ドイツ人のハイスボルフ・マーティンさん(49歳)に話を聞きたいと思ったのは、前回のカテリーナさん同様、写真展がきっかけだった。都筑写真倶楽部4人展に、マーティンさん撮影の15作品が、展示してあった。 マーティンは名前、ハイスボルフが苗字だ。「名前の順序はどうしましょうか」と確かめたところ、「ここは日本ですから日本風にいきましょう」と明確な答えが返ってきた。 マルチンと呼ぶ人が多いが、それはマルチン・ルターが日本人になじみ深いからであって、「マーティンの方がドイツ語の発音に近いんです」とのこと。 「妻にも会ってほしいので家に来てください」と言われ、新栄町のお宅に伺ったのは5月21日。都筑区でもかろうじて見ることができた金環日食から2時間半後だった。望遠レンズで撮影したばかりの日食をスクリーンに映しながらの写真談義が長引いたこともあって、いつものようにインタビューは3時間になった。
都筑区にはドイツ人がたくさん住んでいるので、ドイツ人ということだけでは、会いたい気にはならなかったかもしれない。 写真展(左)のキャプションを見て初めて知ったのだが、マーティンさんは21年前に来日し、永住権もとっている。 キャプションはさらに続く。「ドイツ以外に、もうひとつのふるさができましたが、ときどきホームシックになるので2010年夏に6週間、南ドイツに家族で行ってきました。家族旅行なので子どもの写真が多いですが、南ドイツの景色も入れました」 「南ドイツってどちらですか」 「バイブリンゲンという町です。シュツッツガルトに近いんです」 写真展には、日本人らしき小さな子どもが、大きなお兄ちゃんに抱っこされている作品が出ていた(左)。日本人の子どもが、なんの違和感もなく溶け込んでいる。この1枚の写真の前で、しばし立ち止まってしまった。 後で聞いたのだが、このときは日本人の子供は1人だけだったが、今は2人に増えた。ハウスボルフ夫妻は、5男2女・7人の子だくさんだ。 話はそれるが、家族旅行の翌年、2011年5月にマーティンさんの写真展を開く予定だった。でも3.11の原発事故で、帰国命令。命令が出てから2時間しか余裕がなかったので、身の回りの物だけをもって急遽出国した。その時は「もう戻れないのではないか」と思ったほど緊迫していた。 ふるさとには友人や親せきもいるが、9人家族を迎えてくれるほど大きな家はない。でもまったく知らない人が、涙を流しながら「大変だったわねえ。お金はいらないから使ってくれ。ガス代も電気代もいらない」と、一軒家を提供してくれたそうだ。 マーティンさんの一家は6月に再来日したが、そのままドイツに残った人も多く、ドイツ学園を例にとると、まだ3割の子供が戻ってきていない。
マーティンさんは、ドイツ学園の教師だと勝手に思い込んでいた。でもドイツ学園のかかわりは、子どもが通っているということだけだった。今年6月までは小学生から高生校まで5人の子供が在園しているので、「親の会」の代表を務めている。 本職は、キリスト教プロテスタント派の宣教師である。1991年に、日本同盟基督教団に招かれて、奥さまと6ヶ月の長男(左)と一緒に来日。2年間は、教団が持っている軽井沢の日本語学校で日本語を勉強した。 1993年から2年間は、富山の日本の教会にいた。「インターンみたいなものでした」 その後1年間ドイツに帰国。再来日後の1996年から2000年まで、富山と千葉の袖ヶ浦で牧師をしていた。その後、再び2年間ドイツに帰国。 都筑区新栄町に居を構えたのは2002年。10年が過ぎた。「子どもたちが安全にドイツ学園に通えるような家を探しました」とマーティンさん。 たしかに、ドイツ学園のある「仲町台駅」からハイスボルフ家までの徒歩15分の間に、信号がひとつもない。せせらぎ公園の四季を感じながら通学できる子どもたちは幸せだ。
「実のお子さんが5人もいるのに、なぜ日本人の子供を2人も養子に迎えたんでしょうか」 肌の色が違う兄弟の写真を見た時からの素朴な疑問を、ぶつけてみた。 「動機はひとつじゃないんです。私も妻も、もっと子供が欲しいと思っていたので、横浜の北部児童相談所に相談しました。横浜だけで捨て子が800人もいるんです。少しでもお手伝いしようという気持ちもありました。子どもに良い環境を与えるのは、大人の責任です」 「赤ちゃんの時から育てたいと希望しました。でも、横浜市の場合は3歳近くならないと、里子にもできないんです。特別養子縁組ができるのは、4歳になってからです。ドイツでも、日本と同じように”3つ子の魂100まで”と言われています。本当は早い方がいいのですが」 だから、2人とも3歳近くなってハイスボルフ家の一員になった。3歳前後は、いっときも目が離せずいちばん手間がかかる時だ。でもお兄ちゃんお姉ちゃんたちが、競うように世話を焼いてくれる。彼らがベビーシッターになってくれるので、親の負担は少ない。 左写真は9人家族勢ぞろい。長男は去年からドイツで大学生活を送っている。次男も今秋からドイツの大学生になる。 「最初は、孤児のために世話をしているんだという気持ちがありました。自己中心的な考え方をしていたんです。でも実際に育てていると、自分のためになっていることに気づきました。パパ!ママ!と甘えてくれるだけで、すご〜く幸せな気持ちになります。逆に私たちが、2人から愛をもらっているんです。お兄ちゃんやお姉ちゃんが親になった時も、このときの経験が役に立つと思いますよ」
マーティンさんは毎週日曜日に、日曜礼拝をしている。教会の名前はFriendship House。 最初の訪問から約1か月後の6月17日、父の日の礼拝に参加させてもらった。この日の参列者は、奥様と長女のほかに5人の日本人。 テーマは「知恵」。一般的に、宣教師の話は説教くさくなるものだが、マーティンさんは押し付けるような話し方をしない。聖書の文言をプロジェクターで映し、私たちと対話をしながら、穏やかに話を進める。 「日本人と一緒に聖書を読んでいると、教えるより教えられることが多いんです。自分の角度だけで見るより、深い勉強になります」 「28歳で来日したときは、入信させたい、キリスト教を広めたいと張り切っていました。でも異文化に接すると人は変わるものなんですね。宣教師は偉いというイメージを持っていましたが、上下関係を捨てた方がいいと思うようになりました。今は、みなさんに奉仕するためにここにいます。”生きていてよかった”という人生を皆さんと一緒に歩みたいんです」 礼拝が終わった後にハプニングがあった。マーティンさんを含め参列していた3人のお父さんに、子どもたちから「父の日の手作りカード」が渡された。マーティンパパの最高の笑顔は下の写真でどうそ。
訪問のきっかけは、都筑写真倶楽部の写真展だった。写真は若い頃から好きだったが、数年前に写真倶楽部に入会したことで、作品展用の写真を撮る楽しみが増えたそうだ。 「写真のほかに趣味はありますか」 「前は詩吟をやっていました。今はトロンボーンを吹いています(左)。都筑区でカルマリー・トロンボーズという会を結成して、ときどき演奏会もしています」 写真倶楽部もカルマリートロンボーズも、マーティンさん以外のメンバーは全員が日本人だ。英語も達者なので、外国人のコミュニティだけで過ごすことも可能だと思う。でも、彼は日本人と積極的に付き合っていて、すっかり溶け込んでいる。 「外面はガイジンですが、心の半分は日本人です。納豆も大好き」と語る。こんな外国人が都筑区に住んでいる。区民としてこんな嬉しい事はない。 (2012年5月と6月訪問 HARUKO記) |