都筑区川向町にある「崎陽軒横浜工場」(左)を、訪問してきた。第三京浜の港北ICから30秒という、地の利の良い場所に建っている。

レポーターは、女性4名・男性2名。久々に男性も参加して、賑やかな見学となった(右)。

崎陽軒本社は、横浜の西区高島にある。本社マーケティング部の大川さんが、2時間半に及ぶ取材に対応してくださった。

崎陽軒は、明治41(1908)年に、横浜駅(現在の桜木町駅)構内の営業許可を得たのに始まる。およそ100年の歴史を持つ会社だ。都筑区(当時は港北区)に、シウマイ製造工場(シウマイセンター)ができたのは、昭和50(1975)年。今の工場は、平成15(2003)年3月に、リニューアルされたばかりである。パートを含め、300名ほどの従業員が働いている。

シウマイ類は、崎陽軒の総売上の46%を占める主力商品だ。そのシウマイ製造を一手に引き受けているのが、この工場である。他に点心(中華まん・月餅)も作っているが、全体に占める割合は、4%。

幕末まで寂しい漁村だった横浜には、老舗の名物が、ほとんどない。その中にあって、「崎陽軒のシウマイ」は、横浜名物として知れ渡っている。横浜名物を作る工場が都筑区にあるだけでも、区民には「お宝」だ。

リニューアルした時に、見学コースが作られ、見学者を受け入れるようになった。食の安全性が求められる今、見てもらうことが安心感につながると考えたからだ。木曜・金曜・土曜の午前と午後に、見学できる。詳細は、045-472-5890まで。非常に人気があり、だいぶ先まで予約で埋まっているという。




創業時の明治41年に、横浜駅構内で販売していたものは、牛乳、サイダー、餅だけだった。

大正4(1915)年に弁当も売り始めたが、横浜には、小田原のかまぼこ、静岡のわさび漬け、浜松のウナギのような、独自の商品がない。

「崎陽軒にも、横浜名物と言える物が欲しい」。当時の社長は、真剣に考えたという。

横浜南京街(今の横浜中華街)で突き出しに出される「シューマイ」に目をつけた。しかし、このシューマイは、冷めると、食べられる代物ではない。弁当にするには、冷めても美味しくなければならないのだ。

まず、南京街の点心職人・呉遇孫をスカウト。社長みずから調理場に立つなど社員一丸となった結果、「冷めてもおいしいシウマイ」作りに成功した。昭和3(1928年)3月のことだった。それ以来80年近く、この味と製法を守り続けている。赤箱のデザインも、当時と同じものを、今も使っている。左上の写真は、工場の見学者コースに再現した駅弁売り。




シウマイの主材料は、豚肉・ホタテの貝柱・タマネギ・グリンピース。味付けは、塩・こしょう・砂糖。最後に澱粉を混ぜて、美味しさを閉じこめてしまう。材料はこの8種だけで、保存料や着色料は一切使っていない。豚肉は国産のもの、ホタテは、オホーツク海産のものを調達している。

材料の話を聞いている最中に、まるで見計らったように、蒸したてホカホカのシウマイ(左)を出してくれた。普通の大きさと特大の2種が、「ひょうちゃん」の皿に乗っていた。

「レシピを教えてください!」と、ダメモトで大川さんに頼んでみたが、「それはお答え出来ないんです」の返事だった。主力商品の作り方が秘密なのは、当然かもしれない。

おおまかな作り方は、材料を混ぜて、練り肉を作る→小麦粉でシウマイの皮を作る→成形機で練り肉を皮で包む→急速に凍結する→冷凍庫で保管→一気に蒸し上げる→冷却→ハイテクロボットで箱詰め→包装

ガラス越しの見学者コースから、一連の動きを眺めたが、ほとんどが自動化されていた(左)。ただし無人ではない。機械のトラブルもあるし、不良品をよける作業など、人間の力も必要なのだ。上から下まで白衣に身を包んだ従業員を見て、衛生に気をつかっている企業ならではの姿勢が伝わってきた。

一般的には、シウマイではなく、シューマイと書き表す。崎陽軒の場合は、点心職人の呉遇孫が、シウ↑マイと抑揚をつけて発音していたこと、ウマイの3文字が含まれていることから、シウマイとなったようだ。




ひょうちゃんの醤油差しは、崎陽軒のお宝ではないだろうか。「コレクターは、ひとつ欠けても、大金を出して買いそろえると思いますよ」と、男性のHレポーターがつぶやいた。女性のおおかたの反応は、「そんなことに、お金を使えないわねえ」。

意外なことに「ひょうちゃん」の登場は、そう古いことではない。昭和30(1955)年、漫画家・横山隆一氏によって描かれた(右)。

2代目ひょうちゃんは、昭和63(1985)年の原田治氏によるデザイン。最近、ふたたび横山隆一氏の絵柄に戻った。ひょうちゃんの表情は、パソコンの顔文字より、はるかに喜怒哀楽を表している。「カワイー!!」の言葉が、つい出てしまう。

人気者ひょうちゃんは、キーホルダーやケータイのストラップにもなっている。左は鉛筆入れ、右は記念品として特別に作った一輪挿し。




崎陽軒の工場は、見学者の受け入れで、地域に貢献しているが、更なる貢献は、「つづき博士倶楽部」に登録していることだろう。区内の小中学校で「食べ物のかがく」を講義し、シウマイ作りの実習もしている。食べ物は、科学でもあり化学でもあるという見解から、「かがく」と、平仮名にしている。

「食べ物のかがく」博士は、事業部長の君塚さんだ。「きのうも荏田小学校に行ったばかりなんです」と、なめらかな口調で、説明してくださった。子ども達の理科離れの一助になればの思いがあり、協力している。

主材料のホタテは、干すことによって、うまみが増す。豚肉は蒸すことで味が変わる。タマネギは、水にさらすことで、どんな変化をもたらすか。「単品で食べてもそっけない味が、調合することで、1+1が100にもなるんです」の説明に、小学生ならずとも、うなづいてしまった。

君塚博士の授業の様子をレポートとした記事がある。「つづき交流ステーション」の前身、「”都筑の魅力”探検隊」が、2003年にすみれが丘小学校で取材したページをご覧いただきたい。
(2005年11月訪問 HARUKO記)

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