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千葉さん前回の井口正幸さんに紹介されて、千葉茂樹さん(70歳)を訪問してきた。加賀原ケアプラザに勤務していた井口さんが、「いろいろ協力してもらい助かりました」と話していた。

千葉さん(左)は、池辺地区民生委員児童委員協議会(池辺地区民児協)の会長である。

筆者は長いこと都筑に住んでいるが、池辺は馴染みがない。町の雰囲気を知りたいこともあって、池辺町にある都田小学校コミュニティハウスの図書室でのインタビューになった。

コミュニティハウスに入るや、館長はじめスタッフから次々と、「ようこそ」「こんにちは」の声がかかった。インタビューの間も「お話中すみませんが」と言いながら、いろいろな方が相談や報告に来る。

千葉さんが池辺町でいかに親しまれ、頼りにされているかが、よくわかる。



お世話できる幸せ

千葉さんは、民生委員になってから6年以上になる。任期は3年だが、今年から3期目に入った。

「ほんとうは、2期で辞めたかったのですが、次をやってくれる人が、見つからなかったのです。頼りにしてくれる方がたくさんいます。そんな方をほっておけませんしね。自分のためでもあるんです。他人さまをお世話できるのは、ほんとうに幸せです」と千葉さん。

他人からみると「苦労ばかりで一銭の得にもならないようなこと」を、一生懸命やっていらっしゃる方が実に多いことに、”ひと”訪問で気がついた。「お世話をできることが嬉しい」とみなさんが口を揃える。「日本人も捨てたもんではないなあ」と、誇りすら感じる。

池辺地区の民生委員児童委員は、50代から60代の14名。男性が8名、女性が6名だ。全国的にみると、女性が多いが、ここでは男性が多い珍しい地区だ。

民生委員児童委員の委嘱総数は全国で、228,728人。男性は91,990人、女性は136,738人(平成22年3月現在)で、男性は4割に過ぎない。

健康の集い珍しいと言えば、池辺町は、ニュータウン地域に入っていないので、農村だったころのコミュニティが残っている。こんな地域にもかかわらず、民生委員をやっている人は、土地っ子より新住民が多い。現に、千葉さんも、生まれ育ったのは宮城県で土地っ子ではない。

「千葉さんはよく会長になれましたねえ」と言われることもある。その言葉の裏には、「土地っ子ではないのに」のニュアンスが含まれている。

左写真は、去年12月の池辺地区民児協の「健康の集い」。千葉さんは、集まりや行事があるたびに、複数の写真とイラストが入ったアルバムをパソコンで作成して、みなさんに喜ばれている。

都田小コミニュティハウスにも、千葉さん作成の大小のアルバムが掲示板に貼ってあった。写真の技術もさることながら、パソコン操作も達者だ。


防災グッズ「安心くん」 

民生委員制度は大正6年の岡山県の「済世顧問制度」と大正7年の大阪の「方面委員制度」が始まり。平成19年には済世制度発足90年の記念大会が開かれたそうだ。ちなみに済世は、「世の弊害を除き人民をすくいたすけること」と、広辞苑に載っている。

このように長い歴史を持つ制度だが、最近は、たとえ独り暮らしであっても「構われたくない」、「プライバシーには触れないでくれ」という人も多くなってきた。高齢者の独り暮らしは気にかかる、でも家の中までは入りにくい。こういうジレンマを抱えながらも民生委員は、地域住民に目配りしている。

安心くん気がかりを減らす手段として、独り暮らしの高齢者向けに自治会が配った防災グッズ「安心くん」を利用している。

安心くんの中身(左)は、水・懐中電灯・笛などだが、「水がなくなってないか」「電池が減ってないか」の点検が、訪問の後押しになっている。

防災グッズの配りっぱなしの自治体が多い中、池辺町の取り組みは、千葉県や静岡県から取材にきたほど注目されている。

千葉さんは、担当の6人を3か月に1度ほど訪問している。



顔のつながり

民生委員は聞いたことがあるが、児童委員がセットになっていることを知らない人が多いと思う。平成6年から民生委員は、児童委員も兼ねるようになった。民生委員の時代には、高齢者や障害者が主な対象だったが、子育ての相談や支援も兼ねるようになった。

児童だけ専門の担当者は「主任児童委員」と呼ばれる。千葉さんと話をしているときに、たまたま主任児童委員の田丸恵美子さんが、ニコニコしながら現れた。思わず引き止めて、児童委員の役割を聞き出した。

「不登校や虐待などがあるらしいと分かっても、ズカズカ入り込んでいけないから、じれったいこともありますよ。でも、普段からの顔のつながりや、何気ない見守りによって、垣根はとれます」。

顔のつながりについては、千葉さんも「そうそう!」と話し出した。「表を出歩くことが大事なんです。地域の人に声掛けをして、顔を知ってもらうようにしています」。

コミュニティハウスでのインタビュー後に、周辺を少し歩いた。自転車に乗っている子どもや店のおかみさんやちょうど出てきたお寺の住職の奥さんとも気軽に声を交わしていた。こういう日常の何気ない会話が、事が起こった時に、役立つにちがいない。


防災無線見守りネットワーク 

池辺町の自慢は、連合町内会と社協(社会福祉協議会)と民協(民生委員児童委員協議会)のまとまりが良いことだ。町内のことは、3者で相談するが、良いことはすぐ実施される場合が多い。

そなえ事業平成20年に区が「つづきそなえ事業」を募集したときにも、3者の意見がすぐ一致。防災無線見守りネットワークを申請して、区の審査が通った。

10の自治会に、1人ずついる無線担当者の家には、無線が通じている。このネットワークに入りたいということで、幼稚園や保育園も、自己負担で、同じ周波数の無線を取りつける準備を進めている。

この地区は、東日本大震災の時に、いっときは停電になり電話も通じなかった。こんな時には、無線が威力を発揮する。一人暮らしのお宅にすぐかけつけたところ、オロオロしていた方がほんとうに喜んでくれたそうだ。



 自動車学校の校長先生

インタビューの場であるコミュニティハウスの場所がよく分からないので、途中まで迎えに来てもらった。車に同乗させてもらったときに「なんて慎重な運転をするんだろう」と驚いた。信号で左折するときも、3方をきちんと確認する。なるべく右折しなくてすむ道を選んでいることも、聞いた。

池辺町を歩いた時にも、あちこちに目を配り、特に子供たちに対する目が優しい。これらの行動は、千葉さんが長年携わってきた仕事を聞くと、なるほどと思う。

鴨居の自動車学校設立(昭和39年)と同時に指導者になり、校長を勤め上げた。昭和39年といえば、高度成長期のはじまり。マイカーブームが起こり、自動車学校がもっとも忙しい時に勤務していたことになる。パソコンで予約ができるようにしたのは、県下では初めてだった。免許試験の練習問題をパソコンに載せるなど、新しい試みにも挑戦してきた。

定年後も今も相談されることが多いが、「他でやってないことをやれ」と、具体的なアドバイスもしている。

若いころ 校長のころ 講師
指導員をしていたころ。 校長をしていたころ。 ドライバー向け講習の講師をしている。 


老人ホームや病院への送迎など、ボランティアドライバーの需要は多くなっているが、事故を起こしてからでは遅い。そのボランティアドライバー向けの講習を、月に1〜2度引き受けている。

千葉さんの提唱は、高齢者でも持続できる運転だ。講習会では、注意点を3つに絞っている。

1つは速度をオーバーしないこと、2つ目は早めにウインカーを出して合図すること、3つ目は左右前方を目視して、なお自分に言い聞かせる。

この3つは、当たり前のようでいて守っていない人が多い。運転の指導者ならではの名言を、筆者もしっかりと胸にしまいこんだ。

「忙しい人ほど、より忙しくなる」とよく言われているが、千葉さんも家でじっとしている時間はほとんどない。前述したように、パソコンでのアルバム仕上げもお手の物。今はほとんどデジカメで撮っているが、長年フィルムで撮ってきただけに、写真にセンスを感じる。

若い頃から好きだったハーモニカは、楽譜を見ないでも100曲以上演奏できる。老人会や児童の集まりにもしばしば呼び出される。老人会のゲストで呼ばれることはあっても、自らが民生委員の世話になることはないのではないか。そんな風に思えるお元気で前向きな千葉さんだった。(2011年7月訪問 HARUKO記)

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