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 港北ニュータウン物語  星の王子  2013年7月28日(日) 10:58
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書名:港北ニュータウン物語
著者:徳江 義治・山本 光雄
発行所:田園都市出版
発行年月日:2006/5/26
ページ:573頁

港北ニュータウンは昭和40年頃から横浜市による地区説明会に始まり、30有余年をかけた大事業だった。その港北ニュータウンの開発がどのように行われたか、横浜市、公団、地権者の3社によって行われた説明会、各種協議会等の記録を詳細に盛り込んで、当時地権者の代表的地位にあって、協議会等にほとんど毎回出席されていた徳江氏の資料、記憶、調停、調整、説明などを纏めている。港北ニュータウンの命名は当時港北区だった時代にこの事業が企画されたからとのこと。地権者から40%の買収が出来ないとこの港北ニュータウン計画は実行できなかった。

横浜市、公団等からの資料はいろいろ出ているが地権者側からの生の声(かなりオブラートにつつんであるが)が判る。特に開発に賛成、反対派の攻防、買収に伴う不正、地下鉄3号線の用地買収に関わる不正など、良いことずくめで終わったのではなく生々しい話が書かれている。判る人が読めば判るといったところが多い。第三者には?もあるが、この大事業の詳細が纏められている。この計画は飛鳥田市長の時に企画されていた。懐かしい感じがする。重さ3kgほどある大きな本です。

一筋縄ではいかない困難な大事業に関係した人々の貴重な資料集です。港北ニュータウンの評価は今後歴史が下すでしょうが、歴史資料として価値ある本です。徳江氏、山本氏はどちらかというと積極開発推進の視点からの記述ですが、逆に中川地区の一部、山内地区の一部などで反対されていた人々の声はどうだったのか?

 荏田のむかし  星の王子  2013年7月28日(日) 10:57
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書名:荏田のむかし
著者:荏田東第一小学校創立十周年記念事業実行委員会
発行所:荏田東第一小学校創立十周年記念事業実行委員会
発行年月日:1993/10/2
ページ:66頁

地元の渋沢谷戸、柚木谷戸、荏田宿を中心に生活篇、歴史篇と別れて纏められている。ここでちょっと面白いのは荏田宿、東から西に矢倉沢往還(大山街道)が通っているが、東から下宿、中宿、上宿となっている。江戸方面が下り。ちなみに保土ヶ谷宿の町並みを、東から西への順番に見ていくと、宿場の入り口ともいうべき帷子橋より下岩間町・帷子田町・下神戸町・帷子上町・上神戸町・上岩間町・保土ヶ谷町となっている。これは京、小田原、大山を上、あくまで江戸は下と考えられていたのか?ちょっと興味ある。渋沢谷戸、柚木谷戸については港北ニュータウン開発が始まる前の地図と神社、お寺、各家の家の位置、名前が復元されている。また荏田宿については明治のはじめの荏田宿の地図、商店、旅籠などの屋号などが復元されている。

正月の行事、節分などの諸行事などについては長老の方々にインタビューをして記録している。劔神社
の祭りのようすなど。この地区の鎮守の神様は劔神社(祭神:素戔男尊スサノオノミコト)となっている。この神社の裏を登ると鎌倉街道(一部残っている)が川和方面に通っている。知らなかった地元のことがよく分かる本でした。

旧横浜市緑区の歴史を調べていると、都筑郷土郷土史のさきがけ戸倉英太郎氏が随所に出てくる。この人の著作の孫引きも多い。また新編武蔵風土記稿(文化・文政期(1804年から1829年、化政文化の時期)に編まれた武蔵国の地誌)によるところが多い。新編武蔵風土記稿は都筑図書館にも置いてある。持ち出し禁止の本になっていますが。その後郷土史家としては相澤雅雄、溝口潔、青木兼之氏等の著書がある。

 横浜・緑区 歴史の舞台を歩く  星の王子  2013年7月28日(日) 10:57
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書名:横浜・緑区 歴史の舞台を歩く
著者:相澤 雅雄
発行所:昭和書院
発行年月日:1991/11/10
ページ:159頁
定価:1456円+税

横浜市の旧緑区(現青葉区・都筑区・緑区)の歴史をエリア(山内、都田、新治、中里、田奈)ごとに歴史散歩する。この地域は昭和40年代以降横浜市でも一番変化の多かった地域。でもかつては古い歴史をもっていた。日頃の散歩に、散策に便利な本、この地域に新たに住んだ人にとってもわかりやすいガイドブックです。

 山内のあゆみ 石川編  星の王子  2013年7月28日(日) 10:56
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書名:山内のあゆみ 石川編
著者:横溝 潔
発行所:音羽書房
発行年月日:1996/11/1
ページ:354頁
定価:3000円+税

現在では都市化が進んで当時の面影も残らなくなってしまった。青葉区あざみ野、美しが丘、荏子田、新石川、元石川等旧山内村(荏田、石川)の石川を中心に古代、中世、近世、近代の石川の歴史を地勢、地質、広さ、用途(田、畑、山林)、世帯数、人口などの基本的データ、信仰、祭りなどを事細かに地元の人たちに取材をしながら良くまとまっている。王禅寺の今昔で原子力研究所の建設秘話とか、王禅寺と北原白秋とか、荏田と石川の水争いで、荏田の人たちが早渕川に堰を作って平川などが水つきになってしまった。そこで船頭地区の人が船を造って凌いだ。そこで船頭と名付けられたとか?

興味ある話が一杯出てくる。そして急速に開発が進んで、今では地元の人は1/20位になってきている。元々農業地帯であったところが、宅地造成で宅地の供給源として発展してきたあゆみを冷静な目で見ている。興味ある人には非常に面白い。またこの地域は横浜市といいながら、江戸時代をついこの間まで残してきた地域ということが判る。昭和以降に生まれた人にとっては急激な変化に、なすすべもなくただ見ていただけ?といったところもあったのではないかと思う。いちど目を通しておくと良い本ではないかと思う。

 江と石川村  星の王子  2013年7月28日(日) 10:55
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書名:江と石川村
著者:横溝 潔
発行所:音羽書房
発行年月日:2012/6/20
ページ:57頁
定価:700円+税

増上寺と都筑郡は江戸時代寺領という関係で何となくつながりがあると言うことは知っていました(例えば心行寺の本山は芝増上寺、都筑区には増上寺を本山とする浄土宗のお寺も多い)がこの本では増上寺領の詳細な説明がされている。元々増上寺の寺領は1000石、お江が秀忠に嫁いで来たときに化粧料として3000石を拝領(川和村、石川村、王禅寺村)した。その後将軍家光はお江(崇源院)、秀忠(台徳院)が亡くなった後、御霊屋料4000石(化粧料も含む)を寄進した。その後加増されて1万540石となった。都筑郡7村、荏原郡15村、豊島村2村、橘樹郡25村総計48村を数え現在の横浜市、川崎市、大田区、目黒区、世田谷区に位置している。

都筑郡との関係でいうと二代将軍秀忠とお江、家宣、家継の位牌が満願寺にある。満願寺が増上寺の裏鬼門にあたり守護の役割があったのではないか?神奈川県は小田原藩、支藩の荻野山中藩、六浦藩しかなく、それ以外は天領、旗本、寺社領だった。江戸幕府の方針として関八州は親藩、旗本などの身内で固めるため、その中で都筑郡でも増上寺領として7村の歴史がある。身近なことと江戸時代の歴史との関わりが面白い。またよく調査されていると思う。著者は新石川在住の地域史研究家、横溝潔氏。



都筑郡との関係でいうと二代将軍秀忠とお江、家宣、家継の位牌が満願寺にある。満願寺が増上寺の裏鬼門にあたり守護の役割があったのではないか?神奈川県は小田原藩、支藩の荻野山中藩、六浦藩しかなく、それ以外は天領、旗本、寺社領だった。江戸幕府の方針として関八州は親藩、旗本などの身内で固めるため、その中で都筑郡でも増上寺領として7村の歴史がある。身近なことと江戸時代の歴史との関わりが面白い。またよく調査されていると思う。著者は新石川在住の地域史研究家、横溝潔氏。

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