「こんなところに ナニコレ2!」
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名称 |
川和富士浅間大社石祠 |
種類 |
生産神 |
設置住所 |
横浜市都筑区川和町2338 |
移転経緯 |
港北ニュータウン開発工事に伴い、1982(昭和57)年7月旧川和富士塚頂上より、川和八幡宮境内に遷置された。
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建造者 |
旧川和富士塚の建造は近隣富士講中により
1860(万延元)年から1887(明治20)年4月までの27年間を要して築づかれた。 |
建造年 |
旧富士塚構築開始 1860(万延元)年、完成 1887(明治20)年4月
浅間大社祠・浅間大神碑を1977(昭和52)年7月 川和八幡神社境内に遷置
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建造の狙い |
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由来 |
江戸時代に興った山岳信仰の一つである富士山信仰で、富士講を作り交代で登山して
参拝する風習が流行した。一方、経済的理由などで、実際に富士山に登れない多くの庶民が、富士山に似た塚を築き、そこに登って富士を礼拝すると、実際に登ったと同じご利益を授かるとした講が大流行した。 当時には、江戸を中心に多くの富士塚が築かれた。
なお、旧川和富士は1978(昭和53)年に消滅したが、住民の要望により川和富士公園内に再構築され、今日に至っている。(政・教分離法の為、市営公園内には神社仏閣等の設置は許可されない)
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川和八幡宮境内に遷置された旧川和富士浅間神社石祠 |
旧川和富士頂上にあった浅間大神 |
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名称 |
戦没者記念碑 |
種類 |
記念碑 |
設置住所 |
横浜市都筑区川和町2338
川和八幡神社境内・日清・日露戦役・日中事変・大東亜戦争戦没者記念碑
横浜市都筑区佐江戸町2032
佐江戸杉山神社
港北区新羽町2586
西方寺駐車場内 日露戦役記念碑(元帥 乃木希典 筆) 境内・日清・日露戦役・日中事変・大東亜戦争戦没者記念碑
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移転経緯 |
当初からこの場所に建立された。 |
建造者 |
川和八幡神社境内記念碑:川和地区関係村村民代表 |
建造年 |
1901(明治34)年12月
佐江戸杉山神社記念碑:佐江戸町内会
1960(昭和35)年3月建立
新羽町西方寺境内祈念碑:
1901(明治34)年4月
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建造の狙い |
戦死者を弔い、名誉を永遠に記念するため。(建立当時は富国強兵の時代であった) |
由来 |
戦争で国のために命を捧げた将兵を鎮魂し、その名を永遠に記念し、戦争の惨禍を歴史に残す。 |
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日清戦役戦没者記念碑 (川和八幡神社境内) |
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名称 |
新富士 浅間神社石碑 |
種類 |
神神社石祠(池辺富士)
神社石祠(新池辺富士
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設置住所 |
横浜市都筑区池辺町2716(新池辺富士・都田中学校の裏山)
横浜市都筑区池辺町1550(池辺富士)
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移転経緯 |
移転なし |
建造者 |
池辺町冨士講 |
建造年 |
不明 |
建造の狙い |
富士山信仰講 |
由来 |
不明 |
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新池辺富士塚頂上の浅間神社石塔
本富士塚は、現存都筑富士塚には、何故か入っていない |
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名称 |
青面金剛庚申塔 |
種類 |
庚申供養塔 |
設置住所 |
横浜市都筑区池辺町2940 |
移転経緯 |
道路拡張整備に伴い宅地脇に移転 移転年月日等不明 |
建造者 |
數澤、池辺、星谷、中山他村長名の刻字あり |
建造年 |
1727(享保12)年10月吉日 |
建造の狙い |
集落への悪病の侵入を止め、集落の平穏と住民の無病息災並びに、五穀豊穣を祈願して建立した。
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由来 |
不明 |
青面金剛の解説
六臂(手が六本)向かって右手に上から宝輪・弓・ショケラ(人像)を、左手に三叉鉾・矢・宝剣を持つ。邪気を踏みつけ、二鶏(雄・雌)、三猿(聞かざる、言わざる、見ざる)あり。 上部には、日輪(太陽)、月輪(月)あり。 写真は典型的な青面金剛の庚申塔である。
写真の青面金剛は、ショケラを持っており、また、頭の後ろに頭光があるのが非常に珍しい。青面金剛は、庚申講の本尊として知られ、三尸(さんし)を押え神とされる。
(三尸とは、人の体内に住む三種類の悪い虫のことで、古代中国道教の教え)
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