ひと訪問は、リレー方式にしている。いろいろな”ひと”に会えるチャンスでもあるが、同じような分野・同じような年代が続いてしまうこともある。

今回は、以前から会ってみたかった高橋満さん(42歳−左−)を訪問することにした。きっかけは、2回目の和泉良司さん(当時は中川小校長、2011年4月から緑区三保小校長)との何気ない会話だった。

「中川小学校では、学校と地域を結ぶコーディネーター制度を準備しています。元銀行マンが中心になって規約を作っているところで、春には動き出すでしょう」。

「PTAとも違うようだ、コーディネーターってなんだろう、和泉先生によればまだ若い勤め人。よく活動できるなあ。いつか会ってみよう」と思っていた。

インタビューは、お盆休みの最中、高橋さんが常務取締役をしている「高橋住宅センター」の一室で始まった。ひと訪問はいつも長くなるが、このときも、話がはずんで4時間。



バリバリの銀行マン 
 
高橋さんが生まれたのは、都筑区(当時は港北区)。彼が生まれた年に、ニュータウンの区画整理が始まり、ほとんどの農家は農業ができなくなった。農業の経験しかない父親・良雄さん(現社長)は、一念発起。宅地建物取引主任者の資格をとり、不動産業をはじめた。昭和51(1976)年のこと。宅建の資格は誰もがとれるほど簡単ではない。農業から不動産業に転じたのは、3人しかいなかった。

兄がいるので、不動産業を継ぐ気はまったくなかった。大学卒業後の平成3(1991)年、都市銀行の名古屋の支店に入行。外国営業を担当し、忙しくても充実した日々だった(左)。

幹部候補生の選抜試験に受かり、内外への派遣を待つばかりだった時に、母親が急逝。

「こんな時なので、親父の仕事を支えてくれないか」と、兄に頼まれた。思ってもみない要請だったが、土日にも会議を開くほど忙しい銀行業務に、「こんな人生でいいのかなあ」の疑問もわいていた。

バブルがはじけ、大銀行のリストラや合併が進んでいる時でもあった。上司から「宝を失った」と惜しまれながらも退行。銀行勤めは、結局5年間だけだった。

「都市銀行を辞めたのは、惜しいですね。後悔してませんか?」。

「いやあ、今でも後悔してませんよ。僕がいた銀行も合併したので、同期の友人たちは大変です。銀行勤務を続けていたら、子どものPTAにも出られなかったし、地域の人と触れ合うチャンスはなかったですから」と、仕事も地域活動も楽しくてならないといった笑顔が返ってきた。


都筑区の物件は人気がある 

「銀行に勤めていた人にとって、宅建の資格は簡単でしょう」と思わず口走ったところ、「とんでもない、宅建の資格は難しいんですよ。銀行では外国営業をしていたので、客層も違うし、不動産のことは一から勉強しました。特に、ニュータウン前の農地や人間関係を熟知している親父には、ずいぶん教えられました」。

「そうだ!銀行時代の仕事が、役にたっていることもありますよ。損保会社の人に頼まれて『住宅ローンのことがわかる事典』を執筆しました。交流会で会った人に勧められて、CFP(ファイナンシャルプランナーの国際ライセンス)の資格もとりました。それがきっかけで『ネット時代・いまどきの経済通になる本−2000年−』の一部も担当したんですよ」と、高橋さん。

これだけ多方面で活躍している証だろうが、仕事用の名刺には、宅地建物取引主任者・マンション管理士・測量士補・一級FP技能士・CFP・住宅ローンアドバイザー・不動産コンサルティング技能登録者など、たくさんの肩書きが連ねてある。

古民家鑑定士なる資格も持っている。個人のブログには、各地の古民家を訪ねた様子も綴ってある。左写真は、宇都宮にある重要文化財の旧篠原家天井部分。

普通の人なら絶対に目を向けない柱と土台の処理や、天井の梁などの写真をていねいに撮っている。古民家鑑定士の仕事についても詳しく聞きたいところだが、いくら紙面があっても足りない。

話を前に進めて、「全国的には不動産の値下がりが続いていますが、都筑区はどうですか?」と聞いてみた。

「この地区の物件は人気があります。売買も賃貸も相場は下がっていません。道路も公園も住宅地も整備されているし、商業地区も近いですから」。

敢えて言わせてもらうと、都筑区には、この街にしかない特徴がない。歩いているだけで高揚するワクワク感がない。40年前は農地だったから当たり前なのだが、老舗もない。「高橋さんたち世代が中心になって、ワクワクする街づくを目指してほしい」と、注文を出してみた。

「そうなんです。先日、住んでみたい町・住んでよかった町でダブル1位の、東京の吉祥寺の駅前商店街を歩いてみました。生活感があってイキイキしています。こじんまりとした洗練された店が、存在感がある。そんな街を作りたいですねえ」と、共感の言葉が返ってきた。

センター北商業振興会の役員もしている高橋さんにとって、不可能ではないような気がする。


学校教育ボランティア・スマイル発信隊 

別の名刺には、「地域交流支援活動運営委員会 委員長」とある。高橋さんが中川小のPTA会長をやめた翌年に、学校教育ボランティアの話が持ち上がった。

中川小では、平成22(2010)年に、スマイル発信隊(左はシンボルマーク)の名前で、学校教育ボランティアの活動が始まった。事務局スタッフの一員にと誘われて、委員長に就任。

「PTAが、スマイル発信隊に助成金を出しているんですね。PTAも父母と教師の会でしょう?同じような組織ではないのですか?それに、子ども達を、なぜこんなに支えなければならないんですか?以前の子どもは、もっと放っておかれましたよね」と、意地の悪い質問をしてみた。

「そこなんですが、はっきり言って、僕も最初は過保護じゃないかと思いましたよ。でもお母さんと子どもを取り巻く環境が、昔とは違います。先生方も、僕が小学生だった頃に比べ、忙しくて余裕がないんです。従来のPTAだけでは、支えきれない面が出てきたのです。少しでも先生の負担を軽くして、本来の授業に力を向けてもらいたいと思っています」。

スマイル発信隊が正式に発足して1年余の今年7月現在、保護者169名、学校外部5名の174名がボランティアに登録している。

スマイル発信隊発足の打ち合わせ  子どもたちと花壇の手入れ 夏休みの間に教室の窓をピカピカに 

ボランティアの種類は、図書・飼育・給食白衣の点検修繕・花壇の手入れ・学校参観日の受付・換気扇の清掃・窓ガラス清掃・テニスボールの穴あけ・カーテン洗濯・読み聞かせ・クラブ活動・なかよし遠足・学習支援(家庭・図工・理科・総合的学習)と、多岐に渡っている。

こんなに助けてもらって今の先生方や子ども達は幸せだなあと思う反面、学習支援までボランティアに頼まなければならない現状に驚いた。


研修会で事例報告

どこの学校もこんなにうまくいっているわけではない。中川小学校のスマイル発信隊は、「事務局が機能している、小学校単体でやっている、活動が活発だ」ということで、横浜市で注目されている。

そんなこともあって、学校・地域コーディネーター養成講座公開研修−8月6日(土)・区役所の会議室−で、高橋さんが、事例報告(左)をした。主催は教育委員会の生涯学習文化財課

研修会は、元PTAの役員、青少年指導員、先生方など100名以上が参加して、大盛況だった。筆者も取材がてら出席してみて分かったのだが、どうやら文科省や教育委員会は、コーディネーター制度をすべての学校に広げたいと考えているようだ。

スマイル発信隊は、事務局が機能しているし、学校側の強力な支援もある。すべての学校にこの制度が定着するためには、この2点がなければうまくいかない。

高橋さんの下のお子さんは、来年3月に中川小学校を卒業する。父親も自分も中川小出身で親子3代世話になった学校とはいえ、子供が在学していないと無関心になるものだ。でも、スマイル発信隊は、子供が在学しているか否かは関係ない。そこがPTAと大きく違う組織なのだなと、納得した。

他に、住まいのある牛久保東町内会の総務もしている。町内会の役員としては若い方なので、防犯パトロール、夏祭りの準備などいろいろな役目が回ってくる。「本業に差し支えないのかしら」と余計な心配をしてしまうが、住宅センターでの応対以外に、神奈川県不動産コンサルティング協議会への出席など、当然ながら仕事もしっかりしている。

若さとバイタリティがまぶしく思えるインタビューになった。地域活動は、仕事をリタイアした人か主婦が担っている場合が多いが、高橋さんは、多忙な仕事をこなしながら、地域活動もしている。「これからの都筑区は、あなた達のような若きリーダーが必要だと思うわ。気負わず長く続けてください」と締めくくって、長い訪問を終えた。(2011年8月訪問 HARUKO記)

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