(株)バンダイナムコゲームスに行ってきた。本社は東京の大田区矢口にあるが、横浜未来研究所の所在地は、都筑区新栄町15-1。1回目に訪問した「リコー中央研究所」に隣接している。

未来研究所の完成は1988年で、ニュータウンに進出した企業では古株だ。外観も立派だが、一歩入ったロビー(左)も、非常にあか抜けしている。

レポーターは男性2人、女性2人。私はゲーム遊びを知らない世代なので、どう話を持って行こうかと思案していたが、若い3人が心強い味方になってくれた。

おかげで話がはずみ、9時半から1時過ぎまでの長時間の訪問になった。応対してくれたのは、AMクリエイターグループ ゲームデザインチームのチームリーダー・藪下さん。「ワニワニパニック」を開発した方だ。ワニワニパニックは、次々と出てくる5匹のワニを、たたくゲーム。

ここの社員は、ラフな服装の人ばかり。「遊び」を創造している会社だから当然かもしれないが、藪下さんも、オシャレなカジャアルシャツで表れ、率直かつ真摯な語りで、会社の概要を説明してくださった。




赤レンガ風の壁には、最近までNAMCOの白いロゴがついていたが、ナムコは、バンダイと2005年9月29日に経営統合し、2006年3月に、バンダイナムコゲームスに社名を変更したばかり。ビルのロゴ(左)も新しくなった。

ゲームに強いナムコとオモチャに強いバンダイが合併して、1+1が3以上になる総合エンタ−テイメントの企業を目指している。取材の申し込みをした時の社名は、ナムコ。訪問先が旧ナムコの未来研究所なので、以下、ナムコの紹介に偏ってしまうが、ご勘弁を。





ナムコの歴史は、1955(昭和30)年、横浜の松屋屋上に設置した、電動木馬2台から始まる。左写真は、ナムコ提供。

創業者・中村雅哉氏(現会長)の「百貨店と言っても、遊びが足りないじゃないか。これでは九十九貨店だ」の発想で、遊びの空間を作った。これが人気を呼び、多くのデパートに設置されるようになった。

当時は中村製作所の社名だったが、1971年から、NAMCOブランドを使うようになった。35年も前にしては、オシャレなネーミングだ。

「百貨店にも遊びの場が必要」の中村氏の考えが、以後50年のナムコ発展の原点にある。ヨハン・ホイジンガの「人間は遊ぶ存在(ホモ・ルーデンス)である」に基づき、「夢・遊び・感動」が、バンダイナムコゲームス誕生後も、企業理念になっている。

一昔前は、勤勉こそ美徳であり、遊びはそれを邪魔する存在でしかなかった。この時代を知る私は、「遊び」を前面に出す企業が区内にあるだけで、感動してしまう。そしてここは「未来研究所」。名前からわかるように、未来の遊びを開発している所。こんな研究所の存在自体が、区民の「お宝」だと思う。




ナムコは、家庭用ゲーム機(ファミコン・プレイステーションなど)のソフトや業務用アミューズメントマシンのみならず、現在は、ケータイやネットワークのコンテンツにも進出するなど、業務範囲は実に広い。未来研究所は、業務用アミューズメントマシンを開発しているところだ。

研究所に在職するおよそ250名のうち、約150名が開発に従事。平均年齢が30歳代前半の、若い集団である。

試作室の見学は出来なかったが、3月末に発売したばかりの「太鼓の達人8」(左)をプレイさせてもらった。遊んだことがない人のために簡単に説明する。およそ90曲の中から、好きな曲を選び、画面の指示に従って、太鼓をたたいたり、休んだり、連打をする。打ち方が上手だと点数が高い。

レポーター4名の点数には、かなりの開きが出た。Tレポーターは、夢中で打ったので血豆が出来てしまったという。どおりで高得点を得たはずだ。私は点数が低かったけれど、連打することによって爽快な気分になった。次はもっと得点を増やしたい気持ちになる。こんなところが、ヒットする要因だろう。

キーボードやドラムが素材の「音ゲー」は、もう終わりじゃないかと言われ始めた2000年に、「太鼓の達人」のアイディアが出た。社内で反対の声も挙がったが、「作ってから反応を見よう」と試作したところ、大好評。今や、アミューズメント施設の全てに、置いてある。業務用だけでも、4000台以上売れたヒット商品だ。

ロビーには「太鼓の達人 大好評発売記念 金のタタコン」(左) が、ガラスケースの中に飾ってあった。これも「お宝」。


「太鼓の達人」を例にとって、ゲーム開発に、どんな人がたずさわっているか、書いてみたい。プロデューサーが全体のスケジュールを決める。ゲームデザイナーが、選曲をして曲の版権を交渉したり、太鼓用の譜面を作る。オリジナル曲の場合は、ミュージシャンが関わる。他に、ビジュアルデザイナー、外観をデザインするグラフィックデザイナーも必要だ。コンピュータプログラマー、メカ技術者も参加する。ソフトを新しくすると、電気的な認証を得る必要があるので、電気技術者も加わる。

ひとつのマシーンを完成・改良するために、これだけの職種が関わっていることに驚いてしまった。バージョンの変更は、今は、曲の変更が中心である。過去の選曲のデータを分析して、どういう曲が好まれているかをつかむ。もちろん、オリコンチャートなども参考にする。なぜ売れたか、なぜ売れなかったかを、マーケティングの手法で考えているのだ。




ナムコのアミューズメント施設は、区内にもある。地下鉄「センター南」の東急百貨店6階にある「ワンダーパーク港北」(右)が、それだ。

シネマコンプレックスと乳幼児専門店が同じ階にあるので、ロケーションとしては絶好。休日はもちろん、ウイークデーでも賑わっている。

こうした施設は、日本ばかりでなく、アメリカ、ヨーロッパ(拠点はロンドンとスペイン)、アジア(拠点は香港と上海)にもある。特にアメリカには1,000ヶ所以上あるというから驚きだ。

日本のゲームは世界一だと聞いてはいたが、これほど世界に進出している事実を初めて知った。




高齢者予備軍の私は、藪下さんに、おそるおそる切り出した。「今のアミューズメント施設は、私達には、うるさすぎます。でも高齢者にも”遊び”が必要だと思うんです。シニア向けのゲームや施設も、作ってもらえませんか」。

「ああ、もちろん考えています。リハビリを目的としたマシーンや、お年寄りが楽しめるゲームも作っているんですよ。ナムコが運営するデイサービスセンターには、『太鼓の達人』や『ワニワニパニック』も置いてあります」。藪下さんの返答は、心強いものだった。

障害者、高齢者向けの携帯用会話補助装置「トーキングエイド」も、20年以上前から販売している。ボタンを押すと声が出るので、声帯を失った人や、発話が不自由な人には便利だ。電話をかけたり、会話をする事が可能になったのだ。目の不自由な人が使いやすいパソコンの「パソパルマルチ」も販売中だ。

高齢者や障害者が、楽しみながら脳の衰えを防いだり、リハビリが出来るゲームも、続々登場している。今や、ゲームは、子どもや若者ばかりのものではない。「これからは、世代間をつなぐコミュニケーションツールにも成りうるのではないか」。こんな事を考えながら、未来研究所を後にした。
(2006年4月訪問 HARUKO記)

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