70回 川和中学校


都筑区富士見が丘(開校時の住所は緑区川和町)にある川和中学校は、1980(昭和55)年4月開校。現在の生徒数は約820名。40数年も前の開校なのに、北部に住んでいる筆者には縁遠かった。

 
ほぼ1年前、横浜で2人の建築家を讃える展覧会があった。そのひとり槇文彦氏が、川和中学校建築にたずさわったことを知り、縁遠いどころか急に身近に感じてしまった。

公立中学校の建築に、プリッカー賞(建築界のノーベル賞とも言われる)受賞者の槇氏が、関わっていたなんて。

新建築を見るのが大好きなので、東京体育館やヒルサイドテラスで、槇氏の名前は知っていた 。

私的な話で恐縮だが、文彦氏の叔父・槇有恒氏が仙台の小学校の大先輩で、マナスル初登頂後に講演を聞いたことがある。彼の甥だと聞いたときから、勝手に親しみを感じていた。

緑道ハレバレ会のメンバーも「緑道からそのまま校門に入れるのよ。外側から見ても、コンクリート打ち放しや煉瓦などバラエティに富んでいる。内部を見学したいなあ」と口にする人が多くなった。でも学校行事すら自粛中の時に、見学は無理だろうと自己規制していた。

奇跡的に感染者が減っていた10月に、ハレバレ会とつづき交流ステーション合同の見学をお願いしたら、快諾してくださった。「分散登校やオンライン授業をしていましたが、やっと日常に戻りつつあります。今日は、1年ぶりに授業参観が出来たんです」と、岩田和也副校長先生の表情もハレバレである。


 設計者は語り継がれてこなかった


校舎見学の前に、副校長先生のご挨拶があった。

「一昨年、倉庫を整理していた時に、『新建築-1981年10月号』という雑誌を見つけました。なんと、表紙が川和中学校の校舎だったのです。赴任して間もない時ですから驚きました」

「開校から40年以上経っているとはいえ、有名な建築家の設計ということが、語り継がれてこなかったのです。だから地域のみなさんが、校舎に興味をもってくださるのは嬉しいです」

「これからは、生徒はもちろん地域の方にも素晴らしい建築を知ってもらえる機会を多くしたいと思います」


港北ニュータウンの理念にかなった学校


川和中学校は港北ニュータウン計画後の初の学校建設だった。ニュータウンの理念にかなった学校を作ろうと、横浜市(田村明氏など)と住都公団と町会(5代目中山恒三郎氏など)が力を入れたと聞いている。

港北ニュータウンの魅力のひとつは15キロメートルも続く緑道だが、この中学校は緑道のひとつ「ゆうばえのみち」からアプローチできる。

下の写真の左は緑道に接している正門。右は住宅街に面している裏門。「ゆうばえのみち」を歩いていると、樹木の間から煉瓦タイルやコンクリート打ち放し壁やお椀を伏せたような謎の物体が見える。

 
「ゆうばえのみち」に面した正門
ほとんどの生徒は車道を通らずに通っている

 
裏門と弓なりの校舎 左の高い塔は後に作られた
エレベーター バリアフリーにも考慮している
左の完成直後の航空写真は「川和中学校10周年記念誌」を借用した。模型のように見えるが、実物である。

42年前は、緑道も整備されていない。住宅地用の造成地もむきだしである。隣の川和東小学校も建っていない。高台にポツンと建つ学校は、城のようでいながら埃っぽかったのではないだろうか。

今の校舎は増築や修繕をしているので、航空写真とは少し違うが、基本的にはこの姿を保っている。

「市内の学校は老朽化で建て替えの話が出ていますが、川和中学校は建築的に価値があるので、修繕を重ねてそのまま保存されて、残されていくことを願っていますと、岩田先生。

学校探検


次は校舎見学にGO! 考えてみると自分が通った学校も子どもたちが通った学校も、隅々まで見たことがない。メンバーも学校探検にワクワク感がおさえきれない。

岩田先生は20本以上の鍵束を持ちながら、午後3時から5時まで案内してくださった。好奇心旺盛な人が多く、それぞれ興味の対象が違うのでなかなか先に進まないが、先生は嫌な顔をなさらない。普段は鍵がかかっている部屋があり、そのたびに鍵の束から1本を取り出す。

下の写真で、空間の豊かさ・デザインの斬新さ・居心地の良さ・遊び心を感じ取ってほしい。上の航空写真と比べながら見てくださると分かりやすいと思う。

緑道ハレバレ会のメンバー2人(nob、michiko)は、訪問翌日にはブログ(川和中学校の名建築にホレボレ)を書いている。学校探検の感動と楽しさが伝わってくる名文。

 
正門を入った広場  左は体育館 右は特別教室棟
しゃれた2本の円柱はデザイン? 


後に謎が解ける 左の円柱は明かりとりの役目もしている
 

 広場から階段を降り、左に曲がると玄関がある

 
玄関を象徴している「やぐら」
ガラスブロックが防風の役目をしている

 
体育館前廊下の天井はガラス窓
コンクリート打ち放しの壁との対比に目を奪われる

 
後に左の天窓のからくりが分かった
体育館わきにある斜形が天窓

 
岩田先生のお気に入りスポット
右上の四角にはガラスが入ってない

 
左写真の四角からの眺め 額縁に入った絵みたい
危険なので生徒はは入れない場所 学校探検の醍醐味
 
校舎が弓なりなので廊下も弓なりだ
「生徒の姿を見渡せないのが少し不便です」と岩田先生
 
教室と教室の間にできる隙間は
倉庫などに利用している

 
傾斜がついたガラス張りの多目的ホール
卓球台がおいてあったが絵の展示や音楽会など催しにも使われる

 
ホールの階段を上がった廊下からの眺め
四角でない部屋は「こうあるべき」の価値観から解放される
 
普通教室棟と特別教室棟を結ぶ渡り廊下
生徒たちのお気に入りの場所

 
渡り廊下から見た校舎 30度の角度がついているので弓なり

 
階段の踊り場の壁はまるで美術館

 
ここも美術館に見えるが普通に生徒が歩いている

校舎の写真は、頁の制約上このぐらいにしておく。あ!と驚く仕掛けや、○△□を使ったデザインや、無駄にも思える空間がたくさんある。そのたびにメンバーから「こんな学校で勉強したかった」「いいなあ」の羨望のため息がもれる。


 学校は出会いと語らいと憩う場


川和中学校の特色は、学校をひとつの「まち」としてとらえていることだ。
従来の学校は、勉強する教室と運動場があればいいと言われていたが、生徒が一日の半分以上を過ごす学校が閉ざされたものではなく、「まち」と同じような出会いと語らいと憩う場であって欲しいという願いが込められている。

たしかに、教室以外の「語らいの場」はたくさんある。校庭、中庭、前庭、渡り廊下、各所にある木製のベンチ、談話室。「きっとこの場所で胸キュンの出会いもあるのね」など、元中学生の私たちの想像はふくらむ。

下の写真は垣間見た生徒たち。子どもの写真は親の許可がないと掲載できないので、飛び切りの笑顔をお見せ出来ないのは残念だが、みんな可愛らしかった。ニコッとしながらの大声の挨拶も嬉しかった。

 
玄関(下足室)入ってすぐに体育館の内部が見える
バレーボールの部活中


体育館となりの談話コーナー
部活の生徒ばかりでなく誰もが憩える場所
 
   
 
中庭 煉瓦敷と芝生に分かれている
ここも集いの場


 
体育館とは別に柔道や剣道のための養心館がある
剣道の練習中
  
 
各クラスで「階段アート」を制作中 12月に展示
密を避けるために廊下で  教室では半分の生徒が自習

 
3階の教室からの景色
ベランダもついているが 今はベランダには出られない
規則

中庭で出会った3人組にインタビュー。1年生なので、小学校との違いなどハキハキと話してくれた。副校長先生が側にいるが、まったく物怖じしない。「副校長先生は優しいし、話を聞いてくれるから大好き」と目を輝かす。

「この校舎のどんな所が好き?」

「入学したときは迷路みたいで探検したくなった。『この階段を上ったらどこに出るんだろう?』と」
「職員室前の廊下が好き。椅子のベンチもあるし、いろいろな先生に会えて楽しい」
「保健室もいいな。ゆったりできるし」
「渡り廊下でのおしゃべりが楽しい。日向ぼっこもできる」
「部活で他の中学に行ったときに、川和中の素晴らしさが分かり誇らしかった」

「1年生の教室は1階だけど、私たち1年6組と7組だけは3年生と同じ3階。日当たりもいいし、景色もいいし、虫も入らないから、気に入ってる。3年生の先輩と気軽にしゃべれるのもいい」


中学校の3年間は身体ともにいちばん変化のある時だ。この明るさをいつまでも持ち続けて欲しいと心から思った。一日の半分以上を過ごす場が、オシャレで清潔で風通しがいい。キャラクターの「かわわん」も、ところどころにいる。

最後に岩田先生のつぶやきをご紹介しよう。「校内を見回るのが仕事の一つですが、変化に富んでいるので楽しいんです。直方体の校舎なら、飽きるかもしれませんが」

2回にわたっての取材を快く引き受けてくださった校長先生と副校長先生には感謝しかない。よい時間を過ごさせてもらった。

そして、この学校建築の素晴らしさを認識せずに卒業した生徒たち、お父さん・お母さんたち、地域の方にもっともっと知ってもらいたい。そのための学校探検ツアーが実施される日を楽しみにしている。

(2021年10月・11月訪問  HARUKO記)