都筑区茅ヶ崎南1丁目の「茅ヶ崎公園 自然生態園」(左)を訪問してきた。名称からは、人里離れた施設を想像してしまうが、地下鉄「センター南」から徒歩10分、「仲町台」から徒歩15分と、区の中央部にある。 この施設は、「NPO法人茅ヶ崎公園自然生態園管理運営委員会」が、管理している。 6月だけで3回も足を運んだが、いずれも梅雨の晴れ間、万緑の草木が全身を包み込んでくれた。 事務局長の亀田さやかさんが、切り株で作ったベンチに座りながら、話してくださった。
自然生態園は、港北ニュータウンのまち作りをしていくなかで、生物相保護区の必要性を感じた横浜市が設置。このNPO法人は、横浜市の指定管理者の立場にある。 「生物相って耳慣れない言葉ですが、どんな意味ですか」と聞いてみた。「生物相は、生物の全体を言います。生態園では、生物全体の生息環境を保全していくという意思を継いで管理を行っています」と亀田さん。 生態園は茅ヶ崎公園の一部だが、柵(左)で囲ってあり、土日祝日の9時から16時(冬季は15時)以外は入園できない。 区内の都筑中央公園と鴨池公園にも、柵で囲んでいる生物相保護区あるが、オープンしているのはここだけだ。 面積は2.8ヘクタール。広いとは言えないが、ため池・湧水・雑木林・竹林・谷戸田(谷あいに作られた田)があり、開発される前のおもかげを残している。ニュータウン計画が持ち上がる前の都筑の人たちは、ほとんどの日本人がそうであったように、米を作り、畑を耕し、里山の木を切って薪や炭にし、タケノコを育てていた。 日本の原風景を凝縮しているような空間が、商業ビルや公的機関が並ぶ「センター南」から徒歩10分の所にある。区民にとってこれほど幸せなことはない。
この地で生まれ育った金子孝雄さんは「池は田の用水に使っていたんです。もっと水が澄んでいたので、僕が子どものころは、裸になって泳いだんですよ。田がずっと広がっていて、蛍も飛んでいました。ドジョウやシジミはもちろん、ウナギもとれましたよ。マムシもいましたが、昔の子どもたちは、自然と接しながら、危険を察知する力を養っていったんです」と、当時をなつかしむ。 ニュータウン計画が持ち上がったころは、日本中が列島改造でわいていた。全地域が開発されても仕方ないところ、1990年代に、近隣の茅ヶ崎小学校の先生方と横浜市が相談して生態園として活用されるようになった。狭いとはいえ保護区を作った横浜市の英断に拍手を送りたい。
オープンしているのは土日祝日だけだが、スタッフはウイークデーも常駐している。事務局長と男女のパートスタッフ5名は、園内の管理以外に、イベントの準備や情報誌を作るなど事務的な仕事もこなす。 亀田さん(左)が関わるようになったのは、2002年。生物学の専門家ではないが、小さい頃から自然が大好き。ショッピング街の人混みは疲れ切ってしまうが、自然とつきあっていると心が癒されるという。 何も手入れをせずに、そのまま放っておけば自然が保たれるような気がするが、そんな単純な話ではない。 「今までの自然を維持しながら、少し手入れをしなければならないんです。手を加えすぎてもいけない。里山の生き物で賑わっていたころの自然を取り戻したいと思っています」。亀田さんの口ぶりから、使命感が伝わってくる。 つづき交流ステーションに関わるようになってから、横浜市から委託されている女性たちにたくさん出会った。失礼ながら待遇面で恵まれているとはいえない中で、皆さん、実にいきいきと楽しそうに活動している。
訪問した日、東京海洋大学の学生が、水辺のいきものを調査していた。東京の品川にある海洋大学は、2004年に水産大学と商船大学が統合した国立大学。学生達の調査研究は、卒業論文や修士論文にまとめられる。彼らの論文は、生態園にとっても大事な資料になる。 「品川から通ってくるの大変ね。東京にはこういう場所ないの?」「ありませんねえ。あったとしても国立の博物館の場合は僕たちが入る余地はありませんから。ここで研究できるのは幸せなんです」。
最初の頃は、外来種のブル-ギル・ブラックバス・ミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)・アメリカザリガニがたくさんいた。学生たちが駆除したり、入園者の理解が得られるようになったこともあって、かなり減ってきている。今では在来種のエビが数万匹もいるという。 入り口には、左のような注意が掲示してあった。ペットショップで買ったものを池に放す行為は、とんでもないことだと今頃になって気づいた。 外来種が増えることで、在来の小魚・トンボ・カエルなどがいなくなってしまうそうだ。生態系が壊れるという話をよく聞くが、こういうことだったのだ。 生態園では自然体験のイベントをいくつか行っている。「水辺たんけん」もそのひとつ。園内や茅ヶ崎周辺を探検しながら、水辺の生きものの観察や調査をする。2009年の年間スケジュールはホームページに載っているので、興味のある方は参加してみたらどうだろう。
植物に関しては、30年前の植生環境をめざして、生態園全体の植生や萌芽更新のエリアなどを、毎週木曜日の午後に調査している。植物に詳しいスタッフの菊池光昭さんが中心になり、会員7〜8名で行っている。
萌芽更新という言葉も聞き慣れないが明確な答えが返ってきた。「あるエリアの雑木をまとめて40本ぐらい切ります。まとめて切ることで光が入り、切り株からひこばえ(萌芽)が新しく生えてきます。それを萌芽更新と言います。その生長を観察しています」。 園内に生えている植物は、300種から400種。樹木でいちばん多いのは、コナラである。里山が生活の一部だったころは、コナラを薪にしたり炭に焼いた。薪を使う生活が少なくなった今は、ベンチや杭や椎茸をとる「ほだぎ」に使う。工作教室の材料にもする。それでも余ってしまうので、「薪が欲しい人には、お分けしています」とのこと。
植物に関するイベントは「野の花ウオッチング」。春の花2回・初夏の花・夏の花・初秋の花・秋の花・紅葉と果実と7回にわたって観察会が行われている。2009年のスケジュールは、ホームページで確認を。
生態園を訪問するきっかけは、6月に田植えをするという話を聞いたからだ。それも機械ではなく、ほとんどの行程を手作業でやるという。昔ながらの田植えの様子を取材したいという思いが、訪問につながった。 2つある田のうち下の田は、近所の茅ヶ崎小と茅ヶ崎東小の5年生が、上の田は、毎年生態園が募集する親子たちが米作りを行っている。 6月13日の午前中に、茅ヶ崎小学校の生徒が「しろかき」をしていた。しろかきは、泥のかたまりをくだいて田全体をとろとろの泥にして苗を植えやすくする作業である。子ども達にとっては作業というより、泥んこ遊び。担任の先生方も全身泥だらけになって、「しろかき」ならぬ泥んこ遊びをして楽しそうだった。 1週間前にしろかきを終えた上の田の田植えは、13日の午後に行われた。応募した親子20組50人が参加。畑で20センチほどに育った苗束を持って、とろとろの田に足をとられながらも植えていた。 この苗は「まんげつもち」という品種の餅米。天皇陛下がお手植えする品種と同じだという。米作りを指導している金子さんは、「同じまんげつもちでも、ここで作ったのは飛び切り美味しいよ。農薬も使わないし、土がいいんだね」と嬉しそうだ。「今の子ども達は、お金さえあれば何でも手に入ると思っているが、米一粒を作るのにこんなに手がかかることを知って欲しい」とも話していた。
米作り体験に参加する人は、しろかきや田植えばかりでなく、草取り・畦の草刈り・かかし作り・稲刈り・脱穀・精米・薪つくりの作業にも参加しなければならない。こうして12月の収穫祭を迎える。上の田だけで、去年は36キログラムの餅米がとれた。かまどの薪で火をおこし、米をせいろで蒸す。臼と杵でぺったんこ。お餅の完成。最後に田の荒起こしをして修了。 実際の米作りは、この作業以外に、水入れ、種もみ蒔き、くろねかし(畦ぬりに使う泥をやわらくする)、畦ぬりなどもせねばならない。これらの作業は、若い頃に手作業で米作りをしていた金子孝雄さんはじめ数人でおこなう。しろかきや田植えのときも側にいて、指導していた。 生態園は、亀田さんたちスタッフはもちろん、一般のサポーターも含め、大勢の人たちの支えがあって維持できている。3回通ってこんなことを実感した。「稲刈りや収穫祭の時にもまた来たいなあ」と思いながら後にした。 (2009年6月訪問 HARUKO記) |
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