今回の訪問は、地下鉄ブルーライン「中川駅」の近く、牛久保にお住まいの塩入廣中さん(74歳)。

塩入さんの活動は、前から耳にしていた。ゆっくり話を聞きたいと思っているうちに数年が過ぎ、今は長年の宿題を終えた気分である。

2回に亘るインタビューは4時間を超えた。学生時代のこと、会社員時代のアメリカ駐在や中国出張のこと、地域活動を始めたきっかけなどを話しているうちに、時間は過ぎていく。

趣味もテニス・ボクシング・ウーキングなどスポーツ系ばかりではなく、語学・歴史など幅広い。1ヵ月の予定がびっしり埋まったスマホのカレンダーを見せてもらった。

それでいて「忙しい!忙しい!」を連発することなく、いつもひょうひょうとして気負った感じがしない。

笑顔を絶やさず、真剣な眼差しで答えてくださったことが心底ありがたい。

「長」と名がつく地域活動にたくさん関わっているが、詳細は後項で。


 港北ニュータウンに30年以上

「1990(平成3)年に中川にある高層マンションの港北ガーデンヒルズに入居されたそうですね。都筑のサイトなので皆さんに聞いているのですが、どうしてこの地を選んだのですか」

勤務先の東京赤坂からそう遠くないし、ガーデンヒルズは割安感があったので抽選に当たった時は嬉しかったですよ。でも当時の私は、港北ニュータウン(以下NT)を知らなかったのです。まだ地下鉄も通ってませんでした。周辺は原野みたいで、殺伐としていました」

「NT計画を知らずに越してきたのに、今はNTについて講演もなさっています。そして都筑区特に中川地区のみなさんにとっては、無くてはならない方。塩入さんがこの街の住人で良かった~という声をたくさん聞いています」

2022年7月には、「港北NT グリーンマトリックスから生れる市民参加の街(ふるさと)づくり」ー横浜市都市整備局 都市デザイン室主催ーに、講演者の1人として登壇した。

港北NTの緑道探索と地元野菜を楽しむモニターツアー10回(2022年11月~2023年1月)では、NT街づくりの話をプロジェクターを使って、分かりやすく説明している。

写真は、JAクッキングサロンでの昼食後のレクチャー。

この日のツアーは、NT誕生の経緯を知らない若い参加者が多く、完成までの長い紆余曲折に、真剣に耳を傾けていた。

「外国人向けのツアーが1回ありましたが、レクチャーは塩入さんが英語でなさったと聞いています」

「会社から派遣されて、アメリカのニューヨーク州に駐在していたので、少々ならお役に立てます」

写真はアメリカ駐在時代の楽しそうな笑顔。

塩入さんは、ガーデンヒルズに約10年間住んだ頃に父親と同居することになり、ヒルズから近い戸建てに越した。中川地区に住んで30年以上になる。


労働組合を作った

「地域活動には、それなりにエネルギーが要ります。思い当たる原点はありますか」

「学生時代は運動部でした。でも周りをみると、学生運動、高度成長による公害問題、安保条約改定など、社会問題に直面せざるを得ない時代でした。そんな時に入社した会社(富士ゼロックス。今は富士フィルムビジネスイノベーションに社名変更)には、労働組合がなかったのです。それで皆で労働組合を作り、組合の専従(組合の仕事だけをする)を約10年間しました」

「会社に睨まれませんでしたか」

「睨まれましたけど、いい会社でしたよ。給料の端数を寄付する端数クラブがあり、会社も同じ額だけ寄付して、社会貢献をしていました。この基金で、カンボジアでの学校作り、環境を守るイベントに参加、スペシャルオリンピックスの子どもたちの支援などに関わりました」

写真はカンボジアの子どもたちに囲まれた塩入さん。

「なるほど、原点は労働組合活動と会社での社会貢献ですね」


100点でなくてもいい 

「地域に関わるようになったのは、定年前からですね」

「マンションに越してきて2年後、1992年にマンションの理事長に選出されました。ゼロックスでのボランティアはあくまで企業人の立場。この時まで地域のことは考えてもいなかったですよ。でもほっておけない質なんです。100点でなくてもいい、30点でもいいやという精神で続けています」

マンションにはいろいろ問題がありました。楽しみにしていた商店街は出来ないし、駐車場の取り合い、パチンコ店の進出など問題山積みでした。そんな中で『中川駅周辺の街づくりを考える会』が発足しました」

「どんな団体で活動しているのか具体的に教えてください」と頼んだところ、次の8項目を書いてくれた。

① ぐるっと緑道理事長 ② ほっとカフェ ③ 花と緑のまちづくり(中川ルネッサンスプロジェクト会)

④ 中川駅周辺の街づくりを考える会 ⑤ 早淵川・老馬谷ガーデンプロジェクト ⑥ 中川緑と水と歴史をつなぐ会(横浜市地域緑のまちづくり事業団体) 

⑦ スペシャルオリンピックス日本・神奈川テニスコーチ ⑧ 牛久保町内会理事

       
ほっとカフェ
 
中川ルネサンスプロジェクト 
早淵川・老馬谷ガーデン 
緑のまちづくり 

①から⑥の活動報告は「ぐるっと緑道のHP」に載っている。たくさんの団体があるのでこんがらかってしまったが、ほとんどが「ぐるっと緑道」から派生したグループである。「すぐ旗を挙げたくなるんです」と楽し気。ボランティアは楽しくなければ続かないが、そのお手本のような方だ。

ぐるっと緑道のHP制作は、今アメリカに住んでいる塩入さんの息子さん。


 NPO法人 ぐるっと緑道

たくさんの代表を務めている塩入さんだが、講演などでの肩書は「NPO法人 ぐるっと緑道理事長」である。

「ぐるっと緑道と聞き、15キロメートルの緑道に関わっているように思っていたのですが、そうではないようですね」
「2003年に、区の生涯学習で『ぐるっと緑道・遊歩道』講座を主催しました。運営にあたったのは女性3人と中川駅周辺の街づくりを考える会(前項の④)。その時の講座名です。川手先生や金子保さんも講師として出てくださいました」

「この後で、横浜市地域まちづくり条例による『中川駅周辺のまちづくりグループ』として『ぐるっと緑道・遊歩道研究会』を発足させ、危険な道路の改善に取り組みました」

「歩車分離の遊歩道と言いながら、実際には途中で切れていました。車の往来もあり安心して歩ける状況ではなかったのです」

「安心安全な街を作ろうという住民の熱い思いが企業や行政を動かしました」

「横浜トヨペットやビルオーナーや土木事務所の協力を得て、2010年には歩道の安全化の工事が完成しました。長くかかりましたが、達成感は大きかったですよ」

写真は「ぐるっと緑道・遊歩道第9号」の転載。道路が拡幅され安全な歩道ができている。ここに至るまでに、たくさんの交渉が必要だったと思うが、どんなにか嬉しかっただろうと、想像しただけで胸が熱くなる

ちなみに、この時に9号だった「ぐるっと緑道・遊歩道」の会報は継続的に発行され、2023年現在97号である。今は近くに住む塩入さんのお嬢さんも、会報作りに関わっている。

「この運動が街づくりに発展し、コミュニティカフェーほっとカフェ中川ー(前項の②)が出来、中川ルネッサンスプロジェクト(前項の③)や早淵川・老馬谷ガーデンプロジェクト(前項の⑤)に繋がっているのですね」

「重複しているメンバーもいるし、ある会だけ活動をしている人もいます。中川を住みよい街にしたいと考えている住民、近くの小学校や都市大の学生や教授も協力してくれます。旧住民(NT前は農家が多かった)の理解を得られたことも大きいです」

こういう成功体験の話を聞き、街は住民が主体になって作っていかないとダメだと痛感した。行政にお任せの姿勢では前に進まないような気がする。


中川ルネッサンスプロジェクト(NRP)

筆者は北山田に住んでいるが、以前は中川駅周辺に買い物に行っていた。大きなスーパーマーケットも家電量販店もスポーツジムもあった。

駅前にはガラスのドームがあり、エジプトのオベリスク風の塔も立ち、それがかつてチベットと呼ばれた地に相応しいかどうかはともかく、ネオロマンチックのコンセプトで作られた美しい街並みだった。外観は今も変わらない。写真は2022年12月撮影。

ところが、センター北やセンター南に大型店舗が出来るにつれて、いつの間にか中川駅周辺は寂しくなった。かつてのネオロマンチックを再生しようとして出来たのが、上記の8項目③の中川ルネッサンスプロジェクト(NRP)である。

2013年度の「ヨコハマ市民まち普請事業」として実施され、助成金をもらった。活気が失われた中川の商業地区をいろいろな世代が交流できる賑わいの場に再生(ルネッサンス)しようとする取り組みだ。

具体的には、遊歩道の再整備(花壇・プランター・道しるべの設置・壁の緑化)、ベンチ、ステージ、階段アート、苗床の整備。

工事施行は2014年だが、ここに至るには、地域活動の長い歴史と深い繋がりがあればこそだ。

下の写真は、いずれも2022年12月26日撮影。真冬なのに彩がある花壇に心が和む。「花と緑のまち中川」のキャッチフレーズがウソではない。

 
「駅前みんなの広場」には周辺の案内図と
催し物の掲示板がある
 
「駅前みんなの広場」に連なるプランター
 
駅前の階段をあがると「ステージ広場」
ガラスのドームと花壇

 
「ステージ広場」のベンチも花いっぱい

 
正月が近いので広場のオーナメントの衣替え 塩入さんを手伝っているのはお婿さん

 
迎春の準備も整った

なお、早淵川・老馬谷ガーデンプロジェクト(HRG)については、つづき交流ステーションの「区民レポーターが行く」 で2017年に詳しくレポートしているので、それを見ていただきたい。


テニス・ボクシング・ウーキング・中国語・満蒙開拓団

塩入さんの趣味でユニークなのは、スペシャルオリンピックス選手のテニスコーチをしていることだ。スペシャルオリンピックスは、知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として行われるスポーツ組織。競技は夏冬あわせ26種類の競技があり150ヵ国以上が参加している。

塩入さんは、高専時代に軟式テニスの関東大会で優勝した実力者。今も中川の大久保テニスコートで6~7人の仲間と球を打ち合っている。

会社員時代も社会貢献としてスペシャルオリンピックスのテニスコーチをしていたが、定年後も続け今にいたっている。関東学院のコートを借りて月に2回。5歳から30歳過ぎの25人を指導している。「明るく素直な子どもたちとの交流は、ほんとうに楽しい」と語る。

中川駅の近くに、かつてのフライ級とバンタム級のチャンピオン、ファイティング原田ボクシングジムがある。「原田会長が、ほっとカフェによく来ていたので話すようになり、今は週に1回習いに行ってる」と聞き、驚いた。ボクシングは若者のスポーツだという先入観があったからだ。練習風景を見学したいものだ。


スペシャルオリンピックスの集合写真   2022年広島大会

 
ボクシング練習
左が塩入さん右がファイティング原田さん


他にも驚いたことがある。ゼロックス定年後の60歳の時に、北京の大学に語学留学をした。「仕事で中国に出張もしていたので、もっと自由に話せるようなりたいと思ったのですが、中国語は難しい。半年で留学は辞めました」と弱音をはいていらしたが、都市大の中国人留学生と交流もしている。

4つ目の驚きは、慶応大学文学部の通信制で学び、7年かかって卒業したこと。

「歴史学科の卒論は満蒙開拓団について5万字を書きました。中国に関心があった事、戦争・侵略を繰り返してはならないとの思いがありました。出身の長野県はもっとも多くの開拓団を出し、悲惨な話を聞いていたので、満蒙開拓団をテーマに選びました。慶応大学の通信制は、授業料は安いが面倒見はよくないので、自分で勉強するだけ。大学を卒業するのは数%なので、地域活動をしながら卒業するのは大変でした」

塩入さんの口から出ると、自慢話には聞こえないから不思議だ。

これだけ頁を割いても、私の筆力では魅力をお伝えしきれない。上記の8項目のひとつでも参加することで、オーラとやる気と元気を分けてもらえそうな気がする。

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