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 伊右衛門(いえもん)の右はなぜ読まない  mikan  2019年3月25日(月) 20:51
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伊右衛門(いえもん)の右はなぜ読まない

古文書を読んでいると「右」を読まない場合が多くあります。伝説の盗賊で有名な石川五右衛門も五右衛門と書いて(ごえもん)と読みます。右は読まない。英語でいえばknowやknifeの「k」みたいな感じで読まない。日本語の漢字にも黙字(表記しても読まない字)はありますね。

ところが江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作家近松門左衛門は門左衛門(もんざえもん)と左も発音します。〇左衛門は(〇さえもん)ではなく、(〇ざえもん)と濁る場合が多いらしい。

〇右衛門は(まるうえもん)ではなく、(〇えもん)と読む場合が多い。右衛門の頭に文字が付いたときは右が発音されない。

「五右衛門」はゴエモンですが、右が語頭にある「右衛門督」はウエモンノカミと発音します
頭に文字を付けた場合「右衛門」の部分は「〜うえもん」ではなく「〜えもん」と読む場合が多い

ところで○○衛門の名前の由来
昔の人の名前の「衛門」。もともと平安時代の役所の名前で「衛門府」というのがありました。衛門府はその名の通り朝廷の門を守衛していて、「右衛門府」と「左衛門府」がありました。

衛門府を退官した人が証として自分の名前に「右衛門」や「左衛門」を入れて通称として名乗りだし、さらに子供の名前に入れるのが流行しました。その後、時代が経つにつれて先祖が「衛門府」出身であるかにかかわらず人名として使われるようになったそうです。悪名高い大盗賊の石川五右衛門ももとをたどると由緒正しい名前だったわけです。

もともと右衛門の「衛」は「え」じゃなくて「ゑ」だったワ行の「ゑ(we)」で「うぇ」と発音していた。

古文書は残っていても読みはなかなか残っていないので、江戸時代などの読みなどは古典落語などが参考になるそうです。

 都筑と都築  minan  2019年3月16日(土) 17:13
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都筑区のつづきというのは現在では都筑としていますが、江戸時代の古文書で都筑と都築の2つが使われていたようです。荏田宿柏屋(旅館)青木家文書に残る。荏田村の百姓が失踪したときに増上寺宛に出した文書に「都筑」と「都築」がありました。時期は寛政10年。そのほかにもあると思いますが、自分の目で見たのはこれが初めてです。

 近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)  星の王子  2019年3月16日(土) 16:35
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近邉村巡の釈文をUPしておきます。これは寺子屋の教科書です。今でいうと小学生が学んだ内容です。鶴見を中心にその近辺の地理が詳しく読み込まれています。この文章の流れは今の時代にはなくなったものかもしれません。内容を頭に入れるにはやっぱりリズムが良いと覚えやすい。ですね。

近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)1
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20190112163740
近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)2
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20190316161326

 五人組帳の研究  星の王子  2019年2月8日(金) 19:04
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五人組帳の研究
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060576

五人組とは五戸を一組とした庶民の隣り近所の組織です。その役割は、相互検察や連帯責任などにあります。
五人組帳(ごにんぐみちょう)とは、五人組が遵守すべき法令として前書(まえがき)に列記し、組員に連判して制約させた帳簿です。その内容は、幕府の御触書(おふれがき)の要約を集成した、治安、年貢収納、勧農、田畑売買等に関するものが多いです。

武蔵国は相給地が多いので1村の中でも五人組の支配者が違ったりして結構複雑な規則などや要望なども多かった。この本に都筑区の勝田村、山田村の五人組帳前書きなどを例に上げている。江戸時代後期の様子が見えてくる。昭和18年の発行です。五人組は町内会、自治会のルーツだと思います。戦争中の隣組よりは自主的な組織で領主、支配者にいろいろ要望、お願いなどしながら村を改革している例が多く見られます。

相給とは一村が二人以上の旗本や大名家臣によって知行されること,またはその知行地をいう。
このあたりは芝の増上寺領、旗本領が混在しています。

 近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)  mikan  2019年1月12日(土) 16:58
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近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)1
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20190112163740
近邉村巡(鶴見のある寺子屋独自の教科書)2
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20190316161326

江戸時代村の寺子屋では往来という教科書で教えていた。往来物というのは教科書のこと。横浜でも今の鶴見区に残る近邉村巡(きんぺんむらめぐり)という教科書がある。これは地理、歴史の教科書か?鶴見区の道筋、名所旧跡を綴ってあり、リズムが凄くいい。そんな読み物で子どもたちは地元の地図、地理などを耳から知識として入れていったのでしょう。全部で11ページがありますが、最初の3ページ位まで釈文をかいて見ました。そのうち全てを書いてみたいと思います。

道念稲荷神社、本牧十二天、馬場稲荷、駒岡の熊野宮、勧(神)大寺、片倉、菊名など今でもおなじみの名前が見られます。

寺子屋の学習と往来物
http://princeyokoham.sakura.ne.jp/smf/index.php?topic=28476.0

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