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 佐江戸誌  星の王子  2023年4月19日(水) 20:51
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書名:佐江戸誌 
著者:佐江戸誌編集刊行委員会
発行所:横浜市緑区佐江戸町内会
発行年月日:1984/3/31
ページ:246頁
定価:非売品

この本は佐江戸町内会が昭和56年に刊行した地元佐江戸の歴史を調査研究した本です。旧都筑郡の中では比較的平坦な土地が多く田も豊かだった地域ですが、鶴見川の氾濫で洪水の被害は毎年のようにあって、その洪水のお陰で土地が肥えるという地域で、川和、池辺、佐江戸、青砥(鶴見川の堰)などが隣近所づきあいのあった地域で、小学校なども都田小学校を共同で建設した。一時小学校があったが、今でも佐江戸には小学校はない。また中学校も。何故だろう!

明治に横浜線は開通していたが、この地域からは中山駅、小机駅は遠かった。鴨居駅の完成は昭和37年、その後松下通信工業の進出、田畑が工場地帯に変わって農家が激減したのも早かった。大正・昭和の生活の細々したことが古老の話として書いてある。なかなか面白い。こういう地域の歴史本というのは専門家が書く訳ではないので、アカデミックなところは少ないが、その地に生きてきた人々の情熱、その地に対する愛着などが滲み出てきて興味深く読める。

港北ニュータウンの開発が発表されてから、この地域の人々がどのようにこの開発を受け入れ賛成、協力していったかなど旨く纏められていると思う。加賀原などは佐江戸の内だった。

2014年1月16日(木)作成

 私説杉山神社考 都筑の歴史を語る  星の王子  2023年4月19日(水) 20:49
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書名:私説杉山神社考 都筑の歴史を語る 
著者:飯田 俊郎
発行所:不二出版企画
発行年月日:2009/8/12
ページ:243頁
定価:880円税込み

港北ニュータウンの開発によって、この地域の遺跡の全貌が見えてきた。そんな考古学的資料も駆使して、「杉山神社考」戸倉英太郎著を見直し、著者独自の視点で杉山神社の歴史を鳥瞰した本です。鶴見川流域、特に早渕川流域に点々と残る杉山神社の謎に迫っています。杉山神社の神は誰か?式内社は何処か?日本武尊は何故相模原から旧都筑郡を通らず、走水(横須賀)から上総の国渡ったのか?杉山神社を祀った一族の支配する地域が旧都筑にあった。今の東海道側(加P古墳・川崎市)などは屯倉が置かれ大和の支配が進んでいた。ところが旧都筑地区は屯倉が置かれていない地域で別の勢力があった。

その勢力を考えるとき、縄文晩期の華蔵台(けしょうだい)遺跡(荏田南)、古墳時代の矢崎山遺跡(荏田東)などの存在が見えてくる。また茅ヶ崎杉山神社の忌部氏の系図の存在などが参考になると。
阿波の忌部氏が紀州から麻を求めて上総に海からやって来た。その後船で鶴見川流域にやって来た。その地が早渕川流域だったのではないか?そして麻をもとめて麻生(川崎市)まで一族の勢力圏になったのではと。
著者は式内社を茅ヶ崎杉山神社と比定しています。それも考古学的資料なども駆使して、茅ヶ崎杉山神社の忌部氏の系図はその時代のことを語っている。茅ヶ崎杉山神社は忌部氏の系図とともに天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命・天日鷲命の孫・忌部氏の祖)の三柱を祀ったとあり、その後忌部氏が衰微して杉山神社も荒れてしまった。

その後鎌倉時代後期佐江戸の猿渡氏がいずれかの杉山神社から勧請して佐江戸杉山神社を創建した。その後西八朔杉山神社なども江戸時代朱印状を幕府から給わっているが、その時代の領主の実力を繁栄している。大棚杉山神社も江戸時代にここが本詞という石碑を建てている。そして神は誰かということになると時代と共に神が変わってきた。それはそこの支配者の力により五十猛命、日本武尊などになってきた。明治の廃仏毀釈で社殿の位置も神も判らなくなってしまったところが多くなってしまった。そして明治40年頃の神社の合祀によって今の神社に再現された事により過去の記憶が失われてしまった。

「杉山神社考」戸倉英太郎著にも匹敵する書で、杉山神社、都筑の歴史を考える上では非常に貴重な一冊です。

2014年1月16日(木)作成

 神奈川県都筑郡中川村々是調査報告  星の王子  2023年4月19日(水) 20:48
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書名:神奈川県都筑郡中川村々是調査報告
   横浜市歴史博物館資料集第二集
著者:横浜市歴史博物館
発行所:横浜市歴史博物館
発行年月日:1996/3/31
ページ:171頁
定価:非売品

村是報告書の村是というのは国是と同じように、村のとるべき道というようなもの。明治36年当時の中川村(大棚、茅ヶ崎、山田、勝田、牛久保)の地勢、田畑山林の面積、人情、平均気温、人口(男女、年齢別)、作物の種類、出来高、各家で持っている財産(家具、鍋、釜、包丁、時計など)、村の生産高、支出高など生活一般、産業に関わる事細かなことを調査している。これはこれからの中川村をどのようにしていけば良いか。現状把握の上でとるべき道を調査したものです。これほど詳細に調べた資料は他に認められない位微に入り細に渡っています。歴史資料としては第一級の史料だと思う。

この地域の田畑は、雨が降ればどろどろに湿気けた田圃、なかなか乾かない。一方畑は雨が止むとすぐに乾いてしまう。作物を作るには不適な土地、自作農と小作農の比率は50%、大地主も少なく、極端な大金持ちもいない。総じて貧しい村というのが見えてくる。それに対してこの書は、灌漑の必要制、村民の団結、共同購入、共同出荷などを提案している。勿論農業の振興策が述べられている。なかなか興味ある本です。

2014年1月16日(木)作成

 新羽史  星の王子  2023年4月18日(火) 21:59
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書名:新羽史
著者:新羽史編集委員会編
発行所:ニイサンマルクラブ
発行年月日:2004/3/5
ページ:193頁
定価:1500円+税

旧新田村(新羽・吉田)の歴史を紹介した本です。その昔太田道灌が亀甲山(旧資生堂研究所辺り)に陣を構えて約4ヶ月、小机城を攻めたとか?鎌倉の極楽寺にあった西方寺の建材を新羽に海、鶴見川を船で資材を運んできて西方寺を建てた。江戸時代の俳諧師松尾芭蕉は常識を破った革新的な考え方で俳諧を変えた人。「古池や 蛙飛び込む 水の音」これは従来の1000年以上に渡った和歌の常識、「かわずの声を聞く」を全く無視して蛙(かじかがえる)を扱っている。また俳諧をコミュニケーションの手段として、村々に俳諧を広めていった。そこで「貧乏でも良いんだ。身分の上下はない。平等主義」という思想を持ち込んだ。

その影響かこの新羽でも西方寺を中心に村人たちの俳諧が残っている。西方寺には句碑が残っている。ここも暴れ川「鶴見川」の功罪の影響で、水害にあったり、運送手段としての活用、など生活に欠かせない鶴見川とのつきあいがある。新羽中学校、新羽高校の建設当時には縄文時代、弥生時代の遺跡が出てきて発掘調査が行われている。神社仏閣の歴史なども紹介されており、新羽の昔を概略的に鳥瞰するには良い本です。

本書より
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図書館の中に私の小宇宙 荒井広和
今昔の新羽を語る鶴見川

2014年1月10日(金)作成

 杉山神社考  星の王子  2023年4月18日(火) 21:58
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書名:杉山神社考
著者:戸倉英太郎
発行所:緑区郷土史研究会
発行年月日:1978/9/25
ページ:232頁
定価:

この本は昭和31年に発行された戸倉英太郎著「杉山神社考」を緑区郷戸史研究会によって復刻された本です。鶴見川流域に残る杉山神社、新編武蔵風土記稿(1810〜28年)には橘樹郡(たちばなぐん)37社、都筑郡(つづきぐん)25社、南多摩郡6社、久良岐郡(くらきぐん)5社の計73社の杉山神社が記載されている。延喜式内社(927年)に旧都筑郡に唯一式内社として「杉山神社」が載っている。しかしその杉山神社が何処であったか?よく分かっていない。本司(本宮)は何処か?
戸倉英太郎氏が自分の足で歩いて一つ一つ今残る杉山神社を訪ね歩いた記録です。杉山神社研究のバイブルとされる書です。

新編武蔵風土記稿に記載された杉山神社の諸社はいずれも鶴見川流域にあり、その多くは鎌倉から室町時代にはすでに祀られていたと思われる。式内社杉山神社本社を勧請することによってがこのように増加した。そして記録も記憶も薄れてどれが式内社杉山神社本社か判らなくなってしまった。と思われる。この本では式内社杉山神社の有力候補と考えられているのが、?@西八朔村(にしはっさくむら、緑区西八朔町)、?A大棚村(おおたなむら、都筑区中川町)、?B茅ヶ崎村(ちがさきむら、都筑区茅ヶ崎町)、?C吉田村(よしだむら、港北区新吉田町)の杉山神社の4社を挙げている。そして著者の私見として茅ヶ崎村(ちがさきむら、都筑区茅ヶ崎町)を式内社杉山神社と比定している。

?@西八朔杉山神社は社域が広く、立派、江戸時代に幕府から社領を貰っている。
?A村人栗原恵吉等が儒者河田興に碑文を書かせて建碑した。(安政3年)
?B忌部氏→杉山氏の系図が岸本氏のところに残っている。
?C幕末の神道家斎藤義彦や、菱沼勇『武蔵国式内社の歴史地理』

とはいえいずれの説も決定的な証拠はない。これも古代ロマンを感じさせる話です。またこの杉山神社の祭神が1つではなく、諸社によって祭神が異なるのが面白い。多いのは五十猛命、日本武尊など。茅ヶ崎杉山神社は忌部氏の系図とともに天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命・天日鷲命の孫・忌部氏の祖)の三柱を祀った「杉山神社」としたことにはじまるというが信憑性は乏しいとされている。また戸倉英太郎氏以前に幕末の府中(ふちゅう)大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)宮司猿渡盛章(さわたりもりあきら)がこの杉山神社について調査している。西八朔杉山神社を比定しています。

この地域は考古学の発掘などによって、弥生時代の終わり頃から古墳時代まで、平安時代に一時住んでいた人たちがいなくなった時代(理由はよく分からない)があったようだ。延喜式内社に指定されていた杉山神社も衰微して捨てられてしまって延喜式内社としての格式も権威も領域も維持することが出来なくなってしまった。鎌倉時代室町時代になってようやくその地を支配した人、土豪の人などが祀り直した。この地域には大きな豪族、大名はいなかったのでどれも小さな杉山神社が残ってきたのではないだろうか?後世の氏族の盛衰によって神社、寺院などは埋もれてしまって、記憶も薄れてしまった。多分永遠の謎として今後も語り継がれる物語かもしれない。

ちょっと気になったのはその後緑区郷土史研究会が調査したところ「大棚根元考糺録」「茅ヶ崎忌部系図」が見つからなかったとのこと。

神明社:杉山神社考
http://www.shinmeisya.or.jp/rekisi/sugiyama_01.html
公益財団法人 大倉精神文化研究所 :: 第51回 杉山神社を探そう
http://www.okuraken.or.jp/depo/chiikijyouhou/kouhoku_rekishi_bunka/kouhoku51/
公益財団法人 大倉精神文化研究所 :: 第52回 杉山神社の有力候補
http://www.okuraken.or.jp/depo/chiikijyouhou/kouhoku_rekishi_bunka/kouhoku52/
公益財団法人 大倉精神文化研究所 :: 第53回 区内の杉山神社
http://www.okuraken.or.jp/depo/chiikijyouhou/kouhoku_rekishi_bunka/kouhoku53/

2014年1月10日(金)作成

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