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 荏田宿(えだじゅく)  星の王子  2023年5月15日(月) 22:12
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荏田宿(えだじゅく)は、かつて武蔵国都筑郡荏田村(現・神奈川県横浜市青葉区荏田町)にあり、大山道(矢倉沢往還)が通っていた宿場
旅籠屋をはじめ、さまざまな商人・職人が居住し、合計二十数軒の家屋が連なっていたが、1894年(明治27年)の火災により焼失した

江戸時代後期の荏田宿の概念図が「都筑の民俗」(1989)という 本に載っていた。明治の火災で失われているので今ではかなり違っていると思うが、参考まで
2019年4月6日(土)


 新元号が「令和」に決まりました  星の王子  2023年5月15日(月) 22:10
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新元号「令和(れいわ)」

新元号が「令和」に決まりました。その出典の文書を探していみました。
出典について「『万葉集』巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文」と説明した。「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かおら)す」から引用した。春の月の美しさと空気の爽やかさを表現した文章。

万葉集略解 20巻. [7] - 国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2576188?tocOpened=1
万葉集略解5巻24ページに出典の文章があります。

2019年4月1日(月)





 和泉」をの「和」は読まない。何故?  星の王子  2023年5月15日(月) 22:05
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「和泉」をの「和」は読まない。何故?

国名で「和泉」の「和」は読まない。本来は泉だった。和同6年(713年)の詔(諸国郡郷名著好字令)によって2字にしたもの。紀伊(きい)ももともと「木国(きのくに)」だったのを詔の2字縛りにしたがって「紀伊国」にしたそうです。

「伊達」と書いて「ダテ」とあたりまえに読んでいるが、あらためて考えるとどうも納得がいかない。そう、「伊」の音は発音されていない。伊達政宗がローマ法王に宛てた文書にはローマ字で「Idate Masamune」と描かれていたそうで、伊達氏は「いだて」を称していたそうです。
2019年3月26日(火)

 伊右衛門(いえもん)の右はなぜ読まない  星の王子  2023年5月15日(月) 22:04
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伊右衛門(いえもん)の右はなぜ読まない

古文書を読んでいると「右」を読まない場合が多くあります。伝説の盗賊で有名な石川五右衛門も五右衛門と書いて(ごえもん)と読みます。右は読まない。英語でいえばknowやknifeの「k」みたいな感じで読まない。日本語の漢字にも黙字(表記しても読まない字)はありますね。

ところが江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作家近松門左衛門は門左衛門(もんざえもん)と左も発音します。〇左衛門は(〇さえもん)ではなく、(〇ざえもん)と濁る場合が多いらしい。

〇右衛門は(まるうえもん)ではなく、(〇えもん)と読む場合が多い。右衛門の頭に文字が付いたときは右が発音されない。

「五右衛門」はゴエモンですが、右が語頭にある「右衛門督」はウエモンノカミと発音します
頭に文字を付けた場合「右衛門」の部分は「〜うえもん」ではなく「〜えもん」と読む場合が多い

ところで○○衛門の名前の由来
昔の人の名前の「衛門」。もともと平安時代の役所の名前で「衛門府」というのがありました。衛門府はその名の通り朝廷の門を守衛していて、「右衛門府」と「左衛門府」がありました。

衛門府を退官した人が証として自分の名前に「右衛門」や「左衛門」を入れて通称として名乗りだし、さらに子供の名前に入れるのが流行しました。その後、時代が経つにつれて先祖が「衛門府」出身であるかにかかわらず人名として使われるようになったそうです。悪名高い大盗賊の石川五右衛門ももとをたどると由緒正しい名前だったわけです。

もともと右衛門の「衛」は「え」じゃなくて「ゑ」だったワ行の「ゑ(we)」で「うぇ」と発音していた。

古文書は残っていても読みはなかなか残っていないので、江戸時代などの読みなどは古典落語などが参考になるそうです。

2019年3月25日(月)

 都筑と都築  星の王子  2023年5月15日(月) 22:01
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都筑区のつづきというのは現在では都筑としていますが、江戸時代の古文書で都筑と都築の2つが使われていたようです。荏田宿柏屋(旅館)青木家文書に残る。荏田村の百姓が失踪したときに増上寺宛に出した文書に「都筑」と「都築」がありました。時期は寛政10年。そのほかにもあると思いますが、自分の目で見たのはこれが初めてです。

2019年3月16日(土)


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