ふくちゃんさん、言われる通り東急田園都市線開通に伴う青葉区等東急沿線の開発、その後の港北ニュータウン開発等で、鎌倉古道はその多くが開発の名の下に消え去りました。 そのため、鎌倉古道中の道のルートを特定するのが困難で諸説に分かれているのも無理からぬことのようです。
都筑区内の鎌倉古道中の道は、鶴見川の精進橋を渡り川和町→川和八幡宮前→川和高校北側→荏田町真福寺前に至り、旧荏田宿あたりから大山道(矢倉沢往還*)とほぼ同一ルートで鷺沼→溝の口方面へ北上していることはほぼ確かですが、ずたずたにに切られ、また拡張されたりで、個別には確定できないのが実情なのでしょう。
古道の現状はさておき、文治5年7月鎌倉を発した源頼朝率いる28万の大軍が、奥州平定のため平泉を目指して軍勢を進めたのがこの鎌倉古道中の道です。 また、鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞が、鎌倉へ攻め上がるのに軍勢を引き連れ通ったのも、この中の道です。 歴史書をひもとき、いにしえの800年前に思いを馳せながら鎌倉古道を歩いて見ると、強者どもの夢のあとを感じさせられます。
*矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)は、江戸時代に整備された街道で、江戸赤坂門から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結び、大山参詣道や東海道の脇往還として機能していました。 現在は、ほぼこの旧往還に沿って国道246号が通っています。
2009年10月8日(木) 作成
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