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”つなごう人の輪””さがそう魅力”が、交流ステーションのモットーです。今回の「区民レポーターが行く」の取材は、中川小学校6年生の社会科授業。人の輪がつながったことで、この授業は実現しました。 

スマイル発信隊”ひと”訪問15回目の高橋満さんは、地域と中川小学校をつなぐ「学校教育支援ボランティア(スマイル発信隊−左−)」の世話役をしています。そして16回目の荒武千恵子さんは、横浜空襲を経験しています。2人の活躍は、ひと訪問をお読みください。

荒武さんを訪問したのは、8月の終戦記念日のころ。「生きているうちに、戦争中のつらい日常や空襲の体験を若い人に伝えたい!平和の素晴らしさを知ってほしい!」と熱く語りました。

この思いを実現するにはどうしたらいいんだろう?「そうだ、スマイル発信隊に頼んでみよう。歴史を習っている6年生に、生の声を伝える絶好のチャンスになるのではないか」と思いつきました。

この思いつきが、とんとん拍子に実現。中川小学校6年生の2組と1組(12月5日)、4組と3組(6日)、5組(7日)の授業で、クラスごとに話をさせてもらえることになりました。真珠湾攻撃ではじまった日米開戦は1941年の12月8日。ちょうど開戦70年にあたっていました

体験談を話し終わった荒武さんは、「どうしてもみなさんに言っておきたいことがあります。兵隊さんばかりでなく、子どもたちさえ、こんなにみじめな思いをしたんですよ。戦争になったら大変。始まりそうになったら、まず大声で反対しましょうね!」と、子どもたちに呼びかけました。

この授業が成功したのは、スマイル発信隊のメンバー(高橋さん・阿部さん・大西さん・貞末さん・校長・副校長・教務主任)、6年生の先生方、荒武さんとの、数度にわたる話し合いがあったからこそでした。

5日の授業には、毎日新聞生活報道部のK記者が取材に来てくれました。7日の毎日新聞は、8段を割いて「80ばあちゃんブログ発信」というタイトルで、荒武さんのブログと出前授業の様子を伝えています。

7日には、NHKの記者とカメラマンも来校。テレビの首都圏ニュースやラジオのニュースで、発信していました。

以下、社会科授業の様子を写真でごらんください。  (2011年12月 取材 HARUKO記)




授業に先立つ11月22日、荒武講師、6年生担任の先生方5人、山下副校長 、スマイル発信隊のみなさんと打ち合わせをしました。授業では戦争をどの程度教えているか、45分という短い時間で何を重点に話したらよいかなど、話し合いました。この会合をもったことで、当日の授業の成功が見えてきました。




クラスごとの授業が行われた視聴覚室に、パネル写真などを展示しました。スマイル発信隊のスタッフが、横浜市西区にある「横浜市史資料室」まで借りに行きました。空襲直後の焼野原やB29による爆弾落下などの貴重な写真。話が終わったあとに、子どもたちは熱心に見ていました。




横浜市史資料室が貸してくれた上着とモンペ。戦争中の女性の服装は、モンペが決まりでした。和服やスカートや派手な服装は、当局ばかりか隣組の人からも注意されました。





荒武さんが保存している衣料切符。戦争中は切符がないと欲しい物が買えませんでした。でも荒武さんのもとには、切符がたくさん残っています。衣類を買いたくても物がなかったので、切符が余ってしまったのです。





視聴覚室に集まってきた6年2組の子どもたち。担任のH先生は、「戦争を体験した人から、じかに話が聞けるチャンスはめったにありません。先生も戦争を知らないので、みんなと一緒に聞きたいと思います」と話しかけました。45分間、ふざけもせず、飽きもせず、メモを取りながら聞き入っていた子どもたちに、感心しました。




「私は81歳のしわくちゃギャルです」。「最近のお子さんはみんなカワイイですねえ」「みなさんに会えてほんとうに嬉しいです」。

最初のこの三言と荒武さんのチャーミングな笑顔によって、70歳の年齢差がいっきょに縮まりました。



 

「この焼夷弾の中には、火薬や油など燃えやすいものが入っていたの。リボンに火がついたので、火の雨が降ってきたように見えました。とっても怖かったのよ」と、空襲の様子を話す荒武さん。横浜市史資料室では、焼夷弾も保存しています。先約があり借りることができなかったので、荒武さんは焼夷弾の模型を自分で作りました。

他にも、たくわん4切れと玄米や麦やコーリャンが主だった当時の弁当模型も作ってくれました。





話が終わったあとも、質問攻めにする子どもたち。質問が長引いて、次の授業時間になってしまいましたが、「関心を持ってくれて何よりです。生の声を聞ける機会は、非常に貴重ですから」と、1組のW先生。子どもたちが気が済むまで、先生は、ゆっくり待っていました。

「子どもたちがこんなに熱心に聞いてくれるとは、予想もしていませんでした」と、涙ぐむ荒武さん。




カメラを構えている毎日新聞社 編集編成局 生活報道部のK記者 。この授業とは別に、荒武さんと高橋さんにインタビューしています。当日も数人の子どもたちに、授業の感想を聞いていました。




12月7日の毎日新聞の一部を拡大コピーしたもの。
白いハト羽ばたけ 上 日米開戦から70年 「80ばあちゃん」ブログ発信 というタイトルがついています。記事の全文は、新聞を読んでください。





7日に取材にきたNHKの記者とカメラマン。8月の終戦記念日特集で荒武さんの番組を作った記者が、この日も来てくれました。出前授業の感想を、インタビューしているところ。




早速、7日夜の首都圏ニュースで放映されました。テレビ画面を写しましたが、都筑区、中川小学校と言う字もはっきり出ています。5組のみなさんは、焼夷爆弾が破裂して火の粉が広がっていく話を、身じろぎもしないで耳を傾けていました。 



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