都筑区勝田町にある埋蔵文化財センター(左)を、2人で訪問してきた。樹が生い茂る小道の奥に、通称「埋文」が建っている。 看板にもあるように、財団法人横浜市ふるさと歴史財団に属する施設である。1992(平成4)年に横浜市が設立した財団で、歴史関係の施設を一括して管理運営する。 横浜市歴史博物館・開港資料館・ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館・三殿台考古館・八聖殿郷土資料館6施設の管理運営にあたるほか、稲荷前古墳群・市ヶ尾横穴古墳群・称名寺・上行寺東遺跡復元整備地の管理も受託している。
調査係長の橋本さん(左)が、2時間半に及ぶ取材に、熱心に対応してくださった。 「基本的なことですが、埋蔵文化財ってなんでしょうか」。「土地に埋まっている文化財のことです。江戸時代など比較的新しい時代のものも、埋まっていたものは埋蔵文化財です。それに対し、歴史的に価値がある建築物は、有形文化財と言います」と橋本さん。 「埋文」の主業務のひとつは、港北ニュータウン開発中に発掘された遺跡の遺物や記録を整理することである。 開発が終わってからだいぶ経つが、当時発掘した土器の整理がまだ終わっていない。当時は、発掘だけで精一杯で、整理や報告は後回しになっていたからだ。 公共事業の開発で失われてしまいそうな遺跡の調査も手がける。昨年は4ヵ所の現場で発掘した。 報告書をまとめる作業もある。その報告書は、図書館・学校・全国の文化財関係の施設で一般に公開されている。
横浜市全体の遺跡の数は2341(平成16年)。神奈川県全体では7700だから、横浜市が3分の1を占める。18区の中で、遺跡数と1平方キロメートルあたりの遺跡数がいちばん多いのは都筑区だ。 上は、埋文からもらった資料をもとに作成したグラフ。単位が違うので見ずらいかもしれないが、青で示した全体の遺跡数は429、紫色で示した1平方キロメートルあたりの遺跡数は15.38と、突出している。 「どうして都筑区にこんなにあるのでしょう」「住宅がまだ建ち並んでいないときに、大規模に開発されたので、遺跡を見つけやすかったんです。中区や西区は早くから開発されたこともありますが、そもそも昔は、水害を避けるため低地には住まなかったのです。都筑・青葉・港北・緑区は台地だったので住みやすかったんでしょうね」と、橋本さん。 私がこの地に越してきた1970年代は、全国的に話題になった大塚遺跡をはじめ、あちこちで発掘していた。単なる穴にしかみえないものもあったが、「これは動物の落とし穴」ですと説明してくれたことを思い出す。いたるところに土器のかけらや貝塚の貝が落ちていて、子どもが少々拾ってきても咎められない時代だった。 遺跡にはいろいろな種類があり、時代も多岐にわたっているが、区内の遺跡の80%以上は縄文時代のものである。次に多いのは、古墳時代のもの。
下は、『横浜市文化財地図』』(横浜市教育委員会発行)をもとに、「埋文」が制作した都筑区の遺跡地図である。濃いグレーが遺跡を示している。区民の大部分は、遺跡の上に住んでいると言っても過言ではない。 遺跡というと、真っ先に竪穴式住居を思い浮かべる人が多いが、住居跡ばかりではない。遺跡は、集落跡 ・貝塚 ・狩場 ・墓地・古墳・横穴墓 ・寺院跡 ・城跡 ・塚などの種類に分類される 。 429の遺跡の中で有名なものは、次の14ヵ所。上の地図では、赤い字で示してある。 【旧石器時代】 1 四枚畑遺跡(加賀原) →石器などがみつかる 【縄文時代】 2 花見山遺跡(見花山) →草創期の集落跡 3 茅ケ崎貝塚(茅ケ崎東一丁目)→ 前期の貝塚 4 大熊仲町遺跡(仲町台三丁目)→ 中期の集落跡 5 華蔵台遺跡(荏田南五丁目)→ 後期・晩期の集落跡 【弥生時代】 6 大塚遺跡(大棚西)→ 中期の環濠集落跡 7 歳勝土遺跡(大棚西)→ 中期の墓地 【古墳時代】 8 綱崎山遺跡(茅ケ崎東一丁目)→ 後期の集落跡 9 上台の山遺跡(仲町台三丁目)→ 中期の古墳 10 綱崎山横穴墓群(茅ケ崎東一丁目)→ 横穴墓15 基 【奈良平安時代】 11 薮根不動原遺跡(池辺町)→ 奈良・平安時代の集落跡 12 能見堂遺跡(加賀原二丁目)→ 火葬墓 【中世】 13 茅ケ崎城址(茅ケ崎東二丁目)→ 城跡 14 上の山遺跡(仲町台三丁目)→ 墓地 この中で見学できるのは、6と7の大塚・歳勝土遺跡(施設訪問 横浜市歴史博物館参照)と、13の茅ヶ崎城址だけである。他の遺跡については、「ここで昔の人たちが生活していたんだなあ」と想像力を膨らませてみたらどうだろうか。散策が楽しくなるに違いない。
埋文の主な仕事は、遺跡から見つかった遺物を整理して記録することである。土器を整理をしている部屋にお邪魔したところ、気が遠くなるほどたくさんの土器の破片が、発掘場所ごとに箱に入っていた。こんなにもたくさんの土器が、ニュータウン工事中に発掘されたのだ。 発掘地点などの情報を白い筆で破片に書き込む作業、破片を組み合わせてひとつの土器に仕上げる作業などは、主にパートのスタッフがになっている。 「破片を組み合わせるって難しそうですね。まるでピクチャーパズルみたい」と話しかけたら、「そうでもないんですよ。無地なら難しいですが、縄文土器の場合は模様がありますから。ぴたっと合ったときは、嬉しいですよ」という答えが返ってきた。どおりで、みなさん、実に楽しそうに作業している。
「さあ!あなたも体験に参加して古代人になりきってみよう!」のキャッチフレーズで、歴史博物館、三殿台考古館、埋蔵文化財センターの3施設は、夏休み期間中に、土偶づくり、縄文ポシェットづくり、火起こし、竪穴住居に宿泊、勾玉づくりと拓本とりなど、いろいろな体験プログラムを行っている。 そのひとつ、埋文で7月26日に行われた「楽しい勾玉づくり」を見学させてもらった。勾玉は文字通り、Cの字やコの字に曲がっている。お守りや支配者の印だったのではないかと考えられている。縄文時代前期から古墳時代の遺跡から見つかっている。 材料は青田石(せいでんせき)・紙ヤスリ・棒ヤスリ・キリ・紐。昔の勾玉の原料はヒスイ・メノウ・ガラスだが、今回は加工しやすい青田石を使っている。直方体の青田石が、ヤスリで削ったり磨いたりして、勾玉になっていく。参加者は親子14人。お父さんもお母さんも子どもみたいに真剣に取り組んでいた。夏休みの良い思い出になったことだろう。
ところで、最後に少し残念なお知らせがある。埋蔵文化財センターは今秋に栄区の野七里に移転する。横浜市内の数ヵ所に散らばっている遺物を1ヵ所にまとめるには、ここは狭すぎるからだ。 あまり知られていないが、埋文の見学は誰でもできる。博物館のようにかしこまっていないところがいい。発掘されたままの土器や修復中の土器を、目の前で見ることができる。私たちの祖先の手のぬくもりや息遣いまで伝わってくるような気がする。移転までには数ヶ月ある。この間にぜひとも訪問してみたらどうだろうか。 (2009年7月訪問 HARUKO記) |
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