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 増上寺領  星の王子  2013年7月15日(月) 10:33
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都筑郡に増上寺領があった。荏田村、東方村、茅崎村、川和村、石川村、王禅寺村、新師岡の7村。その他橘樹郡、豊島郡、荏原郡併せて10万540石。(1770年代確定)

増上寺は「三縁山広度院増上寺」が正式名称。浄土宗大本山(浄土宗の七大本山の一つ)
明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。
場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。

室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。
安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公がときの住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。

慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。

増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。

 華蔵台(けしょうだい)遺跡  星の王子  2013年7月6日(土) 7:35
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華蔵台(けしょうだい)遺跡
港北ニュータウン開発に伴って1973年(昭和48年)〜1975年(昭和50年)、1978年(昭和53年)〜1979年(昭和54年)に発掘された縄文時代後期から晩期の遺跡。

縄文時代後期〜晩期の竪穴住居跡48軒、後期の掘立柱建物跡8棟、早期の土坑(落し穴)6基、後期〜晩期の土坑(墓壙)90基、後期〜晩期の貯蔵穴14基、後期の土器捨て場3か所、古墳〜奈良時代の竪穴住居跡2軒、掘立柱建物跡3棟、溝状遺構2条が検出され、鶴見川流域の縄文時代後期中葉から晩期中葉の集落の構造と変遷が明らかになった遺跡です。
現在の住所で言うと横浜市都筑区荏田南五丁目10付近(旧緑区荏田町3,604〜3,615番地付近)になります。

事業報告(調査1係)
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/mb05/mb051/chos1.html

 華蔵台(けしょうだい)遺跡の現在地  星の王子  2013年7月7日(日) 21:40 [修正]
今日、華蔵台遺跡に行ってみました。
横浜市都筑区荏田南五丁目10付近。ここには昔から近くに住んでおられるAさん宅があり、ちょうど植木の手入れをされていたので華蔵台(けしょうだい)遺跡のことを訪ねたところ、この場所ではなく、すこし離れた横浜市都筑区荏田南五丁目15付近がその場所ですと教えられました。(小学校の頃國學院大學の人たちが遺跡の発掘をしているのを兄弟で見学に通ったとのこと昭和48年頃)

そして荏田南五丁目15あたりで草刈りをしていたAAさんに聞いたところAAさん宅が建っているところから桃畑になっている。ところだと教えていただきました。この方宅も場所は少し移っているが、450年前から続いているお家だと伺った。

事業報告(調査1係)では荏田南五丁目10付近となっているが、荏田南五丁目15付近が正しそうです。現在の表記になってからは変わっていないので荏田町○○番地から変わったときに間違えているかも?図書館にある華蔵台(けしょうだい)遺跡の発掘調査報告書も荏田南五丁目10付近になっています。

 花見山遺跡  星の王子  2013年7月6日(土) 7:11
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花見山遺跡は昭和52年(1977年)9月、横浜市の港北ニュータウンの開発に伴う遺跡調査で発掘された遺跡です。縄文草創期(約1万2千年前)の遺跡で全国屈指のものです。隆線文土器片と住居跡と思われる遺構が見つかった。

遺跡の名は、かつてここに花見山(はなみやま)という丘があったことからきています。また、すぐ隣に見花山(けんかやま)という丘があった。川和高校の東の都筑区見花山15丁目〜35丁目付近に遺跡があった。見花山(けんかやま)遺跡は現在見花山かりん公園(みはなやま)となっています。

けんかやまの由来はなんでも、そのあたりに複数の村の入会地があって所有権をめぐるトラブルが相次いだことから名付けられたのだとか。
花見山遺跡から出土した髏文土器の破片は1,420点を数え、120個体に達する大量出土であった。ほかに有舌尖頭器54点、木の葉型尖頭器33点など縄文草創期を立証する石器も数多く出土しています。出土物は横浜市歴史博物館に常設展示されています。

横浜市歴史博物館 収蔵資料・市域文化財検索
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/yhm_publicc/yhm.html
花見山遺跡縄文時代草創期出土品で検索すると写真を見ることが出来ます。

 長者原遺跡(都筑郡衙)  星の王子  2013年7月6日(土) 6:40
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8世紀頃にあった武蔵国都筑郡の郡衙跡(郡衙が機能していた時期は不明)。土地区画整理事業にともなって昭和54年~56年に発掘調査が行われた。現在荏田猿田公園と東名高速道路を含む200×200メートル範囲。この遺跡は東名高速道路の建設に伴って発見されたが、本格的調査はされていなかった。中央部分は東名高速によって破壊されてしまった。

出土品から武蔵の国、都筑郡、郡衙があったことがわかった。発掘調査後埋め戻されて荏田猿田公園(横浜市青葉区荏田西1丁目)となっている。遺跡を示す案内版だけがある。出土した遺物や遺跡の復元模型が横浜市立博物館に展示されている。隣接して大山街道(246号)が走っている。律令時代も主要な交通路として機能していたのだろう。また近くに江田城跡(鎌倉時代初期江田源三で知られる)もある。


 都筑郡衙の模型  ふくちゃん  2013年7月6日(土) 7:02  Mail [修正]
横浜歴史博物館に模型が展示されています。
現在の地形と比べて、東名高速がどこを走っているかをみると面白いです。

また最近、郡衙(ぐんが)を郡家(ぐうけ)ということが多くなってきたように感じます。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/news/news16-6-2.html

 芭蕉の句碑を訪ねて  濱ちゃん  2013年4月16日(火) 21:40
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都筑区内にある「松尾芭蕉」の句碑を訪ねて

”うき我をさひしからせよかんこ鳥”

◇出典は『嵯峨日記』
 元禄4年(1691年)4月22日、芭蕉48歳の句。
 句の意味は、「閑古鳥よ、その寂しい鳴き声で世をつらく思う孤独な私を 寂しがらせてくれ、その寂しさの中に浸りたいのだ。」

 元禄4年4月22日、京都嵯峨の去来の別荘「落柿舎」での句。「閑古鳥」 は初夏のころ山深いところで鳴く。季語は「閑古鳥」で、季は夏。閑古鳥 は郭公(かっこう)の異称。

 *句意など参考は学研全訳古語辞典 より  
 初案は「うきわれをさびしがらせよ秋の寺」。
 2年後に推敲され「秋の寺」を「かんこ鳥」とした。

◇天宗寺(句碑があるお寺)
 天文8年(1539年)、創建  浄土宗
 神奈川県横浜市都筑区川和町1694番地
 交通:市営地下鉄グリーンライン「川和町駅」徒歩約7分
 *横浜市都筑区川和町にあり、本堂に向かう階段を上りすぐ右手に芭蕉の 句碑がある。(4月現在、句碑は半分ほど植木の陰に隠れている)



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