我が国の高度成長期1974年、港北ニュータウン開発の造成が始まって以来40年近くが過ぎ去った。この開発による急激な市街地化で、緑豊かであった旧都筑郡の農村地帯は大きく変貌してしまい、これからも更に変貌を続けてゆくであろう。 古来、私たちの先人達は、自然の中で、自然を崇拝し、自然と共に営みを続けてきた。そこには、営みの中で生まれた場所の名前(地名)住んでいる人の名前(姓・名)、住まいの名前(屋号・屋敷名)などが自然体で発生してきたであろうと想像される。
私たちは、なぜ、消えた地名、消えゆく地名にこだわるのであろうか。それは、地名には先人達の営みの匂いがあり、歴史があるからである。 記録された古文書の多くは既に失われてしまったが、地名は古いものでも残っている。 古い地名には先人達の営みの歴史がある。故に、歴史を好む者には限りなく愛着を覚えるのである。
日々発展する都筑の街の中で、失われつつある先人が残した貴重な遺産である地名や風景を保存し、ニュウタウン開発後移り住んできた新住民ともいえる人たちの中にも、地域の歴史に関心を持つ人は多い。
この都筑が、前々から住んでいる人達はいうまでもなく、新住民にとっても第二・第三の故郷になって貰いたいし、これから、この地で生まれ育つ子供達たちには、生まれ故郷の歴史を少しでも知って貰えたらと願い、「わが街“都筑”消えゆく地名と風景に寄せて」と題して不定期ではあるが都筑の歴史に係わる話を続けたい。
そこでお願い。都筑区の住民である・なしにかかわらず、都筑区・隣接する緑・青葉区を含め、地名の由来、地名のエピソード、地名と人名の係わり、地名と風景の係わり等をご存じの方の投稿をお願いしたい。古い写真の提供、或いは新旧写真を添えた投稿も大歓迎です。
2011年8月31日(水) 作成 |
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