覆われている)
3.浅間大神宮石碑(天保14年卯11月吉日の銘あり)(1844年)
4.浅間大神建立記念碑(明治24年4月15日建立・川和中の銘あり)
台座左右面には、それぞれ川和村世話人・池辺村世話人と思われる十数名の名前が刻まれ、台座背面には、「昭和52年7月吉日ニュータウン建設工事の為、富士塚より遷す」の彫あり。

2011年9月18日(日)  作成

 「池辺富士」は2つ(元富士と新富士)  ふくちゃん  2023年4月17日(月) 11:31
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shibaさん、
池辺「新富士」のレポート有難うございました。
私も10年ほど前に尋ねて行ったときは、20mほど道を登っていったところにちょっと気がつかない登山口があり、それで頂上に行くと、防災のサイレン塔がありました。
そして三角点がばっちりと残っており、感激しました。今でもあると思います。近いうちに確かめてみます。

出典は今手元にないので確認できませんが、「元富士」(shibaさんが言われる「星谷の池辺富士」)は、寛政8年(1796年)建設。新富士は明治時代に富士講のために建設。
しかし元富士を粗末にしたので新富士の近くの家に不幸がおこったりしたそうです。そこで、6月1日に浅間様を村全体で祭るようになった、というのを読んだことがあります。

なお、都筑区内の富士塚は、他に、山田富士な現存です。川和富士と茅ヶ崎富士は残念ながら開発で消滅してしまいますた。川和富士公園内のミニ富士(写真)は、旧川和富士が無くなるので、新たに建設したものです。

2011年9月11日(日) 作成

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