61回 PCクリニック |
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スマホやタブレットは気軽にあれこれいじりながら、だんだん覚えて自分のものにしていけるのに、何年つきあっても、毎日使っていても、「パソコンはなんだかコワい」と感じているのは私だけだろうか。 それでも問題なく動いてくれているときはいい。手に負えないトラブルは、突然やってくるのだ。それもなぜか、急いでいるとき、忙しいときにかぎって。 ところがサポートセンターの電話はなかなか通じない。購入したショップに持ち込めば、原因が詳しく説明されないまま、いくらかかるのかもわからないまま、“入院”といわれる。その期間も見えない。代替機はどうすればいいのか。そもそもパソコンの中のデータごと見知らぬ相手に渡してしまっていいものか。といってメーカーの出張修理は高額だ。 売っている店はこれだけあるのに、困ったときにすぐ対応してくれる場所はなぜこんなにもないわけ? 故障機を助手席にイライラと車を走らせていた3年前の暮れ、富士見が丘交差点近くで目に飛び込んできたのが、「PCクリニック」の看板。そう、ほしかったのは、パソコンのER、救急病院的存在なのだ。 そこでまずはPART1・2で、これまで何度か駆け込んだ経験から、PCクリニックでの修理の流れを実録を交えてレポート。次いでPART3・4で、今回初めて伺ったPCクリニックのあゆみとポリシーをご紹介する。 |
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PART1 PCクリニックでの修理 実録レポート |
癒しの受付タイム PCクリニックでの修理は、持ち込み、訪問、宅配の3種類から選べるが、せっかく地元にあるのだから、最初は持ち込みをお勧めしたい。 まず意表をつかれるのが、ガーデニングショップかと見まごうほどのグリーンの多さだ。水槽に熱帯魚が泳ぎ、低く流れるのは野鳥のさえずりのBGM。テーブルの上にはキャンディーまで。「パソコン壊れちゃった〜(泣)」のブルーな気持ちが、なんとはなしに癒されるのを感じつつ、問診票を記入する。 |
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診断と治療は徹底したインフォームド・コンセントで 次いで診察室ともいうべき空間で、パソコン整備士の資格をもつスタッフが外部・内部を細かくチェック。 うれしいのは、このとき同席して不具合の原因がどこにあるのかなどの説明を受けられること。どうせわからないし…なんて心配はご無用。初心者ユーザーでもストンと飲み込めるよう、専門用語は最低限に、噛み砕いたことばで説明してくれるからだ。 |
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たとえば「HDDのシステムファイルが損傷しているため、OSが正常に起動しない」は、「パソコンを動かす手順がハードディスクドライブに記録されているのですが、その手順のどこかが、何からかの原因で消えてしまったり、別のものに置き換えられてしまっている可能性があるため、ウィンドウズがうまく立ち上がらないんです」といった具合だ。 ここでさらに「あのぉ、ハードディスクってそもそも何でしょう」と今さら誰にも聞けなかった素朴な疑問を思い切って口にしてもOK。「プログラムやデータを保存している倉庫みたいなものです」と説明してくれるだろう。「えっ、メモリが倉庫じゃなかったんですか?」などというキホンのキの話題から、そういえばその名をよく聞くCPUにまで話が及べば、「おお、パソコンってそうだったのか」と、目からうろこが落ちる思いになるだろう。 もっとリアルに身近な発見もさせてくれる。以前、電源スイッチが動かなくなったパソコンを持ち込んだことがあるのだが、目の前でこともなげにタワーがパコンと開かれてビックリした。なにしろおそるおそるパソコンと付き合っている者にとっては、そこは禁断中の禁断、魔法の箱。ところが中はけっこう汚れていたりして、あれれれ、ホコリとかたまるんだ〜と、グッと身近な気分に。問題のスイッチは、根元が折れていただけだった。え、プログラムがどうのこうのでなく、そこ? そうこうしているうちに、“パソコン、コワい”という根強い先入観が、消えはしないにしても少しずつほどけてゆくから不思議だ。 ちなみに、この場で解決できないトラブルの場合は、入院させることになるのだが、代替機も、修理期間中、一律5000円でレンタル可能。その場で借り出せるのでとても便利だ。 |
いつもニコニコ明朗会計 料金が驚くばかりにきめ細かく設定されているのも、利用者にとっては安心材料。値段表と予算を見比べ、自分にとって最適な解決方法を選択ができるからだ。 退院 修理が済んだあとは、何が不具合でどんな作業をし、それにいくらかかったたのかという作業カルテが発行される。これはPCクリニックにも保存されるから、次からは“過去の罹患”と“治療の経緯”を知っていてくれているドクターがいるようなもの。救急病院と思って飛び込み、かかかりつけ医のようにリピートする人がほとんどのようだ。 |
PART2 技術者に聞いた 今のパソコンとの付き合い方 |
データはこまめにバックアップ これ鉄則です パソコンが壊れて初めて気づくのは、それは機械が壊れたという物理的事象であると同時に、保存していたデータが失われるという衝撃的事態だということだ。仕事のデータ、交渉ごとの履歴メール、家族の思い出の写真、形見の古いパソコン、期日が迫った書きかけの卒論、子どもの成長記録などなど。今やパソコンは即、新しいものに買い替えられるが、失ってしまった過去の記録は、当然ながらどこに行っても売っていない。かけがえのない宝は、データの方だったのだ。ところがメーカー修理の場合、基本的にデータ復旧は受け付けておらず、物理的な故障は修理してくれても、データは保障されない場合が多い。 PCクリニックは、そこのところをよくわかってくれている。復旧してくれるのは、パソコンのデータだけでなく、外付ハードディスク、CD、DVD、USBメモリ、さらにはフロッピーディスク(懐かしい!!)など多岐にわたる。記憶媒体は年を追うごとに変わっているから、バックアップもアップデートしていかなければならない。今では読み込む機器が絶滅に近いフロッピー内に保存されたデータを吸い出して、ほかの形で保存しておくこともできそうだ。 |
スタッフの赤沼潤さんは言う。 「10年前にはパソコンの寿命は10年ぐらいといわれていましたが、最近は5年と考えてください。10年前とほとんど変わらないサイズ、もしくはもっと薄く小さくなった中に、10年前の何倍もの機能が入り、無理がかかっているのですから」 さらには、ハードディスクドライブに変わる記憶装置として近年注目を集めているSSD(ソリッド・ステート・ドライブ)が今後さらに普及してくると、書き込み回数に制限があるため、寿命は3年とも。 「極端なことをいえば、これからの時代、パソコンはいつ壊れても不思議ではないという意識を持って、とにかくこまめにバックアップを取ってください」 |
データの消去 確実なのは物理的破壊です 消えてしまったデータが復旧できるということは、逆に言えばどれだけ消去したつもりでも残っているということ。廃棄するときには物理的に壊すのがいちばんだ。PCクリニックではパソコンの廃棄も840円からと低価格。希望があれば、目の前でハードディスクドライブを破壊してくれるので、これまた安心だ。4点穴あけ式ではまだ不安というほどの重大機密に関わっている人は、さらに相談を。 |
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長持ちさせるには、定期的な点検&掃除 いつ壊れてもいいようにデータは常にバックアップを、は肝に銘じた。とはいえ、できるならなるべく壊れないようにしたい。 「そのために必要なのが、清掃と点検です。いきなり壊れる例もたしかにありますが、多くの場合、ヒトの病気と同じように少しずつ悪くなる。悪くなった部分は早期に交換すれば、寿命を延ばすこともできるんです。清掃は文字通り清掃。パソコンはけっこう熱くなるから、熱に強いと思われている方がいらっしゃいますが、ハードディスクやCPUなどは、熱に弱いからこそ、冷却ファンで冷やしているのです。ところがそこにホコリがたまるとうまく冷やせなくなって、勝手に電源が切れたり、再起動したりといった熱暴走が始まります。使用環境にもよりますが、年1回程度、できれば暑くなる夏前に清掃(ダストカット クリーニング)したほうがいいんですよ」 PCクリニックでは、ダストカット クリーニングと簡易点検を無料で行うキャンペーンを実施することもあるから、HPをチェックしよう。 |
PART3 地域と共に20年
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はじまりは、レンタルビデオ店の片隅だった PCクリニックの設立は1990年。最初はハンズオンという名称のパソコン販売店だった。区役所通りの富士見が丘交差点近くの現在地での開業は1992年。今や公共施設や多くのマンションが林立する通りだが、20年前にはほとんど何もなく、これから開発されるエリアだった。 地域の古い住民なら記憶にあるかもしれないが、港北ニュータウンの未開発地区の宅地化にさきがけて、当時、コンビニのデイリーヤマザキとレンタルビデオ店のアップルビデオ店(アメリカのアップル・コンピュータとは無関係)がセットでフランチャイズ展開していた。ハンズオンが営業を始めたのは、そのアップルビデオ店の片隅を間借りした、ほんの小さなスペースだった。 →1993年の区役所通り。センター北駅周辺(横浜市都筑図書館所蔵) |
業界トップリセラーとして米国アップル社に招待される ところが創業早々、ハンズオンはアップル・コンピュータの代理店になった。当時、アップル・コンピュータ社のMacintosh(マック)の販売は、ゼロワンショップ(キヤノンマーケティングジャパン)がほぼ独占販売。なのに、♪電車もねえ、駅もねえ、自動車もそれほど走ってねえ♪、と『俺ら東京さ行ぐだ」をつい口ずさみたくなるような、開発前のそんないわゆる“僻地”の小売店が、である。なぜか。 |
「80年代中盤から90年代序盤といえば、NECのPC98(ぴーしーきゅうはち)シリーズ全盛の時代です。今でこそイケイケで強気なアップルですが、昔はアップル? 何それ? 美味しいの? って感じでした」と、創業時からのスタッフ古屋伸介さんは冗談交じりに言う。 「当時は銀座にあるような直営店のアップルストアーは、まだなかったんです。そこでアップルの代理店が営業に来たんです。20台置いていきますので売れたら請求させてくださいという委託販売でした。今では考えられませんよね」 |
「1990年以降、日本でも行われるようになったMACWORLD Expo(マックワールドエキスポ)が回を重ね、徐々にMac(マック)が国内でも認知され人気になっていく中、いち早く扱っていたうちが、関東で5本の指に入るトップリセラーになったんです。本社から招待を受け、アメリカのアップル・コンピュータに行ったこともあります。当時のアップルコンピュータ株式会社代表取締役(米国本社副社長兼務)の原田泳幸(2004年-2013年・日本マクドナルド代表取締役会長兼社長兼CEO)さんにもお会いしました」 |
アップルのトップリセラーになったその頃、ハンズオンのパソコン販売台数は、神奈川県でなんと2位。 「アップルに強いだけでなく、アメリカのAmiga(アミガ)とか、コアなファン層向けに一般には流通しないものも積極的に扱っていたというのもあるかもしれません。当時は今以上にパソコンはゲームで使われることが多かった。そうした人脈の口コミなどで、うちの名が広がったのでしょうね」 クリニック業務と並んで、現在も販売を行うPCクリニックだが、アップル製品は扱っていない。それは、アップル本社の方針変更で、販売スペースの面積やレイアウトなど厳密なガイドラインが決められたためだという。 「けれどもマックでお困りのことがあったら、遠慮なく持ち込んでください。今も技術はトップレベルです」 |
↑Amiga2000。80年代〜90年代初頭、グラフィック機能で他を圧倒し、アーティストやゲームファンに信奉され、、伝説の名機として知られる |
パソコン販売戦国時代に勝機を見出す 第一弾〜企業向け~ ところがその後、センター南やセンター北を中心に、パソコンも手広く扱う大型家電量販店が数多く誕生した。価格戦争では大型チェーンにはどうしてもかなわない。 そこで見出した新たな活路は、店の立地環境を生かした展開。研究所や本社を積極的に誘致してきた港北ニュータウンには、多くの企業がある。そこで業種ごとに特化したオーダーメイドパソコンの組み立てに舵を切った。1997年のことだ。 |
「図面用のキャドや通信生産管理用のボードなど特殊なものを組み入れて用途に特化したパソコンを組み立て、企業に販売する方向に業態を変更しました。この地域には、パナソニックさん、京セラさんなどの研究所がありますからね」と、現在店長を務める田渕久義さん。 思い切った業態変更である。だが1997年といえば、山一証券、日本生命、北海道拓殖銀行が破たんし、それまでは予想すらしなかったことが、当たり前に起こりうる時代に突入していることに、日本人の多くが衝撃を受けた年だ。そして、旧来のやりかたを誠実に踏襲するだけでなく、時代を先読みして次の一手を打たなければ生き残れないことを、実感した年でもあった。 |
パソコン販売戦国時代に勝機を見出す 第二弾〜個人客対象のクリニック~ 業務に特化したパソコンを組み立ては販売していたその頃、飛び込みでパソコンを持ち込んだ個人客がいた。なぜか年賀状が印刷できなくなったという。 「単なるメモリの不具合だったので、その場で交換。たいへん喜んでいただきました。実費のメモリ代だけでいいと申し上げたのですが、逆にそれは困ると。ピンチを救ってもらったんだから工賃を払わせてほしいとおっしゃって」 このできごとが、店の立地環境への新たな発見と、今後必要とされるサービスへの気づきになった。 神奈川県のパソコン所有率は日本有数で1人1台以上※1、インターネット普及率も日本有数※2。まして住民の平均年齢が30代、パソコンを販売する量販店にも事欠かない都筑区なら、なおのことだ。 |
↑神奈川県のパソコンの普及率は、冷蔵庫や電子レンジより高い(グラフでみるかながわ2012※1より抜粋) |
10年前には汎用機が平均20万円だったパソコンも、今は5万円前後で買えてしまう。パソコンを所有し、ネットにつなぐことのハードルはぐんと低くなったが、トラブルが起きたときに直面する難しさのハードルは、実はほとんど変わっていない。パソコンに通じた家族や知人に恵まれている人はそうは多くなく、そのためメーカーのサポートサービスの電話はいつも混んでいて、いざ必要というときにはほとんどつながらないという状態だ。 |
「うちは組み立てをやっているわけですから、技術力が高い。だったらパソコンで困ったことに、きめこまやかに対応できるのではないかということになりました」 二度目の業態変更で踏み切ったクリニック営業は、予想以上の反響を呼んだ。新規の個人客はもちろん、一般販売から法人販売中心への路線変更したときに離れていった常連客も戻ってきた。 |
「法人中心にした際に、以前は年中無休で営業していたのを、企業の休みに合わせて、土・日曜定休にしたんです。常連のお客さまから『個人客を捨てるのか!』と叱られました。けれど逆に今、クリニックとして個人顧客を中心に営業していることを知って、戻ってきてくださり、『あのままやっていたら大手家電量販店と価格勝負だもんね。絶対につぶれていたよね(笑)。あのときは残念だったけど、今にして思えば見事な決断だったよ』と言ってくださったり。ありがたいことです」 個人客以外に、社内にネットワーク管理部門などない地元の中小企業からの反響も大きかった。 「大手業者に頼むほどの予算を割けない会社さんでも、今やパソコンやネットワークを抜きに仕事を進めるのは難しいんですね。うちではフットワーク軽く、スポット的にトラブルに対応することもでき、喜んでいただております」 家電量販店が存亡をかけた激動にさらされるなか、修理部門に力を入れる大型量販店も出てきた。やはり細かな料金設定をしたうえで、修理にも値引きを実施したりと、大手ならではのスケールメリットを十分に生かした展開が見られる。さすがである。新たな戦国時代到来の予感すらする。 そんななか、ポイント還元も値引き交渉もないPCクリニックが変わらず勝ち得ているのは、相談にのってくれた“その人”が、責任をもって当たってくれるという安心感。その根底には、「街角の小さな店」だからこそ築けるワン・オン・ワンの人間関係がある。地元で20年以上も丁寧な仕事を続けてきたキャリアは、だてじゃないのだ。 ※1 グラフでみるかながわ2012 ※2 総務省 平成24年通信利用動向調査の結果(概要) |
PART4 技術を通じて安心を提供したい |
スタッフは和気あいあい 現在、スタッフは10名。カメラマン1名を除く9名全員が、内閣府認定の民間資格を持つパソコン整備士である。もともと技術者だけに、大企業が展開する電話サポートセンターのような、マニュアル化された職業ボイスを訓練されたわけではない。だから電話口の口調がそっけないなあと感じられることも、正直、ないではない。ところがフェイス・トゥー・フェイスで話すと、こちらが困っていることに、親身にあたってくれていることがわかる。最初の1回は、持ち込みをお勧めするのには、そんな理由もある。 |
レンタルビデオ店時代から勤める現店長の田淵さん、古屋さんはじめ、スタッフの息が長いのも特徴。利用する側にとっては“いつものあの人”と心強い。また、働くスタッフにとって居心地のよい職場だということも容易に察せられる。 けれどお話を聞くうちに感じられたのは、ベテランから若いスタッフまで全員が共有するCSR、会社としての志の高さだ。それは「技術を通じて、地域の人々に安心を提供したい」ということ。働くモチベーションを高く維持するうえで、“志”というものは、居心地や待遇と同等、もしくはそれ以上に大事だったりする。アルバイトで入った若いスタッフが、先輩を驚かすほどにまで短時間で成長したりもするそうだ。 |
店内ジャングルの手入れが社長のお仕事 こういう職場環境を作り上げたのが、代表取締役の平野恭一さん。やはりIT技術のエキスパートなのかと思いきや、 「いや、私はできません(笑)。逆にお客さまと同じ気持ちでいたいから、単なる技術的知識はあえて持たないようにしているんです。だから私の仕事はジャングルのような店内外のグリーンの手入れ(笑)」 スタッフが作成する作業料金表にも、利用者目線で厳しいチェックを入れる。PCクリニックが明朗会計であること、技術的な説明がわかりやすいのも、なるほどと納得だ。 「私たちが取り扱っているのはパソコンですが、提供しているのは安心だということを、常々、スタッフにも言っています。フランチャイズ化のお話をすべてお断りしているのは、クオリティを下げたくないからなんです。パソコンのデータを扱うということは、個人情報に接することでもありますから、すべての基本にモラルがなければなりません。そうしたお客さまとの信頼関係や安心感は、マニュアルで作れるものではありませんから」 (2013年8-9月 singbooboo) お断り 8月は夏休み、9月は期末で、PCクリニックの繁忙期に当たってしまったため、記事作成に当たって撮りおろしができない写真があり、お借りした画像も多く用いたことをお断りしておきます。 |
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