私、数えの80歳。でも、私が生まれた頃は年齢の数え方が現在の方法と違っていたので本当はまだなんです。昔は生まれたその日が一才。新しい年がくると一つ年をとるという風でしたから、もし、大晦日に生まれたとしたら、翌日には2歳ということになるんです。で、私は目下78歳のしわくちゃのギャルです。
よくもまあこの年まで、たいしたこともなく無事に過ごせたものだと、われながら、感心したりあきれたり。でも、考えてみれば、本当にいろいろなことがありました。
よく、怖いものは地震、雷,火事、親父とかいいますけど、私など、その上に戦争というもっと怖いものもたっぷり経験しているんです。お若い方は地震のことや津波の被害などはよく御存知。でも、戦争はまったく比べ物にならないんですよ。地震でも津波でも、ある一定の期間が過ぎれば落ち着くでしょうが、戦争はそうはいきません。
私は、小学校の5年生の12月8日から女学校3年生の8月15日まで、戦争を体験をさせられていたわけです。当時横浜で焼夷弾、爆弾、機銃掃射にあいましたし、四六時中命の心配をしていたのですから。食べるものもろくになくて、いつもお腹はぺッコペコでした。膝ががくがくしていました。栄養失調だったのです。
終戦後は米兵に追いかけられて、あわやというところまでいきました。まあ、あきらめずに頑張って事なきを得たのですが・・・。と、今日はこれまで。次回は戦後横浜での地震で失明の危機をどう乗り越えたかをお話しましょう。ではチャオ