「こんなところに ナニコレ!」

その1 その2 その3 その4 その5

9.集う人達

場所:中川駅
設置年:1993(平成5)年
由来:四国在住の彫刻家である零駒無蔵(ぜろこまむぞう)氏が創作した「集う人達」という石像である。

10.NTT中川無線中継所

場所:中川駅前
設置年
由来:「港北ニュータウン開発前からあった電電公社(-1985年に民営化)の施設」。今はドコモの中継所ですが、かつては、電電公社時代はマイクロ回線の中継や、短波の無線中継所東京タワーからの電波を中継していたようである。


11.ハウスクエアの「ブラックキャット」

場所:ハウスクエア
設置年:1998(平成10)年
由来:1998年に開催された「ハウスクエア横浜With Art1998」(彫刻家 小野寺優元氏によるアート展示企画)にて出品された作品の一部である。他の作品は全部取り払われたが、ライオンの頭部とblack cat が現在も飾られている。

12.天井のオブジェ

場所:センター南駅直結の光ビルの1階
設置年:2014(平成26)年
由来:市営地下鉄センター南駅は、ブルーライン(開通1993年)とグリーンライン(2008年開通)の両方の路線があり、都筑区役所、都筑警察署とも近く、センター北駅と共に、都筑区のタウンセンターとなっている。このセンター南駅のビルに直結して東側に光ビルがあり、 スーパー、食堂、銀行、パチンコ店など賑やかだ。1階のバスターミナル・タクシー乗り場「出口7」を通ると、バスロータリから地下鉄改札口(3階)に向かう通路に、誰もがナニコレと驚く光のオブジェに遭遇する。光の模様が動いており、見ていて飽きることがない。

13.「石柱 パワボラ」

場所:八幡山公園
設置年:1998(平成10)年
由来:縄文前期、中期、弥生時代の遺跡が1997年に発掘された。公園の頂上には、縄文をイメージしたような四本の石柱モニュメントが立っている。この石柱は公団の資料によれば「石柱パワボラ」(作者不明)という。1998年に区画整理事業として公団が作り、横浜市に移管され、現在に至る。当時は、東屋的で藤棚のようになっていて日陰を作っていたが、現在は、石柱に組まれていた木は腐食して取り除かれている。山頂には石柱が作られたのと同時期に桜の木も植えられ、現在は桜の名所にもなっており満開時には沢山の人が花見に訪れ都筑区の名所となっている。

 

14.八所谷戸(はっしょやと)の切通

場所:八所谷戸 杉山神社の北
設置年:不詳
由来:周りは鬱蒼たる竹林、なんとも古色蒼然、まるで鎌倉の切通しを彷彿せる風景が、都筑区に存在している。市街化への開発が進む中にあって、このような自然の風景を後生に残しておきたいものである。

 

15.区民ホールの石のオブジェ 「誕生」

場所:都筑区総合庁舎 1F
由来:landscape・誕生 菅原二郎作
区民ホールは、区役所や図書館、公会堂など複合機能を有する都筑区総合庁舎の中心に位置し、庁舎のシンボル的空間となっている。区民ホールを象徴するものとして、モニュメント「誕生」を設置した。柔らかみをイメージした、三つの彫刻から構成されており、見る人に安らぎと憩いの空間を提供している。

 

 16.モニュメント「碧」(みどり) 

場所:都筑区総合庁舎 正面入り口
設置年:1995(平成7)年
由来:作:蓮田修吾
設計事務所の提案で総合庁舎モニュメントを設置することになり、建築局建築部長を座長に選定委員会を設置し、メインの出入口の前面広場に、都筑区の発展をイメージするものとして設置した。

 

17.「干支の石」

場所:ふじやとのみち
設置年:港北ニュータウン整備の初期
作者:有田 武生(たけお)(1947~) 字も作者による
石は福島県三春産の青鍋石
由来: 
「ふじやとのみち」はニュータウンで最初に整備された緑道。2.5キロメートルもあり長いので、緑道利用者の道しるべとして12の干支の石を置いた。福島県三春町の自然石を使っている。
最初の「子」の石は牛久保東の「なつみかん公園」の側、最後の「亥」は 南山田3丁目の花壇の中にある。「戌」だけは石ではなく、鉄製の犬。城山歩道橋の親柱に設置された。

    
地図をクリックすると拡大されます。
 

18.川和富士線画「とんぼ」「いもり」

場所:川和富士(川和富士公園内) 横浜市都筑区冨士見ヶ丘17番14
開園: 昭和61年(1986)6月
川和富士塚再構築整備:平成25年(2013)5月
施工業者:岡三リビック株式会社 東京都港区(土木技術者集団の会社)
線画設計制作者:岡三リビック(株)関係会社の加藤正樹(普段は動物園や水族館で擬岩を製作)

由来:「いろを塗るだけではつまらない。子ども達が喜びそうな昆虫や生物を」との、横浜市担当者からの要望により、施工業者が斜面いろどり工法で周囲の環境になじんだ壁面を構築、絵画担当者により里山を彷彿させる昆虫や蛙など十数体の線画が描かれた。


平成24年~25年に掛けて川和富士塚が再構築整備された際、ぐるりと回っている登攀路の壁面に線画が描かれた。開発前のこのあたりは、畑が点在し、雑木林と雑草が生い茂る中を、小さなせせらぎが流れる自然溢れる里山で、カブトムシやトンボ、 蝉やかえる等がたくさん住んでいた。

かっては、その様な自然風景の里山がこの地にあったことを、未来の子ども達に伝えたいという、発注者である横浜市担当者の願をくんで、優れた設計により見事な線画が壁面に描かれた。しかし、残念なことに風化のため線画の幾つかは既に消滅しており、残っている線画がある内に、できれば修復保存工事を施工願いたいものである。

施工業者である岡三リビック(株)提供の、富士塚が再構築された当時の昆虫や生物の原画を、ここに掲載して、描かれた線画を後世の子ども達へ残すよすがとなれば幸いである。

上の写真は令和3年(2021)3月現在の線画。右端写真は斜面いろどり工法で構築された壁面にトンボの線画がみえる

岡三リビック(株)提供の川和富士塚再構築当時の設計原画。
上載の線画設計制作者は、岡三リビック(株)協力会社の加藤正樹(カトウマサキ)氏で、氏は、普段は動物園や水族館で擬岩と呼ばれる岩の制作に当たっている。

 
その1 その2 その3 その4 その5


「こんなところに ナニコレ!」のトップへ戻る