劔神社(つるぎ)
横浜市青葉区荏田町822
祭神
素盞嗚尊 ( すさのおのみこと )
祭礼
10月7日 例大祭(れいたいさい)
由来
劔神社社誌(境内の碑)
新編武蔵風土記稿は当社について曰く
「村の中央字榎木谷にあり、劔明神と号す当所総鎮守なり本地不動の像、今は別当観福寺に安置せり本社に上屋を設く云々」また伝説に曰く「昔陸奥国より炭を商うもの鎌倉往来して、鍛冶のもとへかの炭を売ること年久しければ鍛冶も、かの上人が来ることを謝して己が作りたる刀一口を贈れり、商人よろこびてこれを携へ国へかえらんとしてここをすぎ、泉谷の辺りとどまりて、路のつかれをしばしやすめんとここに喉のかれたりしかばありあう泉を掬して呑けるに、酒に酔いしごとく、覚えず倒れ臥したりを側なる松の木の上より大蛇ねらいより呑まんとす時に携えたる刃自ら抜き出て蛇を斬殺しけるにそかのもの危き命をたすかりしとなんよりて劔を祀りて劔明神と号す云々」と この伝説は八俣の大蛇退治に類似し草薙劔を彷彿せしめるととに 祭神を素盞嗚尊として崇めていることなどからして開拓神ないし農業神として祀られ鎌倉時代の創建になるものと云われている
かつて当地には宿谷赤城社、小黒谷戸神明社同八幡社柚木谷戸熊野社 渋沢谷戸十二社の五社の谷戸宮が鎮座し 四谷戸が年番にて祭礼を執行うを常とした
その後大正三年これら四谷戸五柱を当社に合祀 同十一年当社は神饌幣帛供進社に指定されたのである
現存する拝殿は明治二十七年に 奥社は昭和四十六年に各々建立されたものである。
由来(「都筑が丘」松沢由貞著より)
鎌倉時代、ここのそばを鎌倉街道が通じていた。その頃、奥州の炭焼き夫が毎年、馬の背に炭をつけて、はるばる鎌倉の刀鍛冶に届けていた。非常に良質な炭なので、お陰で名刀が鍛えられると喜んで、一振りの直刀を贈った。炭焼き夫は喜んで、懐中深くしまって帰途についた。ちょうどこの丘の裏側、人里離れた泉谷(いづみやと)にさしかかったところ、暑さは暑いし、道中の疲れもでて小川のほとり、老松の木陰で眠り込んだ。そのとき松の梢に潜んでいた大蛇が、よき獲物とばかり、眠りに落ちた炭焼き夫を一呑みにと襲いかかった。
間一髪、懐から抜け出た直刀が、その大蛇のノドをさし、大蛇はのたうちまわってたおれた。九死に一生を得た炭焼き夫は、これぞ宝刀と、恐懼して現在地に祀った。それから里人の尊崇の的となった。
拝殿の右側の坂道を登ったところに旧鎌倉街道が通じている。ここの氏子は荏田宿、渋沢、柚木、荏田南の地域のようです。
トイレあり
田園都市線江田駅綱島行バス 柚の木谷バス停下車5分
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