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 高野山真言宗 帰命山 無量寺  星の王子  2023年4月19日(水) 21:09
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高野山真言宗 帰命山 無量寺
神奈川県横浜市都筑区佐江戸町2021

(開祖、由緒など不明)

無量寺は、開山時期は明らかではないそうだが、鎌倉時代中期には無量寿福寺(尼寺)の名前で存在していたことが書物に書き残されているという、歴史あるお寺だ。
・弘長二年(一二六二)北条時廣の妻は佐江戸郷を殺生禁断の地とする(関東往還記)
・永仁七年(一二九九)佐江戸無量寿寺福の尼性観は称名寺の審海から法をさずかる
・嘉暦三年(一三二八)佐江戸無量寿福寺で聖典が書写される(聖教奥書)

このお寺の裏の舌状台地が佐江戸城址と云われています。佐江戸城は中世の頃に、後北条氏の小机衆の猿渡氏によって築城されたと伝えられています。小田原衆所領分限帳に小机衆として佐江戸、猿渡氏48貫文の名があります。小机城の支城として、宿場の支配、伝えの城としての役目を負っていたものでしょう。鶴見川・鎌倉街道の古道がとっており、それらの監視なども重要な仕事だったと思われます。
また、隣上にある杉山神社(佐江戸)は猿渡氏が勧請した神社と云われています。

交通
横浜市営バス41系統 新横浜駅発中山北口行き約40分 神社前バス停3分
横浜市営バス73系統 センター南駅中山駅行き約40分 神社前バス停3分

2014年1月20日(月)作成

 高野山真言宗 医徳山 長王寺  星の王子  2023年4月19日(水) 21:06
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高野山真言宗 医徳山 長王寺
神奈川県横浜市都筑区池辺町2827

(開祖、由緒など不明)

武南十二薬師霊場第五番

以前は鶴見川沿いの池辺町川内にあったが焼失し、この地に遷座する。と言われている。境内の大銀杏は乳柱が下がり、「乳出し銀杏」(横浜市の指定天然記念物)として地元の人々から親しまれている。幹回りは5.6M、樹高25M、雌株、樹齢は約730年以上の大きな木です。都田中学校と小学校そして杉山神社、宗忠寺に囲まれたところにあるのが長王寺です。 丘の上の都田中学校から望めば境内の大木目立っている。

交通
横浜市営地下鉄「都筑ふれあいの丘」下車、徒歩27分または横浜線「鴨居駅」下車、徒歩33分
JR中山駅前停留所よりバス41系統乗車『池辺』バス停下車徒歩約5分

2014年1月19日(日)作成

 浄土宗 光照山隆香院 宗忠寺  星の王子  2023年4月19日(水) 21:04
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浄土宗 光照山隆香院 宗忠寺
神奈川県横浜市都筑区池辺町2704

創建 小笠原和泉守宗忠 文禄3年(1594)
本尊 阿弥陀如来像

光照山隆香院宗忠寺。浄土宗鎮西派。本尊は阿弥陀如来像。「緑区史資料編第一巻」

由来
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起(碑)
古代より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。
私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」とも称しました。宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います、

また古くは都筑郡池ノ辺村といい、明治二十二年の市町村制施行の際に、都田村大字池ノ辺となりました。時代を経て昭和十四年に横浜市編入時に池辺町は新設されました。
宗忠寺は、元犬山城主、小笠原和泉守宗忠が、徳川幕府の命令により江戸を守る要所として陣屋を池辺村に置いたことから、また父伊予守長隆のために建立したとも伝えられています。この陣屋は、宗忠寺から西に二百メートル位離れた大陣屋、小陣屋の屋号で呼ばれる島村家、志田家に偲ばれます。
江戸時代、池辺村は門奈、仲根、北村など旗本の知行地のほか、増上寺下、宗忠寺領七石などの記録があります。

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江戸時代初期、松平忠吉(徳川家康の四男)の筆頭家老・小笠原宗忠の陣屋があった。現在、小字「大陣屋・小陣屋」と称している場所で、街道から少し離れた枝道・裏手にあたるものの、遺構は残っていない。陣屋の西150mには、明治時代まで「殿様寺」と呼ばれた宗忠寺がある。同寺は、小笠原宗忠が父の菩提を弔うために建立したという(『日本城郭大系』)。

交通
「横浜ららぽーと」から徒歩10分

2014年1月19日(日)作成

 高野山真言宗 佛法山 東漸寺(とうぜんじ)  星の王子  2023年4月19日(水) 20:58
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高野山真言宗 佛法山 東漸寺(とうぜんじ)
神奈川県横浜市都筑区佐江戸町2240

本 尊:不動明王
真 言:のうまくさまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん
御詠歌:ありがたや つづきのおかの もりかげに ちえのまもりの のりのみこえよ

中原街道に面して、佐江戸バス停数分のところの小高い丘の上にある。お寺への参道石段があり、登りつめたところに入母屋造り銅葺、唐破風向拝付六間半と五間半の本堂、左に文殊堂、右に客殿・庫裡(納経所)がある。

開山 智運

由来
天平十六年(744年)行基はこの地に留錫し草庵を結び、文殊菩薩を造顕奉安した。と云われている。これが寺のはじまりとされ、永享十二年(1440年)智運が不動明王を奉安して開山した。寛永十年(1633年)より寛文十二年(1672年)には領主竹尾元孝の菩提寺となり江戸幕府より朱印五石を得ている。また杉山神社(佐江戸)の別当寺だった。当時の境内は7千坪あり寺運は盛んであったが、明治・大正と荒廃し、昭和四十六年より本堂をはじめとする諸堂が再建され伽藍は整備された。

客殿五間に7間半、本尊不動、寺領五石余の朱印状あり(風土記)

関東八十八ヵ所第67番霊場
武相二十八不動尊第12番霊場

横浜市営バス41系統 新横浜駅発中山北口行き約40分 佐江戸バス停3分
横浜市営バス73系統 センター南駅中山駅行き約40分 佐江戸バス停3分

2014年1月19日(日)作成

 杉山神社(佐江戸)  星の王子  2023年4月19日(水) 20:56
修正
杉山神社(佐江戸)
神奈川県都筑区佐江戸町2020

祭神
五十猛命

由来
社の背後は高くして佐江戸城の東北に接しているので、この社は城主猿渡氏が城の鎮護の為に勧請したものであろうと考えられる。

武蔵風土記云
「杉山社除地一段許り村の中央中原道にあり上屋一間四尺に二間神体は束帯の像にて長さ一尺許彫刻もいとしつほくにして甚古物のさまに見ゆ勧請の年代は伝えされと東漸寺に持伝ふる慶長十八年再興の棟札ありその其内に代官小泉久弥小代官石川次郎左衛門なと云ものの名をしるし別当東漸寺とあれは古き社地なること知へし」

社の境内に、先達福田弥兵衛等が建てた参明開山の碑があるも塚はない。また御嶽山柱大神の碑がある。
(杉山神社考 戸倉英太郎著より)

交通
横浜市営バス41系統 新横浜駅発中山北口行き約40分 神社前バス停3分
横浜市営バス73系統 センター南駅中山駅行き約40分 神社前バス停3分

2014年1月19日(日)作成

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