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このコーナーは、皆さんが作っていくコーナーです。「つづきの歴史」に関係することなら何でも投稿して下さい
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   ふくちゃん  2023年4月17日(月) 10:03
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コスモスさん、
メールありがとうございました。
私は23年前に港北ニュータウンに世田谷から引っ越して来ましたが、「山田」は「やまだ」と読んでいました。そうしたら地元の人から違うよ、と教えてもらいました。
10人に聞くと7人ぐらいが「やまた」でした。「高田」は「たかた」、「長津田」は「ながつた」です。「勝田」が「かちだ」と読むのにも驚きました。

「笑点」で座布団を運んでいる山田隆夫氏が、山田と言う町を探して南山田に引っ越して来たら実は「やまだ」でなく「やまた」だったのであわてた、という噂は本当のようです。
http://www6.ocn.ne.jp/~ytb/

ところで「池辺」ですが、あまりの多くの人(95%)が「いけべ」と言うので町内会役員の人も「いえべ」でもいいよと言うし、信号表示も「ikebe」となっていました。しかし昨年からきちんと「ikonobe」に変わったので、私も「池辺富士」を「いこのべ富士」と言うようにしました。
今日、たまたま池辺交差点を通ったので写真をとりました。

2011年9月11日(日)作成

 「葛が谷」は「くずがや」か「くずがやと」か    ふくちゃん  2023年4月17日(月) 10:01
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都筑区のほぼ中央、地下鉄「都筑ふれあいの丘」駅のある町は「葛が谷」とかいて「くずがや」と読みます。
しかし、近くの公園の名前は「葛が谷公園」ですが、その読み方は「くずがやと」公園です。
「や」か「やと」か、ややこしいですね。
実は、昭和61年港北ニュータウンの住所表示施行のときに、池辺(いこのべ)町の一部から「字名」をとって「葛が谷」を新設したまでは良かったのですが、その読み方を「くずがや」と、まちがえてしまいました。横浜市の北部では「谷」と書いて「やと」とよぶことが多いのです。
公園名は、地元の意見を聞いてきちんと「くいずがやと」と命名したので、公園の入口にはフリガナが「やと」と正しくついています。
紳士服のアオキの本店の横の交差点の信号をよく見てください。「ya」ではなく「yato」と正しく表記しています。

2011年9月11日(日) 作成

 コスモス   ふくちゃん  2023年4月17日(月) 9:58
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トトロのおやじさん、ふくちゃん
こんにちは私は北山田に住んでいますが、もしかしたら池辺に住んだかもしれないんです。
友人のお兄さんが住んでいて、土地を売りだしているよの情報があったのですが、結局北山田を買いました。

池辺もそのお兄さんが「いけべ」と言ってましたし、北山田もローマ字の表記ができる前は、「きたやまだ」と発音していました。
地名って面白いですね。

いろいろ教えてください。

2011年9月5日(月)  作成

 池辺(いこのべ)  ふくちゃん  2023年4月17日(月) 9:56
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都筑区内で一番面積の広いまち「池辺町」は、読み方が難しく、正式には「いこのべ」と読みます。
宗忠寺の前に池があったことから地名がつけられたと言われています。
http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/madoguchi/jyukyo/chomeiichiran/tuzuki221206.pdf

地元の方々にヒヤリングすると「横浜市からの書類には『いこのべ』と書いてあるが、読み難いので『いけべ』でも構わない」と言う人が多いようです。しかし、地名は正確に後世に伝えるべきだという方もいることが分かり、これまで私も「池辺富士」を「いけべふじ」と言っていましたが、今年から正しく「いこのべふじ」と言うようになりました。(写真)

池辺農業専用地区のど真ん中に、こんもりとこの富士塚が残っています。
いまや都筑の名所の一つです。この地図で「星谷浅間神社」と表記されている場所です。
なおこの地名の「星谷」は「ほしや」と読みます。
http://www.city.yokohama.lg.jp/tsuzuki/kusei/pdf/nanbu-map1.pdf
http://www.city.yokohama.lg.jp/tsuzuki/kusei/pdf/nanbu-course-b.pdf

2011年9月2日(金) 作成

 わが街”都筑”消えゆく地名と風景に寄せて   トトロのおやじ   2023年4月17日(月) 9:52
修正
我が国の高度成長期1974年、港北ニュータウン開発の造成が始まって以来40年近くが過ぎ去った。この開発による急激な市街地化で、緑豊かであった旧都筑郡の農村地帯は大きく変貌してしまい、これからも更に変貌を続けてゆくであろう。
古来、私たちの先人達は、自然の中で、自然を崇拝し、自然と共に営みを続けてきた。そこには、営みの中で生まれた場所の名前(地名)住んでいる人の名前(姓・名)、住まいの名前(屋号・屋敷名)などが自然体で発生してきたであろうと想像される。

私たちは、なぜ、消えた地名、消えゆく地名にこだわるのであろうか。それは、地名には先人達の営みの匂いがあり、歴史があるからである。
記録された古文書の多くは既に失われてしまったが、地名は古いものでも残っている。
古い地名には先人達の営みの歴史がある。故に、歴史を好む者には限りなく愛着を覚えるのである。

日々発展する都筑の街の中で、失われつつある先人が残した貴重な遺産である地名や風景を保存し、ニュウタウン開発後移り住んできた新住民ともいえる人たちの中にも、地域の歴史に関心を持つ人は多い。

この都筑が、前々から住んでいる人達はいうまでもなく、新住民にとっても第二・第三の故郷になって貰いたいし、これから、この地で生まれ育つ子供達たちには、生まれ故郷の歴史を少しでも知って貰えたらと願い、「わが街“都筑”消えゆく地名と風景に寄せて」と題して不定期ではあるが都筑の歴史に係わる話を続けたい。

そこでお願い。都筑区の住民である・なしにかかわらず、都筑区・隣接する緑・青葉区を含め、地名の由来、地名のエピソード、地名と人名の係わり、地名と風景の係わり等をご存じの方の投稿をお願いしたい。古い写真の提供、或いは新旧写真を添えた投稿も大歓迎です。

2011年8月31日(水) 作成

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