今回のひと訪問は、NPO法人「結ぶ」の理事長である図子俊子(ずしとしこ)さん(左)。 「女性は年齢を知られたくない方が多いので、おっしゃらなくてもいいのですが」と言いかけると、「70歳です。歳を知られて困る事はなにもありません。横浜市の敬老パスが使えるようになったので、交通費がだいぶ減り助かっています」と、図子さんはほがらかに笑った。 「第6回 あったか復興支援 わすれない3.11 応援しよう都筑から」の大イベントが終了した3月末に、インタビューの時間をとってくださった。 このイベントには26団体が協力しているが、それを束ねているのが「結ぶ」である。 図子さんは「結ぶ」以外にたくさんの活躍の場を持っているが、今回は主に「わすれない3.11」について詳しく聞いてきた。
「お住まいは川和町ですね。どなたにも聞いているのですが、都筑に住みはじめた時期と理由を教えてください」 「23年前、ちょうど都筑区誕生の頃に越してきました。もともとは関西人ですが、父も夫も転勤族だったので、子どもの頃も結婚後もあちこち動いているんです。高校3年の時には横浜の高校に通っていました。夫の定年間近のときに、終の棲家に選んだのがここだったのです。横浜には多少の縁があるうえに、ブラリとこの辺りに来てみて、ほどほどの田舎でいて駅に近いのが気に入りました。思えば、私の人生の中でいちばん長く住んでいるのが都筑区です」 「”結ぶ”の前身である”つづき楽校”での図子さんの活躍は知っていますが、その前も地域活動をしていたんですか」 「越してきてすぐ、近くに加賀原地域ケアプラザが出来たんです。都筑ではここに顔を出したのが始まりです。でも若い時から、たとえ2〜3年でも自分が暮らす町に無関心ではいられませんでした。PTA活動もしましたが、東京の目黒区では街づくり推進委員をしたり、ゴミのリサイクルにも取り組みました」 「地域活動というのは、ほとんどがボランティアですよね。ボランティアを続ける活力の源はなんでしょうか」 「どこに行っても”生活の拠点”が欲しかったのです。仲間もできるし、社会生活を円滑にするためのノウハウみたいなものが、自然に身につきました。結局は自分に返ってくるんですよ」
「NPO法人結ぶ」(左がロゴ)は、あったかい地域を あったかい人を あったかい想いを 元気と笑顔でつなぐ ことをモットーに活動している。現在のメンバーは12名。浪江町(福島第一原発に近い町)から都筑に移り住んだ男性が、最近加わった。 「つづき楽校」は、日本全国に広がっている「だがしや楽校」の流れを受けた区民の、区民による、区民のためのボランティア活動団体。平成23(2011)年に発足。偶然にも東日本大震災の時だ。以後、あったか復興支援を活動の中心にしてきた。 「芽吹きの会」は東日本大震災被災地のママと子どもを応援するために発足。その後も物資の提供を続けてきた。 「2つの会が一緒になったんですね。なぜですか」 「同じような活動をしているので、活動の広範囲化、運営の効率化、継続性を持たせるために”NPO法人結ぶ”を結成しました。NPO法人にすると、寄付の依頼や会場提供をお願いしやすいんです。手続きは面倒ですが、法人化したことで行政などの信用度が高まり、良かったと思います」
6年前の東日本大震災の時に感じた将来への不安、恐怖、悲惨さを、ほとんどの日本人は忘れかけている。なのに、直接的な被害がほとんどなかった都筑の地で、「あったか復興支援 わすれない3.11 応援しよう都筑から」をモットーに、地道に活動しているのが「結ぶ」だ。1回目から参加しているが、年々盛んになっていくような気がする。被災地の人々全員に「私達は忘れてはいませんよ。応援していますよ」と教えてあげたい。今年のイベントは以下で。 第1弾は 2月26日の「福島の今とこれから」という講演会(会場は、かけはし都筑)。講演者は福島大学名誉教授の鈴木浩さんと同じく名誉教授の今野順夫さん
第2弾は、3月4日のアニメ映画「無念」の上映と講演会と被災地の人と交流会(会場は、歴史博物館講堂)。講演者は福島県浪江町町議の馬場績さん。浪江消防団物語「無念」の上映。
第3弾は 復興支援広場でのパフォーマンスや被災地の物品販売など(場所は、センター北駅前広場公園) 今年は26の団体が参加し、天気にも恵まれて大成功に終わった。すべての団体を伝えるスペースがないので一部を。
なお、この時に集まった義援金や販売などで得た利益は、被災地に送っている。
「図子さんの活躍を遠目に見ていて、いつも感心していたんです。20以上の団体を束ねる力、都筑の企業や団体への支援依頼、被災地の人たちとの途切れることない交流、みずから汗水たらしての行動、そして何よりも自然体で人に接する態度・・。生まれつきなんでしょうか」 「ボランティアを長年していると”來るものは拒まず去る者は追わず”や、流れに逆らってもしようがないという気持ちになりますね。許容範囲が広くないとやっていけないんです。”これは出来ない”とはすぐ断らずに”こういう方法なら出来るんじゃないか”と考えるようになりました」 「大学4年の時、1968年にアメリカに3ヶ月ほど留学した経験も大きいと思います。寮生活と20〜30軒の家にホームステイしたんです」(左) 「1968年の頃のアメリカは人種差別もあからさまだったし、1ドルが360円の時代。ご両親がよく許してくれましたね」 「両親には感謝しています。30ぐらいの家庭にお世話になったので、豊かな家とそうでない家があることがよく分かりました。外国人がステイするとなると日本人なら身構えてしまいますが、あちらの人は特別なことはしてくれません。でも日本からの女の子を疑いもなく受け入れてくれる。これって何なんだろうと思いましたよ。自然体で接することの大事さ、逆に黙っていたらやられちゃうことも学びました。ある程度の自己開示も必要でした。わずか3ヶ月ですが、グレイハンドのバスでアメリカを横断した経験は得がたいものになりました」
「結ぶ」の活動は、「わすれない3.11」だけではない。被災地訪問や福島の子を招いての「福島kidsどろんこプロジェクト」ほか、地域のフェスタにも参加している。これだけでも忙しいのに、他に「ネットカフェかがはら」や「つづきグリーフケア協会」にも活動の場がある。詳細は又の機会に紹介したいと思っている。左は「ネットカフェ10周年(平成27年)の時の写真。 「これだけ活躍していると、プライベートな時間はあまりありませんね」 「いやあそんなことありませんよ。ちょっとした旅にも行くし、家族との交流にかなりの時間をとっています。少し自慢話させてください。子どもは3人ですが孫が8人もいるんです。それも男が4人、女が4人。わりと近い所に住んでいるので、孫たちに財布が狙われています」 リーダーとしての凛とした態度が一変するほどの「オバアチャン」ぶりを、最後に見せてくれた。ひと訪問のたびに感じる「都筑にこの人がいて良かった〜」の思いを強くして、インタビューを終えた。 (2017年3月訪問 HARUKO記) |