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 都筑の歴史散歩(南部)  星の王子  2023年4月18日(火) 14:08
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都筑の歴史散歩(南部) - 都筑の風景
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/Landscape/thumbnails.php?album=25

都筑区周辺の遺跡、お寺などを散策してみました。
荏田猿田公園(長者原遺跡(都筑郡衙))・荏田富士塚公園・朝光寺(朝光寺遺跡)・東福寺・北八朔公園・世尊院・宗泉寺・十二神社・妙蓮寺・慈恩寺・月出松公園・川和富士公園・見花山かりん公園(花見山遺跡)・鴨池公園・けやきヶ丘など縄文時代、弥生時代中世の遺跡は公園として一部残っているところがありますが、当時とは全く違った地勢になっています。

都筑の歴史散歩(南部) on PhotoPeach - Fresh slideshows to go!
http://photopeach.com/album/xbilf7

2013年7月26日(金)  作成

 東日本最古級の民家 関家住宅   星の王子  2023年4月18日(火) 14:06
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関家住宅の解体修理前に行われた座談会「関家住宅」が纏められています。

有鄰 No.435 P2 座談会「関家住宅」(1) - 隔月刊情報紙「有鄰」
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_435/435_2.html

対談者は下記の人たちです。
関家22代当主   関 恒三郎
横浜国立大学名誉教授・日本大学工学部客員教授   関口 欣也
神奈川大学工学部教授・文化庁文化審議会委員   西 和夫
相模原市史編纂特別顧問   神崎 彰利
財団法人文化財建造物保存技術協会工事主任   井上 裕司

2013年7月16日(火)  作成

 増上寺領  星の王子   星の王子  2023年4月18日(火) 14:04
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都筑郡に増上寺領があった。荏田村、東方村、茅崎村、川和村、石川村、
王禅寺村、新師岡の7村。その他橘樹郡、豊島郡、荏原郡併せて10万540石。(1770年代確定)

増上寺は「三縁山広度院増上寺」が正式名称。浄土宗大本山(浄土宗の七大本山の一つ)明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。
場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。

室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。
安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公がときの住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。

慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。

増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。

2013年7月15日(月) 作成

 華蔵台(けしょうだい)遺跡の現在地    星の王子  2023年4月18日(火) 13:04
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今日、華蔵台遺跡に行ってみました。
横浜市都筑区荏田南五丁目10付近。ここには昔から近くに住んでおられるAさん宅があり、ちょうど植木の手入れをされていたので華蔵台(けしょうだい)遺跡のことを訪ねたところ、この場所ではなく、すこし離れた横浜市都筑区荏田南五丁目15付近がその場所ですと教えられました。
(小学校の頃國學院大學の人たちが遺跡の発掘をしているのを兄弟で見学に通ったとのこと昭和48年頃)

そして荏田南五丁目15あたりで草刈りをしていたAAさんに聞いたところAAさん宅が建っているところから桃畑になっている。ところだと教えていただきました。
この方宅も場所は少し移っているが、450年前から続いているお家だと伺った。

事業報告(調査1係)では荏田南五丁目10付近となっているが、荏田南五丁目15付近が正しそうです。
現在の表記になってからは変わっていないので荏田町○○番地から変わったときに間違えているかも?
図書館にある華蔵台(けしょうだい)遺跡の発掘調査報告書も荏田南五丁目10付近になっています。

2013年7月7日(日)  作成


 華蔵台(けしょうだい)遺跡    星の王子  2023年4月18日(火) 13:00
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華蔵台(けしょうだい)遺跡
港北ニュータウン開発に伴って1973年(昭和48年)〜1975年(昭和50年)、
1978年(昭和53年)〜1979年(昭和54年)に発掘された縄文時代後期から晩期の遺跡。

縄文時代後期〜晩期の竪穴住居跡48軒、後期の掘立柱建物跡8棟、早期の土坑(落し穴)6基、後期〜晩期の土坑(墓壙)90基、後期〜晩期の貯蔵穴14基、後期の土器捨て場3か所、古墳〜奈良時代の竪穴住居跡2軒、掘立柱建物跡3棟、溝状遺構2条が検出され、鶴見川流域の縄文時代後期中葉から晩期中葉の集落の構造と変遷が明らかになった遺跡です。
現在の住所で言うと横浜市都筑区荏田南五丁目10付近(旧緑区荏田町3,604〜3,615番地付近)になります。

事業報告(調査1係)
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/mb05/mb051/chos1.html

2013年7月6日(土)  作成

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