今回は、平成20年度の神奈川県優良工場に表彰された2社、第一塗装工業(株)と(株)イシイ精機を訪問してきた。両工場とも都筑区にある。 神奈川県内には、1万以上の中小企業がある。その中から経営成績・作業環境・生産技術が優れていて、労働災害・公害の発生防止や労働時間の短縮に取り組んでいる工場を、優良工場として表彰している。県庁で行われた表彰式の写真(左)は、神奈川県商工労働部工業振興課に提供してもらった。 この制度が始まったのは、1958(昭和33)年。50年間で表彰された工場は663にのぼる。平成20年度に表彰されたのは8工場だが、他の6工場は大和市・伊勢原市・座間市・秦野市・川崎市・相模原市にあり、横浜市で表彰されたのは都筑区の2社だけだ。
最初に、佐江戸町739にある第一塗装工業(株)(左)を訪問した。都筑区の最南端に位置するこの一帯には町工場がたくさんあり、商業施設が林立する区の中心部とは、趣を異にする。 業務内容の説明や工場内の見学も、すべて早川社長が応対してくださった。 川崎市中原区で、1941(昭和16)年に創業した。1971(昭和46)年にNECがこの近く(今「ららぽーと横浜」がある地)に工場を作ったことで、第一塗装も移転してきた。創業以来、NECの電子機器塗装業務を担っていたからだ。 主にケータイの電波中継基地の装置(屋外のアンテナなど)の塗装を行っている。「われわれがやっているのは、パソコン・テレビ・家電・自動車のような量産製品ではなく、ニッチなんです」と早川さん。 「ニッチってなんでしょうか」「すき間産業のことです。他の会社がやらないような小ロット多品種で勝負しています」。広辞苑によれば、「ロットは生産や出荷の単位としての同一製品の集まり」
事務所で話を聞いたあとに、塗装を行っているところ、製品を研いでいるところ、製品検査をしているところを見せてもらった。品質検査が徹底していることに、感心してしまった。塗りの厚さ・光沢・色差について、目で見るばかりでなく、器械で測定する。多少の色の違いなどどうでもいいと思うが、他社の部品と組み合わすこともあるので、揃えねばならない。日本の工業製品の高品質は、こうした工場によって支えられていることがよく分かった。
塗装には特別の技能が必要で、習得するには20年ぐらいかかる。神奈川県には約60社の塗装業者があり、毎年塗装技能コンクールが行われている。第一塗装には、特別賞5賞のうち4賞を獲得(平成21年3月に表彰)したほど、優れた技能者がいる。 工場に入ると、シンナーや塗料のにおいがした。でもこのにおいは、年々減少しているとのこと。従来の塗装は塗料を溶かすためにシンナーを使っているが、シンナーを使わない粉体塗装の割合が増えているからだ。 粉体塗装(左)は、粉の塗料を吹きつけてから、高温で塗料を溶かす。光化学スモッグの主要因であるシンナーを使わないので、VOC(揮発性有機化合物)を削減することができる。 国はVOCを2010年までに2000年比で、30%削減するように法規制しているが、第一塗装は、ほぼクリアしている。「粉体塗装は素材によってはすぐ剥げるなど欠点もあり、すべてを粉体塗装するにはまだ時間がかります」とのこと。環境を守ることと、高品質を守ることの兼ね合いが難しそうだ。
「親会社が不景気になるともろに影響を受けますね。100年に1度の不況と言われていますが、大丈夫でしたか」と、失礼を承知で聞いてみた。 「去年の今頃は苦しかったのですが、県の振興課の協力を得ながらNEC以外の仕事もするようになり、おかげさまで今は少し回復しています」と早川社長(左)。 「企業は誰のものかと問われたら、私と社員のものであるとはっきり答えますよ。社員全員が会社の決算内容を知っています。自分たちの努力の結果が、売上や利益に反映されるかを知って欲しいからです。ですから大企業のように、簡単に人員整理などできませんよ」とも語る。 社長は、先代社長の一人娘と結婚。大卒後に銀行に勤めていたが、平成元年に入社。未来を見据えながらも、社員に優しい目を向けることができるのは、異業種を経験してきたからかもしれない。
就任5年目の堺社長が、説明から現場の案内まですべてを担ってくださった。 横浜市港北区で1968(昭和43)年に創業。ここに移転したのは2005(平成17)年。「以前の工場は汚くて狭かったんです。僕ならこんな環境で働きたくない。社員のモチベーションをあげるには、見た目も大事。空き工場の内部を思い切って改装しました」と堺社長。 創業以来、「精密機械の部品や金型治具の研磨研削加工」一筋でやってきた。「 13台ある治具研削盤は、すべてアメリカの工作機械の老舗・ムーア社製。1台が6000万円から9000万円もするので、13台も研削盤を持っている町工場は他にないという。
実際に研削している現場を見せてもらった。社員ひとりひとりが、人がやらないことをやろうとするスピリッツが旺盛だという。たとえば、穴の直径10oの場合は、深さは30oまでが普通だが、イシイ精機では50oの深さのものまで手がける。 ここでは、すべて先進的な仕事を扱っている。たとえば記憶媒体のメモリーには、8インチ、5インチ、3.5インチなど新製品がどんどん開発される。大量生産をするためには金型が必要だ。その金型を作るための工作機械を担っているからだ。
工作機械は、1000分の1oという気の遠くなるような精密さが要求される。測定の正確さを保つために、全館の室温は常に21度を保っている。夜もこの温度を保つためには維持費がかかるだろうなと思うが、これも「返品率ゼロ」のためには当然のことなのだろう。
堺社長(左)は、創業者の娘と結婚。大卒後は大手コンピュータメーカーで働いていた。深夜まで及ぶ仕事で疲れ切っていたときに、先代社長に声をかけられ、それまで「絶対に働きたくない」と思っていた会社に入社。現場作業を経て42歳の若さで、2004年に社長に就任した。 社長就任後に、工場移転や職場の環境改善や若者採用などを次々に手がけた。 社長の積極経営は、「盛和塾」の仲間からの後押しもあった。「盛和塾は、京セラの名誉会長稲盛氏から経営哲学や人生哲学を学ぼうとする勉強会です。ここで出会った人から話を聞いたことが大きな決断につながったんです。今でも盛和塾には出席しています」と堺さんは語る。 結果的には、新工場に移転後、業績も大きく伸びたという。 社長の言葉のはしばしからは、社員のモチベーションをあげるために、社員を大切にしている姿勢が熱いほど伝わってきた。「会社は人を育てねばならないんです。町工場は、先輩が下の者に技術を伝授しない傾向がありますが、ウチではコミュニケーションを大事にしています。社員旅行や飲み会も、全員参加です」。 社員全員の会議も月に1回開いている。他に外部のコンサルタントから話を聞く会が月に2回。この時間は機械を止めるが、ひとりひとりが売り上げを聞いたり、自分の考えを出すことで、向く方向が同じになる。「機械を止めるデメリットは、生産性が高まることで充分メリットになります」と、堺さんは熱い。 モチベーションをあげるための工夫は他にも随所で見られる。広い休憩室(左)の椅子や机はしゃれたデザインのものが揃っていて、失礼ながら社員13人の工場には、過分の施設に思えた。でもこれこそが堺社長の理念なのだ。「社員が誇りを持てるような職場にしたい」。 事業展開についても積極的だ。山形の酒田市に第2工場を作る予定である。災害が起きてイシイ精機の仕事が滞れば、お客様の生産に大きな迷惑をかける。そういったリスクを分散するためや、人材確保のためにも工場を分散することを考えたという。 「この会社の2〜3年後を見たいなあ」という思いで後にした。 平成20年度の優良企業に選ばれたということで、第一塗装とイシイ精機の2社を同時に取り上げたが、両社には共通点がたくさんあった。小ロット多品種を扱っている。両社長とも創業者の娘婿で、一流企業勤務後に後を継いだ。従業員を非常に大事にしている。そして仕事に対して前向きだ。 2つの優良企業を訪問して、大企業にはない思いを社長みずからの口から聞くことができた。日本の産業を支えているのは中小企業だということを、あらためて強く感じた。(2009年5月訪問 HARUKO記) |
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