以前から行政書士の安藤優介さん(35歳)を、訪問したいと思っていた。行政書士の仕事がどんなものか知りたい、交流ステーションのバナー広告に出してくださっているご縁もある。

客が少ないお盆休みの日に、事務所にうかがった。行政書士サポートオフィス横浜(仲町台1-8-9-508)は、地下鉄「仲町台」から歩いて1分のビルの一室にある。

熱中症の注意報が出るような日だったが、さわやかな笑顔(左)で迎えてくれた。

「取材されるのは初めてなんです。慣れていませんが、基本的には隠し事がないので、たいていのことには、お答えできると思います」と、はなから初々しい。こちらが、恐縮してしまう。

どの取材でもそうだが、事前に質問事項を提出している。それに対して事前にメールで回答をいただいた。誠実なお人柄がにじみ出ている。



大学卒業時は氷河期だった! 


仲町台にサポートオフィス横浜を開設したのは平成22(2010)年と、最近である。左写真は、オフィスの玄関扉。

安藤さんが大学を卒業した1999年は、就職超氷河期だった。職につけない先輩がたくさんいた。

「こんな状況を目にしていたので、資格を取らないとダメだなと大学3年のころから考えていました」

「大学生と専門学校のダブルスクールでしたか」

「いえ、卒業してから法律専門学校に1年間通いました。そこで勉強したおかげで、行政書士の資格を取ることができました」

資格を取ったからとて、すぐ個人事務所を開設できるものではない。どんな世界もそうだが、実務を経験しないと一人前になれない。

安藤さんは、地理的にかなり離れた福岡の行政書士事務所で、4ヶ月間修業した。医学の世界でいえば、インターンみたいなものだ。

「どうしてそんなに遠くの事務所に行ったのですか」

「研修会でお会いした時に、先生のお人柄に惹かれました。教えを請うならこの方だと」

実際に福岡では、行政書士としての心構えや考え方、特に文書作成能力を徹底的に指導していただいたという。「この4ヶ月がなければ、今の私はいません」とまで言い切る。

その後、荏田東の自宅で事務所を開き、行政書士として歩み始めた。その一方で、数年間、新横浜の法律事務所でアルバイトをしながら実務を学んだ。法律事務所では正職員にと声をかけてもらったが、「自分が目指している業務に挑戦したかったので、お断りしました」と安藤さん。

自宅は駅から離れているので、駅から徒歩1分の今の所に事務所を移転した。

交通事故の被害者が泣いているニュースを見た 


「ところで、○○士という職業はたくさんありますね。行政書士は具体的に何をするのですか」

「江戸時代からあったようですが、ルーツは代書屋。字が書けない人の代わりに、文書を作ったことが始まりです。明治5(1872)年の太政官布告で、代書人と代言人と証書人が決められました。その後、代書人は行政書士・司法書士・税理士・土地家屋調査士・建築士・弁理士などの専門に分かれました。代言人は弁護士、証書人は公証人になっています」

行政書士を”街の法律家”という言う人もいる。でも安藤さんは「法律家というより、もっと身近な”街の代書屋さん”と思ってもらいたいですね」と、謙虚だ。

安藤さんの言う街の代書屋にもさまざまな業務がある。代表的なものは、相続や遺言に関するものだが、安藤さんは主に「交通事故」を扱っている(左)。

行政書士になろうとしたきっかけは、大学生の時に見たニュース映像だった。交通事故の被害者がケガに苦しんでいる姿、どうしてよいのか悩んでいる姿が、テレビに映っていた。被害者の力になりたい!と思った。

「保険会社がやってくれるんじゃないんですか」

「保険会社は、加害者になったときは、解決してくれます。でも被害者になった場合は、自分の保険会社が動いてくれないことが多く、加害者の保険会社の言いなりになってしまう例がたくさんあります」

左写真は、人骨の模型。交通事故の依頼が多いので、説明の時に使っている。無事に完治したときはまだしも、後遺症が残った場合は、加害者と被害者のあいだで揉めることが多い。

そんな時が、安藤さんの出番だ。「自賠責保険請求手続き」「後遺障害申請」「後遺障害異議申し立て」「損害賠償額計算書作成」「紛争処理センター提出資料作成」などで、被害者の手助けをしている。

「ありがとうございました」「先生に依頼してよかったです」「おかげで気が晴れました」などの感謝の言葉をもらうと、仕事冥利につきるそうだ。


 仕事塾の事務局長


安藤さんは、行政書士が主催・運営する研修会「仕事塾」の事務局長を7年半務めた。左写真で白板の前でマイクを握っているのが、安藤さん。

仕事塾参加者のほとんどは行政書士だが、なかには弁護士や司法書士や行政書士を目指している受験生もいた。

仕事塾は平成23(2011)年に幕を閉じたが、事務局長の仕事は大変だった。研修会のお知らせ、講師の依頼、参加者からのクレームへの対応など、雑用を一手に引き受けていた。

「福岡の行政書士事務所で行政書士として成長させてもらい、仕事塾で人間として成長させてもらえたかなと思っています」


出身は荏田南中学 


中学入学と同時に、東京の世田谷から荏田東に越してきた。都筑区が誕生していないころで、荏田東は緑区だった。「まだ巨大迷路があった頃ですよ」

1994年に、緑区の一部と港北区の一部が合併して都筑区が生まれた。

荏田南中学のときの部活は、柔道部(左写真)。
「勉強はしませんでしたが、中学時代は楽しかったですよ」と、なつかしそうに話す。

高校と大学は都内だったが、自宅から通学した。行政書士の資格を取ってからも、福岡に研修に出た以外はこの地に住んでいる。正真正銘の「都筑っ子」だ。都筑区が大好きだという。

自宅から仲町台までスクーターで通っているが、この真夏でさえも、実に気分が良いそうだ。

「青い空・白い雲・まぶしい太陽・木々の緑の下をスクーターで走る自分、そんな光景を事務所から眺めている自分。幸せだなあと思います」


婚活中??? 


「仕事以外に、打ち込んでいることはなんですか」

「仕事で頭がゴチャゴチャしてしまったときは、インターネットの花札(左)や将棋で気分転換をします。相手がいなくてもできますから、気楽でいいですよ」

「運動系は?」

「バイクの免許は持っているのですが、今はスクーターで楽しんでいます。柔道は今はやってません。週に1回程度ジムに通って身体を動かしています」

別れ際に「なにか一言ありますか」と話を向けた。

「そうですね。交通事故でお悩みの方は、いつでもご相談ください。それから、婚活中です。明るくて心の優しい方はぜひ声をかけてください」と、ちょっと照れた笑顔が返ってきた。   
                                           (2012年8月訪問 HARUKO記)

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