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このコーナーは、皆さんが作っていくコーナーです。「つづきの歴史」に関係することなら何でも投稿して下さい
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近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)
星の王子
2023年5月15日(月) 22:26
修正
近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)1
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20190112163740
近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)2
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20190316161326
江戸時代村の寺子屋では往来という教科書で教えていた。往来物というのは教科書のこと。横浜でも今の鶴見区に残る近邉村巡(きんぺんむらめぐり)という教科書がある。これは地理、歴史の教科書か?鶴見区の道筋、名所旧跡を綴ってあり、リズムが凄くいい。そんな読み物で子どもたちは地元の地図、地理などを耳から知識として入れていったのでしょう。全部で11ページがありますが、最初の3ページ位まで釈文をかいて見ました。そのうち全てを書いてみたいと思います。
道念稲荷神社、本牧十二天、馬場稲荷、駒岡の熊野宮、勧(神)大寺、片倉、菊名など今でもおなじみの名前が見られます。
寺子屋の学習と往来物
http://princeyokoham.sakura.ne.jp/smf/index.php?topic=28476.0
2019年1月12日(土)
「幻の第11代」将軍
星の王子
2023年5月15日(月) 22:17
修正
歴代将軍家位牌について | 浄土宗 心行寺
http://www.shingyouji-yokohama.or.jp/posts/4768579
「幻の第11代」将軍
2018年10月11日(木)
荏田宿(えだじゅく)
星の王子
2023年5月15日(月) 22:12
修正
荏田宿(えだじゅく)は、かつて武蔵国都筑郡荏田村(現・神奈川県横浜市青葉区荏田町)にあり、大山道(矢倉沢往還)が通っていた宿場
旅籠屋をはじめ、さまざまな商人・職人が居住し、合計二十数軒の家屋が連なっていたが、1894年(明治27年)の火災により焼失した
江戸時代後期の荏田宿の概念図が「都筑の民俗」(1989)という 本に載っていた。明治の火災で失われているので今ではかなり違っていると思うが、参考まで
2019年4月6日(土)
新元号が「令和」に決まりました
星の王子
2023年5月15日(月) 22:10
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新元号「令和(れいわ)」
新元号が「令和」に決まりました。その出典の文書を探していみました。
出典について「『万葉集』巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文」と説明した。「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かおら)す」から引用した。春の月の美しさと空気の爽やかさを表現した文章。
万葉集略解 20巻. [7] - 国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2576188?tocOpened=1
万葉集略解5巻24ページに出典の文章があります。
2019年4月1日(月)
和泉」をの「和」は読まない。何故?
星の王子
2023年5月15日(月) 22:05
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「和泉」をの「和」は読まない。何故?
国名で「和泉」の「和」は読まない。本来は泉だった。和同6年(713年)の詔(諸国郡郷名著好字令)によって2字にしたもの。紀伊(きい)ももともと「木国(きのくに)」だったのを詔の2字縛りにしたがって「紀伊国」にしたそうです。
「伊達」と書いて「ダテ」とあたりまえに読んでいるが、あらためて考えるとどうも納得がいかない。そう、「伊」の音は発音されていない。伊達政宗がローマ法王に宛てた文書にはローマ字で「Idate Masamune」と描かれていたそうで、伊達氏は「いだて」を称していたそうです。
2019年3月26日(火)
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