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 鶴見川・境川 流域文化考  星の王子  2014年1月22日(水) 21:24
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書名:鶴見川・境川 流域文化考
著者:小寺 篤
発行所:230クラブ新聞社
発行年月日:1994
ページ:160頁
定価:1457円+税

鶴見川、境川流域の地名、文化、歴史を紹介した本です。まず地名ロウバについて牢の付く地名を鶴見川、境川周辺を探して、その成り立ちなどについて考察している。牢獄から来た説、馬飼から来た説の諸説を紹介しているが、牢屋、刑場などはかつての法規からもあって当然ということでロウバと呼ばれる場所が鶴見川、境川流域にもあったのではないかと言っている。

鶴見川流域の開拓と杉山神社を結びつけて、忌部氏の歴史、阿波、紀伊、安房との関連などを戸倉英太郎の「杉山神社考」を手本に批判も含めて自説を述べている。津田左右吉、上田正昭などは忌部氏が安房、上総、下総に影響を与えたとは考えられないという否定説。忌部氏と安房の関連を述べているのは古語拾遺の記事だけしか根拠がない。この記事を根拠にして戸倉英太郎は杉山氏系図を示しながら、杉山神社の成り立ちを説明している。津田、上田を崩すことが出来るか?
また杉山神社の祭神にしても大抵の神社は明治になってから祭神を決めた。それまでよく分からなかった。そこで五十猛命、日本武尊などにしている神社も多い。と。

太田南畝(蜀山人)が多摩川、鶴見川の流域を歩いている(1809年)その記録が「調布日記」に残されている。そのあゆみを検証している。
・雀のおやどは どこか知らねれど もちよっちょとござれ さきの相手に
・はごの子の ひとこふとこと 見わたせば よめ御にいつか ならん娘子
・全盛の 君あればこそ このさとの 花もよしはら 月も吉原
・香爐峰の雪のはたへをから紙のすだれかかげてたれかまつばや
など狂歌なども太田南畝は作っているが、幕府の役人も真面目に務めている。その一環として多摩川、鶴見川の流域の堰などの調査をしたようだ。しかし太田南畝は歴史、文化、人々の営みなどに興味を持って精力的に歩き回っている。鶴見川関連では小机村泉谷寺を訪れている。そこで「瓦礫集」恵頓和尚著を借りて書写を熱心に行っている。1809年頃の鶴見川流域のことが判る。

境川流域の開発に関わった氏族、この流域に多いサバ神社について紹介している。源頼朝、源義朝が祭神となっている神社が多い。義朝などは非業の内に亡くなったので御霊を祀るという御霊神社系(怨念を鎮める)土着の神を祀った神社が鎌倉時代、頼朝などを祀りはじめたのではないかと言っている。
渋谷氏の歴史なども詳しく書いてある。今の高座渋谷あたりに広大な渋谷庄があった。

都筑とは少し離れるところもあるが、鶴見川、境川(相模)のことが判る本です。

 港北百話 古老の話から  星の王子  2014年1月21日(火) 21:58
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書名:港北百話 古老の話から
著者:「古老を囲んで港北を語る」編集委員会
発行所:港北区役所
発行年月日:1976/3/25
ページ:319頁
定価:非売品

本書は横浜市が昭和48年より3年間にわたって老人福祉(老人の生きがい増進)のために行った「古老を囲んで港北を語る」の事業をまとめたものである。区内の8地区で、区長・社会福祉協議会長・地区連合町内会長・民生総務などとともに古老が昔話を語り合った。期日と場所は以下の通りである。

新田地区〜S48.11.29 新羽西方寺本堂 (参加者20名)
中川地区〜S48.12.04 横浜北農協中川支所研修所 (参加者21名)
日吉地区〜S49.11.20 横浜銀行日吉支店会議室 (参加者16名)
綱島地区〜S49.11.26 綱島諏訪神社社務所 (参加者19名)
大樽地区〜S49.12.04 師岡熊野神社社務所 (参加者23名)
城郷地区〜S49.12.11 小机青少年の家 (参加者14名)
篠原地区〜S50.01.30 富士塚会館 (参加者18名)
菊名地区〜S50.03.03 師岡熊野神社社務所 (参加者23名)

昭和48年当時の港北区は上記8地域他に渡っていた。現在は都筑区に編入された地域は中川地区です。古老たちが語った話を寺社にまつわる話、生活のいとなみ、地域の言い伝え、鶴見川にまつわる話、港北を知るためにの5分野に分類して紹介している。都筑区関連で茅ヶ崎八景、中川町名決定の間違い、暴れ川「鶴見川、早渕川」にまつわる話など興味を持って読んだ。役所が主導して編集したということで盛んに、はじめ、おわりでも老人福祉が声高に謳ってある。これも高度成長時代の終焉の時期(石油ショックなど)を経て福祉がキーワードの時代になった象徴かもしれない。役所老人の生き甲斐、役割を模索して時代を色濃く反映しているように思う。後世に残し、伝えていきたい内容が一杯の本です。

茅ヶ崎八景(元治、慶応年間1864〜1868年幕末)茅ヶ崎村の金子家から養子に入った岸宇作という人が名付け親となり、近江八景になぞらえて茅ヶ崎村の景色のすぐれた風物、地点を八ヵ所決め、語り継がれたもので、大正年間までは実際に風景を楽しむことが出来たとのこと。

茅ヶ崎八景(谷の中の蛍と堅田の落雁、清水の夕照、境田の暮雪、四五六峠の夜の雨、正庵の一本松、大塚の青嵐、観音の晩鐘、城山の秋の月の八ヵ所)地図と共に紹介してあるが、いま探すとなると難しい。城山とは茅ヶ崎城址のこと。四五六峠は自性院(センター南のスキップ広場辺りにあった)そこから茅ヶ崎富士に至る道のこと。場所の特定は古地図を紐解けば判りそうですが、その場所を探ることは難しそうです。まして風景はどうしょうもないようです。

昭和48年当時中川町は昔大棚町の一部で上大棚と呼ばれていた。中川村の中心が現大棚町の地域である下大棚にあったため、ここを中川町と命名するため、役所に届けた時、上大棚と間違えて受け取られた。ある説には届けた人が間違えたという。結果的に下大棚は大棚町、上大棚が中川町となってしまった。今でも茅ヶ崎地区では有名な話とのこと。

 高野山真言宗 帰命山 無量寺  星の王子  2014年1月20日(月) 18:13  HP
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高野山真言宗 帰命山 無量寺
神奈川県横浜市都筑区佐江戸町2021

(開祖、由緒など不明)

無量寺は、開山時期は明らかではないそうだが、鎌倉時代中期には無量寿福寺(尼寺)の名前で存在していたことが書物に書き残されているという、歴史あるお寺だ。
・弘長二年(一二六二)北条時廣の妻は佐江戸郷を殺生禁断の地とする(関東往還記)
・永仁七年(一二九九)佐江戸無量寿寺福の尼性観は称名寺の審海から法をさずかる
・嘉暦三年(一三二八)佐江戸無量寿福寺で聖典が書写される(聖教奥書)

このお寺の裏の舌状台地が佐江戸城址と云われています。佐江戸城は中世の頃に、後北条氏の小机衆の猿渡氏によって築城されたと伝えられています。小田原衆所領分限帳に小机衆として佐江戸、猿渡氏48貫文の名があります。小机城の支城として、宿場の支配、伝えの城としての役目を負っていたものでしょう。鶴見川・鎌倉街道の古道がとっており、それらの監視なども重要な仕事だったと思われます。
また、隣上にある杉山神社(佐江戸)は猿渡氏が勧請した神社と云われています。

交通
横浜市営バス41系統 新横浜駅発中山北口行き約40分 神社前バス停3分
横浜市営バス73系統 センター南駅中山駅行き約40分 神社前バス停3分

 高野山真言宗 医徳山 長王寺   星の王子  2014年1月19日(日) 23:19
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高野山真言宗 医徳山 長王寺
神奈川県横浜市都筑区池辺町2827

(開祖、由緒など不明)

武南十二薬師霊場第五番

以前は鶴見川沿いの池辺町川内にあったが焼失し、この地に遷座する。と言われている。境内の大銀杏は乳柱が下がり、「乳出し銀杏」(横浜市の指定天然記念物)として地元の人々から親しまれている。幹回りは5.6M、樹高25M、雌株、樹齢は約730年以上の大きな木です。都田中学校と小学校そして杉山神社、宗忠寺に囲まれたところにあるのが長王寺です。 丘の上の都田中学校から望めば境内の大木目立っている。

交通
横浜市営地下鉄「都筑ふれあいの丘」下車、徒歩27分または横浜線「鴨居駅」下車、徒歩33分
JR中山駅前停留所よりバス41系統乗車『池辺』バス停下車徒歩約5分

 浄土宗 光照山隆香院 宗忠寺   星の王子  2014年1月19日(日) 21:02
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浄土宗 光照山隆香院 宗忠寺
神奈川県横浜市都筑区池辺町2704

創建 小笠原和泉守宗忠 文禄3年(1594)
本尊 阿弥陀如来像

光照山隆香院宗忠寺。浄土宗鎮西派。本尊は阿弥陀如来像。「緑区史資料編第一巻」

由来
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起(碑)
古代より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。
私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」とも称しました。宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います、

また古くは都筑郡池ノ辺村といい、明治二十二年の市町村制施行の際に、都田村大字池ノ辺となりました。時代を経て昭和十四年に横浜市編入時に池辺町は新設されました。
宗忠寺は、元犬山城主、小笠原和泉守宗忠が、徳川幕府の命令により江戸を守る要所として陣屋を池辺村に置いたことから、また父伊予守長隆のために建立したとも伝えられています。この陣屋は、宗忠寺から西に二百メートル位離れた大陣屋、小陣屋の屋号で呼ばれる島村家、志田家に偲ばれます。
江戸時代、池辺村は門奈、仲根、北村など旗本の知行地のほか、増上寺下、宗忠寺領七石などの記録があります。

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江戸時代初期、松平忠吉(徳川家康の四男)の筆頭家老・小笠原宗忠の陣屋があった。現在、小字「大陣屋・小陣屋」と称している場所で、街道から少し離れた枝道・裏手にあたるものの、遺構は残っていない。陣屋の西150mには、明治時代まで「殿様寺」と呼ばれた宗忠寺がある。同寺は、小笠原宗忠が父の菩提を弔うために建立したという(『日本城郭大系』)。

交通
「横浜ららぽーと」から徒歩10分

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