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 杉山神社(佐江戸)  星の王子  2014年1月19日(日) 19:07
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杉山神社(佐江戸)
神奈川県都筑区佐江戸町2020

祭神
五十猛命

由来
社の背後は高くして佐江戸城の東北に接しているので、この社は城主猿渡氏が城の鎮護の為に勧請したものであろうと考えられる。

武蔵風土記云
「杉山社除地一段許り村の中央中原道にあり上屋一間四尺に二間神体は束帯の像にて長さ一尺許彫刻もいとしつほくにして甚古物のさまに見ゆ勧請の年代は伝えされと東漸寺に持伝ふる慶長十八年再興の棟札ありその其内に代官小泉久弥小代官石川次郎左衛門なと云ものの名をしるし別当東漸寺とあれは古き社地なること知へし」

社の境内に、先達福田弥兵衛等が建てた参明開山の碑があるも塚はない。また御嶽山柱大神の碑がある。
(杉山神社考 戸倉英太郎著より)

交通
横浜市営バス41系統 新横浜駅発中山北口行き約40分 神社前バス停3分
横浜市営バス73系統 センター南駅中山駅行き約40分 神社前バス停3分


 都筑の歴史散歩(佐江戸・池辺・東方)  星の王子  2014年1月17日(金) 17:55  HP
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都筑の歴史散歩(佐江戸・池辺・東方) - 都筑の風景
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/Landscape/thumbnails.php?album=39

今日は天気が良く、風もなく暖かい日差しに誘われて、都筑区の南部を散策して来ました。まず佐江戸から、杉山神社(佐江戸)、無量寺(真言宗)、法因寺(日蓮正宗)、東漸寺(真言宗)、山王社、福聚院(真言宗)、杉山神社(池辺)、宗忠寺(浄土宗)、長王寺(真言宗)、観音寺(真言宗)、阿弥陀寺(阿弥陀堂)、八所神社、八所谷戸公園、念仏寺(浄土宗)、東方公園、自性院(真言宗豊山派)、ささぶねの道、法道寺(曹洞宗)、柚木の丘まで。

都筑の歴史散歩(佐江戸・池辺・東方) on PhotoPeach - Fresh slideshows to go!
http://photopeach.com/album/thpvs5

 川崎・たちばなの古代史 寺院・郡衙・古墳から探る  星の王子  2014年1月17日(金) 0:40
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書名:川崎・たちばなの古代史 寺院・郡衙・古墳から探る
著者:村田 文夫
発行所:有隣堂
発行年月日:2010/2/20
ページ:213頁
定価:1000円+税

下末吉台地に広がる多摩川下流流域の川崎市高津区千年の伊勢山台に、1996(平成8)年、宅地造成に伴う発掘調査が行われた。その調査の結果、7棟の総柱式掘立柱建物跡が発見され、橘樹郡衙(たちばなぐんが)の推定地としてその存在が広く知られるようになった。その発掘調査に関わった著者の本です。
八世紀初め、律令国家の成立(大宝律令など)に伴い、現在の川崎市一帯は武蔵国橘樹郡に編成された。橘樹郡の郡衙の所在地は、今まで何処にあったか不明でした。今回の発掘調査で千年伊勢山台の遺跡が郡衙であると確認されました。正倉院(高床作りの稲、麻等などを保管する倉庫)の跡が見つかった。
大和朝廷の支配が及んできた時期、古代多摩川下流域の歴史について述べています。各地の郡衙の特徴としてその近くに寺院、神社がある。その郡寺として影向寺(ようごうじ)遺跡の歴史、当時政治経済の中心域とされた高津区千年周辺の子母口、千年、新作、梶ヶ谷、宮前区野川、馬絹などの遺跡、歴史などを混ぜながら古代の川崎の姿を描いています。

橘樹郡衙跡及び影向寺遺跡の国史跡指定の取組みスタート | 宮前区観光協会
http://www.miyamae-kankou.net/historyculture-category/2013-10tachibanagunga/


 佐江戸誌   星の王子  2014年1月16日(木) 13:47
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書名:佐江戸誌 
著者:佐江戸誌編集刊行委員会
発行所:横浜市緑区佐江戸町内会
発行年月日:1984/3/31
ページ:246頁
定価:非売品

この本は佐江戸町内会が昭和56年に刊行した地元佐江戸の歴史を調査研究した本です。旧都筑郡の中では比較的平坦な土地が多く田も豊かだった地域ですが、鶴見川の氾濫で洪水の被害は毎年のようにあって、その洪水のお陰で土地が肥えるという地域で、川和、池辺、佐江戸、青砥(鶴見川の堰)などが隣近所づきあいのあった地域で、小学校なども都田小学校を共同で建設した。一時小学校があったが、今でも佐江戸には小学校はない。また中学校も。何故だろう!

明治に横浜線は開通していたが、この地域からは中山駅、小机駅は遠かった。鴨居駅の完成は昭和37年、その後松下通信工業の進出、田畑が工場地帯に変わって農家が激減したのも早かった。大正・昭和の生活の細々したことが古老の話として書いてある。なかなか面白い。こういう地域の歴史本というのは専門家が書く訳ではないので、アカデミックなところは少ないが、その地に生きてきた人々の情熱、その地に対する愛着などが滲み出てきて興味深く読める。

港北ニュータウンの開発が発表されてから、この地域の人々がどのようにこの開発を受け入れ賛成、協力していったかなど旨く纏められていると思う。加賀原などは佐江戸の内だった。

 私説杉山神社考 都筑の歴史を語る   星の王子  2014年1月16日(木) 13:46
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書名:私説杉山神社考 都筑の歴史を語る 
著者:飯田 俊郎
発行所:不二出版企画
発行年月日:2009/8/12
ページ:243頁
定価:880円税込み

港北ニュータウンの開発によって、この地域の遺跡の全貌が見えてきた。そんな考古学的資料も駆使して、「杉山神社考」戸倉英太郎著を見直し、著者独自の視点で杉山神社の歴史を鳥瞰した本です。鶴見川流域、特に早渕川流域に点々と残る杉山神社の謎に迫っています。杉山神社の神は誰か?式内社は何処か?日本武尊は何故相模原から旧都筑郡を通らず、走水(横須賀)から上総の国渡ったのか?杉山神社を祀った一族の支配する地域が旧都筑にあった。今の東海道側(加P古墳・川崎市)などは屯倉が置かれ大和の支配が進んでいた。ところが旧都筑地区は屯倉が置かれていない地域で別の勢力があった。

その勢力を考えるとき、縄文晩期の華蔵台(けしょうだい)遺跡(荏田南)、古墳時代の矢崎山遺跡(荏田東)などの存在が見えてくる。また茅ヶ崎杉山神社の忌部氏の系図の存在などが参考になると。
阿波の忌部氏が紀州から麻を求めて上総に海からやって来た。その後船で鶴見川流域にやって来た。その地が早渕川流域だったのではないか?そして麻をもとめて麻生(川崎市)まで一族の勢力圏になったのではと。
著者は式内社を茅ヶ崎杉山神社と比定しています。それも考古学的資料なども駆使して、茅ヶ崎杉山神社の忌部氏の系図はその時代のことを語っている。茅ヶ崎杉山神社は忌部氏の系図とともに天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命・天日鷲命の孫・忌部氏の祖)の三柱を祀ったとあり、その後忌部氏が衰微して杉山神社も荒れてしまった。

その後鎌倉時代後期佐江戸の猿渡氏がいずれかの杉山神社から勧請して佐江戸杉山神社を創建した。その後西八朔杉山神社なども江戸時代朱印状を幕府から給わっているが、その時代の領主の実力を繁栄している。大棚杉山神社も江戸時代にここが本詞という石碑を建てている。そして神は誰かということになると時代と共に神が変わってきた。それはそこの支配者の力により五十猛命、日本武尊などになってきた。明治の廃仏毀釈で社殿の位置も神も判らなくなってしまったところが多くなってしまった。そして明治40年頃の神社の合祀によって今の神社に再現された事により過去の記憶が失われてしまった。

「杉山神社考」戸倉英太郎著にも匹敵する書で、杉山神社、都筑の歴史を考える上では非常に貴重な一冊です。

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