HOMEつづき歴史散歩道投稿検索

 日本全国の国分寺跡48ヵ所マップ  星の王子  2016年3月20日(日) 21:10
[修正]
日本全国の国分寺跡48ヵ所マップ
http://pasopia.velvet.jp/nota2/nota/?20160308234418
奈良時代、741年聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔を発する。その後752年大仏開眼供養。全国に国分寺国分尼寺が建立された。その跡48ヵ所のマップです。武蔵国には府中市、相模国は海老名市にありました。

 「日本に多い神社仏閣名」トップ500   星の王子  2016年3月20日(日) 20:49
[修正]
「日本に多い神社仏閣名」トップ500
http://toyokeizai.net/articles/-/110031

宗教法人として登録されている神社仏閣名の1位は「八幡神社」4809社、2位は「稲荷神社」2652社、3位は「熊野神社」2132社、4位は「神明社」1931社、5位「諏訪神社」1890社、ちなみに鶴見川流域にしかない「杉山神社」は 455位で38社となっている。青葉区にもある「驚神社」95位(76社)
お寺では16位「観音寺」759寺、19位「光明寺」591寺、21位「西光寺」583寺、32位「西福寺」357寺、34位「東光寺」323寺となっている。
都筑国もある「正覚寺」は56位(217寺)、「慈眼寺」は63位(190寺)、「無量寺」106位(123寺)、「観音寺」102位(80寺)

 池辺(いこのべ)町はどんなところ  星の王子  2015年11月2日(月) 20:11
[修正]
池辺(いこのべ)町はどんなところ
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/tks/nota/tsuzuki/?20151102183142

最近マンション傾斜問題で一躍有名になってしまった池辺町、どんなところでしょう。歴史視点、地形的視点、地理的視点からちょっと考えてみました。最近のICTの発展で比較的簡単に調べることができます。土地、家、マンションを買うときは事前にネットで調べて見ることも必要だと思います。問題の起きているマンションは元々は海の中、古池、それを埋めて、その後湿田、その後工業地帯だったところ、3階建て以上の建物は建っていなかった場所でした。有史以来人は住んだいなかった場所だったようです。土地の造成技術は上がっていますが、実際の作業は人間がやっています。これが問題?ですね。

1.歴史の視点

・「新編武蔵風土記稿都筑郡池辺村」1800年頃(国立国会図書館デジタルコレクションより)
 村内宗忠寺の前に古池ありしより名付しと土人の口碑に伝へり今は其蹟水田となれり
・今昔マップ
 1896年〜1909年、1965年〜1968年、1975年〜1978年、1998年〜2005年、地理院地図を比べてみる
 1965年までは水田、1975年日本電気、松下通信工業、大日本印刷、緑産業道路、第三京浜(1966年頃)などが出てきます。
 緑産業道路が出来て工業団地、工場が建設され始めるのが1966年。ちなみに日本電気が3階建て、2005年12月NEC横浜事業場閉鎖、2007年4月ららぽーと横浜(3階建て)オープン。

2.地理的な視点

・Flood Maps
 Flood Mapsで40m〜50mの水位で眺めてみると縄文海進(縄文時代前期の約6,000年前)の頃の地形が見えてくる。池辺町は海の中だったことが判る。Flood Mapsで水位を変えて水が浸かるの高さに調整すると20m辺りになるので、海抜20メートル程度ということがわかる。

・今昔マップ
 1896年〜現在までを鶴見川の流れに注目しながら眺めてみると、水路の変化が判る。

3.その他
参考資料としては「御大典記念都田村誌」「都筑の民俗 横浜市港北ニュータウン郷土誌」「鶴見川・境川 流域文化考」「港北百話 古老の話」などがあります。

由来
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起(碑)
古代より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。
私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」とも称しました。宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います

Flood Mapsはなかなか便利なツールです。毎年各地で水害がありますが、この地図で水位を調整してみるとやっぱり低地のところが大半です。


 参考資料  星の王子  2015年11月2日(月) 20:14 [修正]
近代デジタルライブラリー(平成28年5月終了→デジタルコレクションに統合)
http://kindai.ndl.go.jp/

 国立国会図書館デジタルコレクション  星の王子  2015年11月2日(月) 20:14 [修正]
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/

 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト  星の王子  2015年11月2日(月) 20:15 [修正]
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト
http://ktgis.net/kjmapw/
Flood Maps
http://flood.firetree.net/

 渋沢社史データベース  星の王子  2015年11月2日(月) 22:08 [修正]
渋沢社史データベース
http://shashi.shibusawa.or.jp/index.php

   ハラ  2016年2月13日(土) 13:56 [修正]
池辺町は、明治の初めで戸数156軒ほど。鶴見川の氾濫源の平らなところは全て水田でした。1960年代初めぐらいから埋立てが盛んになり、第三京浜・港北IC開設前後から松下、NEC、ヤマザキパンなどの工場が進出。水田は倉庫物件になったりでしたが、地元の人は家は建てませんでした。昔ながらに谷戸を中心にへばりついていた印象です。歴史的には奈良時代には牧と一部の宗教施設(都田西小)があったようで、鎌倉時代に新田開発が行なわれたようです。足利時代は記録がほとんどなく、後北条の小机衆の座間氏が土着していました。江戸時代に入ると陣屋を置き小笠原宗忠(元犬山城、忍城の城主)が左遷されて派遣されています。50年ほど前迄は、いわゆる農村地帯でした ^^

 「ケ」の区名、地名表記について  星の王子  2016年2月10日(水) 19:17
[修正]
「ケ」の区名、地名表記について

2009年保土ケ谷区の区名表記問題でもめたらしい。保土ヶ谷か保土ケ谷か、大きい「ケ」、小さい「ケ」、半角の「ケ」と何れが正しい?

結論としておおきな「ケ」で統一することになった。区名等は「常用漢字」を使うことになっている。
(常用漢字に基づくという原理原則)しかし小さい「ケ」、半角の「ケ」は正確な漢字ではない。そこで保土ケ谷区では大きい「ケ」を使うことを決めた。そして区名だけでなく町名なども同様にする。また横浜市内の各区にも統一を促すことになった。そして「区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例」に名称、地域を公開している。

これを根拠に茅ヶ崎→茅ケ崎(都筑区)になっているようです。上記条例は区の設置、事務所の位置、名称、所管となっているので民間などが小さな「ケ」を禁じている訳ではなさそうです。但し大きな「ケ」を推奨しているのでは。

混乱、ふたたび? | 保土ケ谷区 | タウンニュース
http://www.townnews.co.jp/0115/2014/07/03/242329.html
区名表記 大きい“ケ”で統一へ
http://blogs.yahoo.co.jp/gikai_kiji/18446983.html
横浜市 総務局 例規集インターネット版
http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/reiki/honbun/ag20200021.html
横浜市の「区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例
(条例第1号、昭和34年3月14日制定)」

横浜市 保土ケ谷区 「保土ケ谷区」の「ケ」は大きな「ケ」です!
http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/gaiyou/ke.html

 港北ニュータウンまちづくり資料  星の王子  2015年8月7日(金) 23:07  HP
[修正]
港北ニュータウン記念協会「港北ニュータウンまちづくり資料」
http://kn-kk.com/kohokuarchives/kohokuarchives.htm

港北ニュータウンのまちづくりについて判りやすい資料として下記のような著書、動画などを見ることが出来ます。

1.著書
横浜市港北ニュータウン郷土誌 都筑の民俗
(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会、1989.5)

港北ニュータウン 理想郷がすぐそこに
〜緑豊かな街づくりに30年〜
(金子保、1998.6)

港北ニュータウンと共に33年 私の覚書
(金子三千男、2001.6)

港北ニュータウン物語
(徳江義治・山本光雄、2006.3)

望郷 (記念協会編)
(男全冨雄、2010.4)

写真集 港北ニュータウン 〜むかし・いま・そして未来へ…〜
(財団法人港北ニュータウン生活対策協会、2002.3)

写真で見る−つづきの景観50−
(NPO法人港北ニュータウン記念協会、2008.3)

2.動画
港北ニュータウン計画
未来都市への挑戦
港北ニュータウン計画の3つの基本理念と4つの基本方針及び市民参加のまちづくりについて説明しています。 (23分56秒)

故郷の生まれ変る時
(港北ニュータウン 第1部)
横浜市の港北ニュータウン基本計画及び公団の土地区画整理事業計画案の発表から土地区画整理審議会の設置までを説明しています。(25分10秒)

故郷の生まれ変る時
〜 土地区画整理事業の歩み〜
(港北ニュータウン 第2部)
換地設計から仮換地指定そして造成工事、移転と事業の推移を説明しています。(30分20秒)

明日の都市をひらく
(港北ニュータウン 第3部)
昭和58年(1983)から62年(1987)頃までの港北ニュータウン区域内の様々なまちづくりの推進状況について説明しています。 (21分01秒)

複合・多機能都市をめざす港北ニュータウン
−中川地区の街づくり−
(港北ニュータウン 第4部)
昭和61年(1986)ベッドタウンから複合多機能都市への方針転換をした港北ニュータウンのまちづくりを中川地区を例に説明している。 (24分33秒)

21世紀の明日をひらく
(港北ニュータウン 第5部)
多機能複合都市を目指したまちづくり推進の状況(1997(平成9)年 土地区画整理事業終了まで)を説明しています。 (25分52秒)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26
過去ログ全 180件 [管理]
CGI-design