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都筑区に縁がある”ひと”を訪問しているこのシリーズも、50回を迎えた。50人目の登場は、プロレスラーの青木優也さん(21歳)。

「若い人も訪問して」「大日本プロレスを訪問して」という要望は前からあった。
プロレスの試合は一度も見たことがない。若い頃に力道山をテレビで見た程度。こんなに何も知らない私がレスラーにインタビューするのは、失礼だと思っていた。

でも、都筑のみなさんに企業や人物を紹介したい気持ちは持っている。ということで、大日本プロレス所属の青木さんに会ってきた。

大日本プロレスは、都筑区南端の池辺町に事務所と道場がある。ここに所属しているレスラーは20数人いる。その中で青木さんにお願いしたのは、都筑区の中川小学校、中川中学校出身という、まさに地元っ子だからだ。

道場でのイベントと試合が終わった後に、鴨居駅近くのカフェで話を聞いた。道場に近い駅は、徒歩5分のJR横浜線の鴨居駅。青木さんは、試合直後にもかかわらず、疲れもみせずに真摯に受け答えしてくださった。


 大日本プロレス設立は1994年


青木さんインタビュー前に、広報の広瀬千尋さんに、大日本プロレスについて話を聞いた。左写真のロゴBJWは、BIG JAPAN PRO-WRESTLINGの略。
広瀬さんは、広報以外に事務、物販、営業と広範囲の仕事をこなしている。
この日の午後も、J:COMに出演する予定が入っていた。


「大日本プロレスができたのはいつですか」

1994年12月に設立されました。創業者はグレート小鹿です。彼は力道山の最後の弟子と言われています。75歳ですが、今でもときどきリングに上がっています。道場にも指導にきてくれますよ」

「20年以上が過ぎたわけですね」

「20周年記念に両国の国技館で試合をして成功をおさめました。以後、毎年国技館で興行をしています」

「他にはどこで試合をしていますか」

「1995年の旗揚げ公演は横浜文化体育館でした。今も、年2回はここで試合をしています。後楽園ホールでは月に1回。横浜市内のあちこちで、商店街プロレスもやっています。”買い物するなら商店街、プロレス見るなら大日本”のキャッチフレーズもあるんですよ

「都筑では”えだきん”商店街や”ららぽーと”でやっていますね。後楽園ホールは敷居が高いと思う人も、商店街なら行きやすいです。身近にプロレスを感じる事ができる素晴らしいイベントですね」

若い女性ファンがたくさんいる 


2月24日に行われた道場でのイベントは、11時半から始まる。11時に会場に着いて驚いたのは、若い女性や小さい子どもを連れた家族連れが大勢いたことだ。「プロレスはおじさんが見る」という先入観は、完全に覆されてしまった。


ひとりで来ている若い女性に「どこから来たの?」と聞いたら「東京の足立区です。HPで日程を調べて、都合がつけば必ず試合を見ます。病気療養中にテレビで見て以来やみつきになりました。ここに来ているほとんどは、遠くから来ていますよ」と、療養していたとは思えない嬉しそうな表情だった。プロレス女子という言葉もあるらしい。

ブロマイドやグッズを売っているのは、レスラーだ。レスラーたちは差し入れをもらったり、一緒に写真を撮るなど、ファンとの交流を大事にしている。リングではお目にかかれそうにない笑顔を見せていた。

格闘技に度肝を抜かれた 


イベントが張り出してあった(左)。手作りの親近感満載。
30分ほど「叩いてかぶってジャンケンポン」のゲームをして、優勝者が決まった。ファンはレスラーの一挙手一投足に大笑い。こういうサービスがあってこそ、ファンがついてくるのだろうなと思った。

普段はレスラーが練習に励んでいる道場だけに、観客は70人も入ると一杯になる。でもここでの試合は、リングと観客の近さ、気軽に接することができるなどの利点があり、ファンには人気だ。たまたま25日にも同じようなイベントが組まれているが、地元での試合は毎月はない。東京や横浜での興行以外に、全国をまわっているから、日程が取れないのだ。

12時30分から40分ほど試合が行われた。第1試合は、青木優也と加藤拓歩。全員のレスラーが出場するわけではないので、取材の青木選手の試合を至近距離で観戦できたのは幸いだった。

両足で飛んで蹴る(ドロップキック)、相手を思い切り投げる(ジャーマンスープレックス)、相手の身体に乗る、首を絞める。ほかにもいろいろな技が繰り出された。初めて本物の格闘技を見た私は、度胆を抜かれてしまった。

「うわ!痛くないの?大怪我したらどうするんだろう?あんなに痛めつけなくなっていいのに」とヒヤヒヤしながら見ていたが、同時にスカッとしてウキウキ気分になってきた。もしモヤモヤを抱えていても、悩みは吹き飛んでしまうだろう。結果は青木選手(青いパンツ)の勝!! 試合の様子は下の写真でどうぞ。


生涯現役でいたい! 


試合直後のインタビューなので、どうしても身体を心配してしまう。「どこにも傷などないように見えますが、ケガをすることはないんですか」

「もちろん気を張ってないと、特に足首や膝がやられます。普通の人ならケガになりますが、僕たちは受け身の練習もするし、日ごろから走る、持久力をつける、継続力をつけるなどの訓練をしています。ウェイトトレーニングで筋力もつけています」

写真入りの名刺には、今見る青木さんとは別人の顔があった。「ずいぶん変わりましたね」

入った時は70キログラムでしたが、今は87キログラムです。17キログラムも筋肉が増えたんです」

「ところで、なぜプロレスの世界にはいったのですか」

中学では野球部、高校では相撲部に入っていました。とは言っても、子どもが好きなので保育系の専門学校に進もうと思っていました。でも、YouTubeで見たプロレスの動画には惹かれました。進路を決めかねていた頃、相撲部で白鵬の講演会に行ったんです。その時に、大日本プロレスの関本大介さんと岡林裕二さんに誘われました」

話はずれるが、左写真は、えだきん商店街の「えだきん節分鬼たいじ」で青鬼に扮した青木さん。交流ステーションの区民レポーターが行くで取材したばかりだ。保育の専門学校に行こうとしていたほどの子ども好きがよく分かる写真。

「何気なく受けた入門テスト(腹筋・背筋・スクワットなど体力検査と面接)で受かったのです。同期は3人いましたが、1人は4ヵ月で辞めました。合格するのは厳しいですよ」

ここに入ったのは2016年4月。デビュー戦は2017年1月でした」

「デビューして1年ちょっとですが、つらいと思ったことはありませんか。楽しいですか」

つらいと思ったことはありません。創業者のグレート小鹿さんのように、生涯現役でやりたいです。プロレスは魂と魂の闘いだと思うんです。闘魂です。勝敗だけに拘るのではなく、その過程を大事にしたいんです」

まだ21歳というのに、この思慮深さに感心してしまった。都筑の出身ということだけでなく、これからもずっと見守っていきたい。

プロレスに対する先入観が180度変わった訪問になった。無知なレポーターにもかかわらす、気持ちよく取材させてくれた大日本プロレスと青木さんに感謝したい。ひと訪問のたびに思う事だが、今の日本には、いろいろな分野に活躍の場がある。そして若者は、自分らしさを発揮している。いい世の中だなと思う。

                            (2018年2月訪問 HARUKO記)
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