都筑区大熊町にお住まいの牧千恵子さん(左)を訪問してきた。

本職はヴァイオリニストで、ベル音楽事務所の代表だ。世界や日本を飛び回って演奏活動もしている。これだけでも忙しいのに、ボランティア団体の「横浜都筑文化プロジェクト」(詳細は後述)の代表を引き受けている。

私的なパーティーの場で「ひと訪問の頁に登場してください!」とお願いしてみた。びっちり埋まったスケジュール表を見ながら「××日なら空いてます」と、時間を割いてくれることになった。

牧さんは、写真でもお分かりのように、そこにいるだけで、場が盛り上がる明るさと華やかさとオーラを持った方だ。

「私、おしゃべりが好きだから、時間をたっぷりとりましょう」と言ってくれたので、心置きなく話を聞くことができた。

ヴァイオリンをはじめたきっかけ、ご主人のこと、お子さんのこと、ペルー・ゲルニカ・長崎・北海道の白老町・被災地気仙沼での演奏活動のこと、地域活動のこと・・。どの話を聞いても、彼女の若さとエネルギッシュな行動に圧倒される。そしてお人柄に魅了される。そんな3時間だった。

 
 ヴァイオリン練習は嫌いだった


「ヴァイオリンを始めたきっかけは何でしたか」

「父が、ほんのちょっとだけ戦地に行ってたんです。慰問にきた諏訪根自子(1920〜2012)さんのヴァイオリンを聴いて、娘が生まれたら習わせようと思ったんですって。3歳から通わされました」

「3歳から練習一筋ですか」

「そんなことないんです。練習が嫌で嫌で、怒られてばかり。でも中学の時に教室で練習していたら、クラスのみんなが集まってきて拍手喝采。この時から、ヴァイオリンの道でいこうと決めたんです」

「東京芸術大学に進学されたんですね。芸大時代はどんな学生でしたか」

「箱入り娘ですよ。演奏会に行くのさえ、父と一緒でしたから」と笑う。

今の牧さんには、箱入り娘の片鱗はない。思い立ったらすぐ行動するので、「主人は、あきれるというか、面白がっていると思うんですけどね」

「芸大卒業後は何をしていたんですか」

「越路吹雪日生ロングリサイタルで、ソロ・ヴァイオリニストをしていました。恩師の紹介でしたが、越路さんに気に入られなければすぐ首になるわけですが、2年間させてもらいました。同時に、フリーのヴァイオリニストとしての活動も始めました」


都筑に越してきたのは17年前


「お生まれは横浜の保土ケ谷でしたね」

「結婚して娘2人に恵まれましたが、ヴァイオリンも弾きたい。実家の近くだと娘たちを見てもらえるので、引き続き保土ケ谷に住んでいました」

「都筑の大熊町に越してきたのはなぜですか」

「主人の職場は、”劇団四季”でした。娘もここから近い中学に入学したんです。近隣に迷惑をかけない地に、音楽事務所を持ちたい思いもありました。こんな理由で、17年前に越してきました」。ちなみに、劇団四季の本社は都筑区に接する青葉区あざみ野にある。

「夫は、今は退職してフリーで舞台照明をデザインしています。”星の王子さん”の照明も担当したんですよ」

ミュージカル”星の王子さん”は、元劇団四季の団員だった岡本隆生さんの作・演出。9月13日と14日に都筑公会堂で行われた3回の公演は、すべて満席だった。

「お嬢さんも音楽の道に?」

「いえ、2人とも語学や異文化に興味があって。上の子はフランス人と結婚してフランスに、下の子はタイで仕事をしている日本人と結婚して、来年からタイ住まいです。家族の住まいはバラバラになりますが、寂しくないですよ。フランスもタイも料理が美味しいし、夏の暑い時はフランスに、冬の寒い時はタイに遊びに行こうと思ってます」

インタビューの間、ずっとイキイキしていて楽しそうだった牧さん。中でも、お嬢さんが外国に住んでいる話の時がいちばん輝いていた。


横浜都筑文化プロジェクトの化学変化


都筑在住は17年になるが、地域活動に関わりだしたのはほんの4年前だ。

「都筑公会堂でコンサートをした時に、都筑クラブの山田さん達がチケット売りなどを手伝ってくれたんです。それもあって、地域に恩返ししたい気持ちはありました。でもボランティア活動に協力したのは、2011年の星コン(星空コンサート)が初めてです」

外尾悦郎氏講演会(2014年4月)では、中心になって動いた。言うまでもなく、外尾さんはバルセロナに在住するサグラダ・ファミリアの主任彫刻家。外尾さんが担当した「生誕の門」は、世界遺産に指定されている。内閣府によって、「世界で活躍し『日本』を発信する日本人のひとり」に選ばれた。

牧さんは、スペインでの演奏会の時に外尾さんと知り合った。

「日本に一時帰国する話を聞いて、都筑区での講演をお願いしてみました。簡単に来てくださる方ではないのですが、文化プロジェクトのために協力しましょうとおっしゃってくださったんです」と嬉しそうに話す。

この講演会は、横浜都筑文化プロジェクトの本格デビューでもあった。

センター北駅とセンター南駅の中間空き地に、「夢スタジオ」という暫定施設が建っている。音楽や演劇の練習や活動に使っているが、あくまでも仮の施設。

本格的な文化施設建設を望んでいる区民はたくさんいる。この願いを応援するために生まれたのが、「横浜都筑文化プロジェクト」。

「実現までは大変だと思うんですが、本格的な施設建設への熱い思いは捨てていません。みんなで盛り上げていきたいです」と牧さん。

「横浜北部(都筑区・青葉区・緑区・港北区)には、ミナト横浜とは一味違う文化圏がありますよね。丘の手文化をもっと発展させるため、4区が交流して、ネットワークを深めたいと思っています」

9月6日の「横浜北部 ひと・まち 文化フォーラム」(左)第1日目の会合に参加してみた。主催は横浜都筑文化プロジェクト。

会場のシェアリーカフェ(中川・ハウスクエア1階)は、熱気につつまれていた。「ライトニングトーク」では、約20の文化団体が活動内容を発表。聞き入る人も熱心に耳を傾け、画面に見入っていた。わが交流ステーションも、副代表がアピールした。

4区から集まった多種多様な人たちが、ミナト横浜とは一味違う丘の手文化を育てようと盛り上がり、交流会は成功に終わった。

牧代表の挨拶も見事だった。「このプロジェクトは生まれたばかりですが、どのように化学変化を起こしていくのか、私自身もワクワクしているんです」

2013年11月のプロジェクト発足式からずっと応援している私も、今後の化学変化を楽しみにしている。



砂漠の一滴 


「日本の裏側のペルーにも、よく演奏に行ってらっしゃいますね。どうしてですか」

「1999年に、日本人移住100周年のイベントに招待されたんです。貧民街の孤児院や砂漠地帯の極貧街でもコンサートをしました。食べることさえ十分でないのに、コンサートを聴いてくれるだろうか。心配しましたが、とんでもない、子どもたちのまなざしに心を揺さぶられました。音楽の力ってすごい。それにしても、この貧困。自分は何ができるのか考えました。帰国してすぐ『ベンタニージャの水』というオリジナル曲を作り、CDにもしました」

「食糧支援をする目的で、2005年に『砂漠の一滴』という会も作りました。ひとしずくの水が砂漠に緑をもたらすように、1人1人のまごころが、子どもたちに明るい未来をもたらすという願いがこめて、名づけました」

「1年半に1度ぐらい、リマに行ってますが、日系人の加藤マヌエル神父はじめ、日系人協会、日系婦人会、企業などなどたくさんの方が応援してくれます。一度に1000人分の食事を配っているんですよ。食事は、日系2世のサンフェルナンド氏から寄付をいただいてます。そんな時は200羽分の鶏肉を用意します。壮観ですよ〜」

ペルーでの活動を聞いていると、子どもたちの感受性の豊かさやはじけた笑顔が伝わってくる。日系人たちの団結や弱者への思いやりや優しさが伝わってくる。そして、牧さんとMiyackさん(『砂漠の一滴』のよき理解者でアコーディオン奏者)が、楽しそうに子どもたちに寄り添っている様子が伝わってくる。

「私もペルーまで行ってお手伝いしたいなあ」と思わず口にした。

   
 
こんな目の前で生演奏を
聴ける子どもたちは幸せだ


 
活動を支えてくれる人たち
中央は「砂漠の一滴」のよき理解者の加藤マヌエル神父





 人に近いところで音楽がしたい


牧さんとアコーディオンのMiyackさんは、2004年に、「Deux Marche (ドゥ・マルシェ)」というユニットを組んだ。

「Deux Marcheって、フランス語で、2つの市場という意味ですね」

「そのとおりです。私はいつの頃からか、人に近いところで音楽をしたいと思うようになったんです。音楽という名の野菜や果物が並ぶ市場。ニンジンやピーマンやバナナが並ぶように、いろいろなジャンルの音楽が並んでいる。その音色に誘われて、道行く人が思わず足を止める。 どんどん人だかりができる。歓声があがる。こんな場面を夢見て、Deux Marchesという名前をつけたんです」

「クラシックというと、観客席から離れた舞台でのコンサートを思い浮かべてしまいますが、Deux Marcheは、”ようこそ音楽市場へ”というわけですね。楽しそうですね」

Deux Marcheの演奏は、ペルーだけではない。イタリアやスペインにも足を運ぶ。イタリアのクレモナは、弦楽器制作者として有名なストラディヴァリウスの出身地。ヴァイオリン奏者の牧さんが、最高のヴァイオリンを作ったストラディヴァリウスのふるさとで、音楽市場を開く。こんな幸せがあるだろうか。


イタリアのフィレンツエの街角で
路上ミュージシャンと

 
スペインの辺鄙な村シロスでも
音楽市場が始まった。シロス村は
グレゴリオ聖歌を世界に広めた村


スペイン北部の小さな街・ゲルニカでも、すでに5回演奏している。ゲルニカとの繋がりは、長崎に始まる。長崎で会った被爆者の話を聞いているうちに、「生きて」というDeux Marcheのオリジナル曲が生まれた。各地で演奏しているうちに話題になり、長崎平和特派員に任命された。

長崎は原爆が投下されたところ。ゲルニカは、ドイツによって無差別攻撃を受けたところ。ピカソの名画「ゲルニカ」の舞台でもある。長崎平和特派員が、この2つの地域での演奏につながった。

 
原爆被害者の思いがつまった
「生きて」の曲がきっかけで
長崎の平和特派員に任命された

 
ナチスが無差別攻撃を行ったのは
1937年4月26日
その日付が残る場での演奏会



 土地の人とすぐ仲良くなってしまう


思いったったらすぐ実行するとは聞いてはいたが、3.11の3日目に被災地の気仙沼に行った話にはびっくり仰天してしまった。道路も開通していない、どんな状況になっているか分からないのに、現地にいる友人を励ますために自家用車で向かった。それ以後、宮城県気仙沼への慰問は続いている。10月26日と27日に、市内各所とキッズクラブ「おひさま」で演奏してきたばかりだ。

北海道のアイヌが多く住んでいる白老町の観光大使もしている。コタンコンサートという手作りコンサートに参加したことから白老町の人と仲良くなった。中学の校歌を作詞作曲する仲にまでなった。

「どこに行ってもすぐ土地の方と親しくなるんですねえ」

「そうなんです。演奏会を通じて出会った人に導かれているんです。逆にお世話になることばかりなんですよ」

こうした数々の演奏活動以外に、レッスンもしている。「中高年からヴァイオリンを弾く講座」(新横浜で月に2回)の生徒は、40歳ぐらいから80歳ぐらいと文字通り中高年。初めてヴァイオリンを触った人がほとんどだが、その熱心さに逆に励まされることもある。

上級者がアンサンブルを楽しむ木曜弦楽アンサンブル」というレッスンもある。センター南の「SENCE」を会場にして、月に1回、腕を磨いている。

この2つ以外のレッスンや、コンサートスケジュールの最新情報は、ベル音楽事務所のHPで。

Deux Marcheの演奏曲目は、シャンソン、タンゴなど南米の曲、スペインのカルメンファンタジー、オリジナル曲と幅広い。列記する余白がないので、リンクをクリックしてほしい。


牧さんを訪問したかったのは、文化プロジェクトの活動を詳しく知りたかったからだ。少し気軽に考えていたが、牧さんの活動の幅があまりにも広く、素晴らしい。こんなにもチャーミングでエネルギッシュな方が都筑区に住んでいることを、みなさんにお伝えしたくなった。ページ数が限られているので、書き残したこともたくさんある。またの機会に加筆できることを願っている。

                            (2014年9月10月訪問 HARUKO記)
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