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 横浜吉田新田と吉田甚兵衛 横浜開港前史  星の王子  2023年5月16日(火) 22:21
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書名:横浜吉田新田と吉田甚兵衛 横浜開港前史
著者:斉藤 司
発行所:岩田書院
発行年月日:2017/2
ページ:252頁
定価:3200円+税

横浜市の小学校では4年生の教科書には吉田新田が掲載されていて、必ず学ぶことになっている。したがって横浜市民のうち若い人たちは殆どが知っているはずなのですが、よそ者には全く知らなかった。昨年まで横浜歴史博物館の学芸員だった斉藤司さん(現開港資料館主任調査研究員)が吉田新田について、過去の古文書、古地図など駆使して吉田新田の詳細な検証をまとめた本です。

江戸時代のはじめ吉田勘兵衛は、慶長16(1611)年に摂津国能勢郡(大阪府能勢町)に生まれ、寛永11(1634)年に江戸へ出て、本材木町(東京都中央区日本橋)に住み材木・石材商を営みました。材木・石材商で儲けた資金で吉田勘兵衛が大岡川河口部の新田開発を行った。1人の商人だけで立ち向かえる事業ではなかったと見えて、詳しく調べていくと主役は吉田勘兵衛、それ以外に「惣中間」という仲間達と開発資金を調達して行っている。そして開発が終わってからその仲間達から開発した新田を全て買い戻し、吉田家の新田として、小作人に貸し与え、小作料を取るという運営を行っている。小作人は近隣の村から通って耕す人、この新田に屋敷地を借りて家を建てて住んで耕す人の2種類、それどれ借用に関する契約。掟などを決めている。また吉田家は吉田勘兵衛の息子達子孫が2つの吉田家としてこの新田を支配していくことになる。この子孫が吉田興産という会社(長者町)を経営している、このあたりのいきさつは吉田家に残る古文書によって詳細に述べてある。

またこの新田は干拓方式、周りに高い堤を築いてその中を干上がらす、そこに大岡川から新田内に水路を自然の傾斜を利用して張り巡らすというやり方。埋め立ててしまうと水路を確保出来ない。したがって海水面より下になってしまう場合がある。洪水とか津波などで塩水が入ってくることがある。したがって田圃としてはあまり良田とはいえない感じ、でもここの石高は1000石。そして神奈川湊を使って大消費地江戸にお米を運ぶには便利なところ。

その後元禄の地震、津波によって大きな被害を被る。ここで住んでいた世帯の9割が全壊。その後宝永の富士山の噴火による火山灰の降灰によって大岡川が埋まってしまう。この被害に長い長い年月をかけて復旧、復興する。(17年位かかった)新田の高い堤は5.4m、それ以上の津波が来たようだ。東京湾側の石垣が1km以上にわたって崩壊。当然液状化現象によって家の全壊。

大岡川をメンテナンスをするために近隣の村々と共同で組合を設立して、川にたまる土砂などを取る作業とか?州になってしまったところを再掘削するとか?人工的に作った川であるが故にいろいろとメンテナンスが必要。そして時に大自然の大雨、洪水、海の逆流などの対策を行いながらの運営を行ってきている。

その後大岡川の堆積物で土砂がたまったところを利用して横浜新田(現中華街)の開発、中村川、大岡川の水路変更、横浜開港直前の太田屋新田の開発と吉田新田の歴史を詳しく説明している。吉田新田については殆ど知らなかった。でもこの本でかなり詳しく判った。実家のすぐ近くの摂津国能勢郡(大阪府能勢町)出身の吉田勘兵衛良信にもちょっと興味を持った。やっぱり「よそ者、馬鹿者、若者」が横浜を変えたのですね。本年(2017)は、吉田新田が完成した寛文7年(1667)から、350周年にあたる。

吉田新田、横浜新田、太田屋新田が田圃としてではなく、幕府の開港に向けた選択肢として、「江戸、神奈川湊には外国人を入れたくない。」神奈川湊といえばいえなくもない、横浜の地を選ぶことができたのもこの新田の果たした役割が大きかったのでは?干拓で開拓した田畑を埋め立てて関内、関外として発展していった。そこには広大な土地があった。横浜が明治維新から急速に発展することが出来たバックボーンに位置づけられる。横浜の歴史を考えるとき忘れてはいけない吉田新田を覚えておきたい。関東大震災で横浜が壊滅的に破壊されたとき吉田家の膨大な古文書、資料類が焼かれてしまった。そしてその関東大震災の後吉田勘兵衛良信に従五位が追贈されている。その準備のために吉田家、関係者が吉田新田の歴史などを調査した資料類は残っていた。本書もその資料などもかなり参考にしてある。一般向きでは無いけれど、よくわかるよくまとまった本です。

序 章 近代都市横浜の前史として
第1章 吉田勘兵衛の事跡と顕彰
第1節 吉田家文書と吉田勘兵衛の顕彰活動
第2節 吉田勘兵衛の生涯と事跡
   −「贈従五位吉田勘兵衛翁事跡」を中心に−
第2章 「開発前図」と「開発図」
第1節 「開発前図」を読む −新田開発以前の入海と沿岸の村々−
第2節 「開発図」を読む −吉田新田の構造−
第3章 吉田新田の開発と経営
第1節 開発資金の調達 −「惣中間」の人々−
第2節 耕作の開始と農民の移住
第3節 耕地の分割と吉田新田の「完成」
第4節 吉田勘兵衛による耕地集積
第5節 吉田家による新田経営
第4章 一八世紀〜一九世紀半ばの新田開発
第1節 元禄一六年の地震・津波と宝永四年砂降りの被害
第2節 池上幸豊による開発計画と横浜新田
第3節 太田屋新田の開発
終 章 横浜開港と吉田新田開発の意義

館報「開港のひろば」第132号 横浜開港資料館
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/132/02.html
2017年5月8日(月)

 王禅寺村御用留  星の王子  2023年5月16日(火) 22:17
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書名:王禅寺村御用留 文久四甲子年
  研鑽之足跡第四集
著者:青葉区古文書之会/編
発行所:青葉区古文書之会
発行日:2013/6
ページ:150頁
定価:非売品

書名:王禅寺村御用留 慶応二丙寅年
  研鑽之足跡第五集
著者:青葉区古文書之会/編
発行所:青葉区古文書之会
発行日:2016/7
ページ:168頁
定価:非売品

「御用留」は、江戸時代、領主や代官からの触達などの「御用」が記された廻状を、名主など村役人が書き留めた帳簿です。「御用」の他に、村からの上申文書が控えとして記録されているものもある。文久四甲子年(1864年)、慶応二丙寅年(1866年)の「御用留」を青葉区古文書之会が読み解いたものです。

王禅寺村は現在の川崎市麻生区の村です。近世初期は二代将軍秀忠の正室、崇源院(お江)の化粧料だったと伝えられる。その後1633年に増上寺領御霊屋料になった。383石(旧高旧領取調帳)とある。

上に原文、下に釈文の構成で原文通りの文字数、改行されているので、非常にわかりやすく作ってある。両資料とも「王禅寺村 名主 志村文右衛門」の御用留となっている。幕末の伝達系統、指示系統などが良くわかる資料です。王禅寺村だけではなく、近隣の内容もあって興味深い。
2017年7月30日(日)

 武蔵国都筑郡村明細帳  星の王子  2023年5月16日(火) 22:15
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書名:武蔵国都筑郡村明細帳
   上中下鉄村 荏田村、恩田村、大棚村、大棚山田村、下谷本村
著者:青葉区古文書之会
発行所:青葉区古文書之会
発行年月日:2003/3
ページ:91頁
定価:非売品

村明細帳とは、主に江戸時代、代官の交代時や大名の移封等のおりに、村役人に命じて村勢の明細を報告させた帳簿です。内容は村高・反別・家数・人別・名産・諸役・寺社・往還・山林・河川・用水・農閑の副業等の詳細に記し、村役人が連署(印)して領主、代官等に提出していた。武蔵国都筑郡の内青葉区に相当する部分及び都筑区の一部の上中下鉄村 荏田村、恩田村、大棚村、大棚山田村、下谷本村の村明細帳です。旧高旧領取調帳より詳しい。
江戸末期、明治1~3年の資料を青葉区古文書之会が釈文にしたものです。原文の古文書と釈文が併記してありわかりやすい資料です。

旧高旧領取調帳
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param
2017年7月20日(木)

 増上寺領  星の王子  2023年5月16日(火) 22:14
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徳川将軍家の菩提寺として芝の増上寺、上野の寛永寺がありますが、どちらも浄土宗のお寺で歴代の将軍の墓所があります。増上寺領として橘樹郡、都筑郡にもありますが、全体で1万3,763石。上野の寛永寺(7870石)位

ちなみに
大和・東大寺(二千石)
大和・西大寺(三百石)
紀伊・高野山(二万石)
大和・興福寺・春日大社(二万石)
筑前・安楽寺天満宮〈太宰府天満宮〉(二千石)
日光山東照宮・大献院廟領一万三千六百石
他の神社、寺に比べて大きな石高となっています。

増上寺領
番号 旧郡名  旧村名   旧領名   旧高
1  豊島郡 大久保新田 増上寺領   6.0
2  豊島郡 巣鴨村   増上寺領  128.9
3  荏原郡 堤方村   増上寺領  351.2
4  荏原郡 馬込村   増上寺領  388.0
5  荏原郡 雪ヶ谷村  増上寺領    3.4
6  荏原郡 中延村   増上寺領  102.2
7  荏原郡 上目黒村  増上寺領    1.1
8  荏原郡 久ヶ原村  増上寺領   156.4
9  荏原郡 等々力村  増上寺領   251.2
10 荏原郡 碑文谷村  増上寺領   20.1
11 荏原郡 御園村   増上寺領   101.2
12 荏原郡 下目黒村  増上寺領   253.6
13 荏原郡 中目黒村  増上寺領   245.2
14 荏原郡 蓮沼村   増上寺領   230.0
15 荏原郡 徳持村   増上寺領   341.4
16 荏原郡 衾村    増上寺領   377.2
17 荏原郡 上北沢村  増上寺領   430.5
18 橘樹郡 師岡村   増上寺領   402.8
19 橘樹郡 上末吉村  増上寺領   471.2
20 橘樹郡 箕輪村   増上寺領   258.9
21 橘樹郡 小向村   増上寺領   175.3
22 橘樹郡 鹿島田村  増上寺領   516.1
23 橘樹郡 塚越村   増上寺領   234.8
24 橘樹郡 古川村   増上寺領    79.3
25 橘樹郡 戸手村   増上寺領   409.1
26 橘樹郡 明津村   増上寺領    73.0
27 橘樹郡 小倉村   増上寺領    96.1
28 橘樹郡 今井村   増上寺領   269.0
29 橘樹郡 市ノ坪村  増上寺領   299.3
30 橘樹郡 北加瀬村  増上寺領   340.9
31 橘樹郡 下平間村  増上寺領   157.2
32 橘樹郡 駒林村   増上寺領   224.7
33 橘樹郡 小杉村   増上寺領   464.8
34 橘樹郡 上小田中村 増上寺領   285.6
35 橘樹郡 下小田中村 増上寺領   333.6
36 橘樹郡 新作村   増上寺領   183.6
37 橘樹郡 上野川村  増上寺領   498.8
38 橘樹郡 下野川村  増上寺領   133.4
39 橘樹郡 坂戸村   増上寺領   331.2
40 橘樹郡 宿河原村  増上寺領   270.3
41 都筑郡 石川村   増上寺領   922.0
42 都筑郡 茅ヶ崎村  増上寺領   293.8
43 都筑郡 東方村   増上寺領   247.5
44 都筑郡 池辺村   増上寺領   303.2
45 都筑郡 川和村   増上寺領   578.4
46 都筑郡 荏田村   増上寺領  1,138.5
47 都筑郡 王禅寺村  増上寺領   383.1
             合計   13,763.2

旧高旧領取調帳
http://www. rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param
2017年7月5日(水)

 江戸商人・職人のデータベース  星の王子  2023年5月16日(火) 22:10
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江戸商人・職人のデータベース

江戸買物独案内
江戸買物独案内とは、1824年(文政7年)に大坂で出版された江戸市内の買い物や飲食関連の商店約2600店を紹介するガイドブックである。3巻から成り、上巻と下巻は薬種問屋等の商店名をイロハ順で掲載されている。3巻目(飲食の部)には飲食関係の商店についてが掲載されている。いずれも、商品や商店の名前の他、屋号や住所が書かれている。

諸問屋名前帳
嘉永4年(1851)諸間屋再興以来の諸問屋および商工組合の連名簿で、各その住所を記し実印を捺している。 廃業者または他人に譲渡したもの、新規加入のあった時には書加えて幕末にまでおよんでいる。 記載されたものは株の所有者であるが、必ずしも直接経営者とは限らない。 諸問屋仲間のすべてが網羅されていないので注意する必要がある。

国立国会図書館デジタルコレクション - 江戸買物独案内 2巻付1巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8369320?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクション - 諸問屋名前帳 57巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2548722?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/

江戸商人・職人データベースの検索
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/edos/db_param
2017年7月1日(土)


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