明治から大正時代に活躍した「ゆかりの”ひと”」を6回に亘ってお届けしていたが、一休み。

今回の訪問は、会社勤務のかたわら、地域活動でも活躍している志田政明(64歳)さんである。

志田さんは「都筑区少年野球連盟」の理事長である。キャップの真ん中には「つづき少年」、周囲には英字がプリントされている。

インタビューの日は、牛ケ谷戸公園で春の大会開催中だったが、途中で抜けて区民活動センターに足を運んでくれた。

というのも、志田さんはウィークデーは仕事で時間がとれない、土日も野球の試合や青少年指導員のボランティアで忙しい。

長年勤めている会社への感謝の思い、野球への熱い思い、地域への思い、故郷への思い、そしてなによりご家族への思いを、ソフトな語り口で伝えてくださった。



都筑区少年野球連盟 


筆者が都筑区少年野球連盟を知ったのは、近くの「すみれが丘公園」での試合を観戦した時。買い物帰りだったが、子どもたちの真剣さと行儀良さに惹かれ、しばらくその場を離れることができなかった。


 
バックネットと少年野球連盟の横断幕

 
審判もキャッチャーもバッターも凛々しい

 
出番を待つ子どもたち 
撮られていることを知らないのに行儀がいい


グローブとヘルメットがきちんと並べてある
整理整頓が行き届いている

 
この日の試合には、子どもたちの親は観戦していなかった。遠くでビデオを撮っているお母さんがいただけだ。
「三密にならないように、応援は遠慮してもらっています。いつもは親御さんの応援がすごいんですが」と運営スタッフは残念そうである。

この時に属しているチームは16ぐらいあります。毎年春・夏・秋の3回試合をしているんです」と聞いた。

こんな大規模な大会を都筑の人に知ってもらわねばと、理事長に時間を割いてもらうことにしたのだ。

現在は424名の学童が所属


「都筑区(少年野球)連盟所属のチームが16もあるのですか。以前と違い、子どもたちのスポーツは多様化していますが、野球をする子がこんなにいるのですね」

「全国的には野球人口は減少気味ですが、都筑区では感じません。今は424名います.。人数が足りなくて試合に出られないチームもありますから、今は14チームで試合をしています。住んでいる町のチームに属している子だけでなく、いちばん人数が多い横浜球友会は、広い地域から集まっています」

メンバーは男子の小学生と思いこんでいましたが、女子もいるんですね

「小学生は女子の方が体力がある場合が多いので、一緒にやっていけるんですよ。でもまだ少数ですね。娘も5年生までは入っていました。息子も入っていたのですが、3年生の時にケガをしましてね。辞めてしまいましたが、今でも残念です」と父親ならではの無念さを話してくれた。

「年間スケジュールを教えてください」

「春の大会が3月~5月、夏は6月と7月、秋は9月~11月。肘などに負担がかかるから冬の大会は止めるようにと、神奈川県の少年野球連盟から言われています。シーズン中でも投球数は70球と決められていますし、小学生で野球人生が終わりになるような不幸を防いでいます」



アウトかセーフがあやふやな場合はセーフ


「ブロックごとにリーグ戦をして、次はトーナメントで区の優勝チームが決まります。区、市、県と勝ち進むと全国大会に出場します」

「どのチームが強いんですか」

「優勝回数が多いチームは記録を見ればわかりますが、少年野球の場合は、そればかりが目的ではありません。
プロ野球などと違って、勝ち負けだけにこだわっているわけではないので、アウトかセーフがあやふやな時はセーフにします」

「あやふやな時はセーフって、いいですね。なんかホッコリします。審判は誰がするのですか」

「講習を受け、神奈川県から正式は審判資格をもらっている者がやります。今は15名ぐらいいます。チームの出身者が多くて、みんな野球好き。大人になっても離れられないんですよ。都筑区(少年野球)連盟の役員は8名いますが、そのうち3名は審判も兼ねています。私もときどき審判やりますよ」


上の写真は2019(令和元)年の春季大会の開会式。子どもたちも保護者も一生の思い出になるだろう。


野球が大好きなんです 


「志田さんというお宅は都筑の南部には、たくさんありますね。西條八十の父親も川向の志田家の出身なんです」

「私は佐江戸ですが、志田はたくさんいます。でも、婿に入ったので生れはここではないんです。岩手県の川井村(今は宮古市)で育ちましたが、3男だったので就職のために上京しました。60歳の定年までNECに勤め、今は嘱託で仕事を続けています」

「小さい時から野球は好きだったのですが」

「小中学校のころ、『巨人の星』が連載中でした。野球に夢中になったきっかけです。中学で野球部に入部。それ以来、ずっと野球は生活の一部のようなものです。NECでも軟式野球部に入り、キャッチャーをしていました。仕事前の朝、昼休み、夕方と練習漬けです。都市対抗で神奈川代表にはなれなかったのですが、市の大会では優勝したことがあります」


上の写真はNECの軟式野球部のメンバー。1985(昭和60)年、横浜市の大会で優勝した時。志田さんは前列左から2番目。
「態度が大きいですねえ」と苦笑い。

「仕事も楽しかったですよ。特にJAXAの”はやぶさ”の部品に関わっていたこともあります。地球に戻ってきた時はほんとうに嬉しかったですね。数年で嘱託も終わりますが、野球もやれて仕事もやれて、幸せでした。NECには感謝しかないですね」


「ところで、プロ野球の贔屓チームはどこですか」

「特にないんです。野球が盛り上がればそれでいいんです。でも横浜ベイスターズには球場を借りたり、大輔杯などでお世話になっているので、親しみは感じますね。三浦大輔が監督になる前からの大会で、各区から1チームが出て競います。野球教室も開いてくれます」

「三浦監督は、都筑区にお住まいだから、なおさらご縁を感じますね」


 青少年指導員


「仕事と野球連盟だけでも忙しいのに、青少年指導員もやっているんですね。どんなことをしているんですか」

「凧あげなどのリクレーション、緑道を歩く”ウオーク&フェスタ”、地域のパトロール、あいさつ運動など、青少年が健全に育つようにと、あらゆることをしています。都筑区は120名ぐらいの指導員が市長から委託されています。だから休日も家にいることはほとんどないですね」

訪問記を書くにあたって、細かいことはメールでやりとりしている。「これから佐江戸おちあい公園の草刈りに行ってきます」のメールをもらったのはウィークデーの夜8時過ぎ。夜中に草刈りをしている人がいて、きれいな公園が保たれていることを知ってほしい。

このように,休日ばかりか平日ものんびりしていられない。と言いながらも、そういった生活が楽しくてならない様子。羨ましいほど幸せなオーラを発している方である。退職すれば、周囲がほっておかないので、活動の場がもっと広がるに違いない。ますますのご活躍を願って、3時間ほどのインタビューを終えた。

 (2021年5月訪問 HARUKO記)


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