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 江と石川村  星の王子  2013年7月28日(日) 10:55
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書名:江と石川村
著者:横溝 潔
発行所:音羽書房
発行年月日:2012/6/20
ページ:57頁
定価:700円+税

増上寺と都筑郡は江戸時代寺領という関係で何となくつながりがあると言うことは知っていました(例えば心行寺の本山は芝増上寺、都筑区には増上寺を本山とする浄土宗のお寺も多い)がこの本では増上寺領の詳細な説明がされている。元々増上寺の寺領は1000石、お江が秀忠に嫁いで来たときに化粧料として3000石を拝領(川和村、石川村、王禅寺村)した。その後将軍家光はお江(崇源院)、秀忠(台徳院)が亡くなった後、御霊屋料4000石(化粧料も含む)を寄進した。その後加増されて1万540石となった。都筑郡7村、荏原郡15村、豊島村2村、橘樹郡25村総計48村を数え現在の横浜市、川崎市、大田区、目黒区、世田谷区に位置している。

都筑郡との関係でいうと二代将軍秀忠とお江、家宣、家継の位牌が満願寺にある。満願寺が増上寺の裏鬼門にあたり守護の役割があったのではないか?神奈川県は小田原藩、支藩の荻野山中藩、六浦藩しかなく、それ以外は天領、旗本、寺社領だった。江戸幕府の方針として関八州は親藩、旗本などの身内で固めるため、その中で都筑郡でも増上寺領として7村の歴史がある。身近なことと江戸時代の歴史との関わりが面白い。またよく調査されていると思う。著者は新石川在住の地域史研究家、横溝潔氏。



都筑郡との関係でいうと二代将軍秀忠とお江、家宣、家継の位牌が満願寺にある。満願寺が増上寺の裏鬼門にあたり守護の役割があったのではないか?神奈川県は小田原藩、支藩の荻野山中藩、六浦藩しかなく、それ以外は天領、旗本、寺社領だった。江戸幕府の方針として関八州は親藩、旗本などの身内で固めるため、その中で都筑郡でも増上寺領として7村の歴史がある。身近なことと江戸時代の歴史との関わりが面白い。またよく調査されていると思う。著者は新石川在住の地域史研究家、横溝潔氏。

 都筑の歴史散歩(元石川)  星の王子  2013年7月26日(金) 17:12  HP
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都筑の歴史散歩(元石川) - 都筑の風景
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/Landscape/thumbnails.php?album=26

都筑郡との関係でいうと増上寺領が荏田村、石川村、川和村、王禅寺村にあった。二代将軍秀忠とお江、家宣、家継の位牌が満願寺にある。満願寺が増上寺の裏鬼門にあたり守護の役割があったと言われている。満願寺、驚神社、真福寺を散策してみました。

都筑の歴史散歩(元石川) on PhotoPeach - Fresh slideshows to go!
http://photopeach.com/album/14tw5g5
tsuzuki3 on PhotoPeach - Fresh slideshows to go!
http://photopeach.com/user/tsuzuki3


 都筑の歴史散歩(南部)  星の王子  2013年7月26日(金) 17:10  HP
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都筑の歴史散歩(南部) - 都筑の風景
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/Landscape/thumbnails.php?album=25

都筑区周辺の遺跡、お寺などを散策してみました。
荏田猿田公園(長者原遺跡(都筑郡衙))・荏田富士塚公園・朝光寺(朝光寺遺跡)・東福寺・北八朔公園・世尊院・宗泉寺・十二神社・妙蓮寺・慈恩寺・月出松公園・川和富士公園・見花山かりん公園(花見山遺跡)・鴨池公園・けやきヶ丘など
縄文時代、弥生時代中世の遺跡は公園として一部残っているところがありますが、当時とは全く違った地勢になっています。

都筑の歴史散歩(南部) on PhotoPeach - Fresh slideshows to go!
http://photopeach.com/album/xbilf7

 東日本最古級の民家 関家住宅  星の王子  2013年7月16日(火) 13:52
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関家住宅の解体修理前に行われた座談会「関家住宅」が纏められています。

有鄰 No.435 P2 座談会「関家住宅」(1) - 隔月刊情報紙「有鄰」
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_435/435_2.html

対談者は下記の人たちです。
関家22代当主   関 恒三郎
横浜国立大学名誉教授・日本大学工学部客員教授   関口 欣也
神奈川大学工学部教授・文化庁文化審議会委員   西 和夫
相模原市史編纂特別顧問   神崎 彰利
財団法人文化財建造物保存技術協会工事主任   井上 裕司

 増上寺領  星の王子  2013年7月15日(月) 10:33
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都筑郡に増上寺領があった。荏田村、東方村、茅崎村、川和村、石川村、王禅寺村、新師岡の7村。その他橘樹郡、豊島郡、荏原郡併せて10万540石。(1770年代確定)

増上寺は「三縁山広度院増上寺」が正式名称。浄土宗大本山(浄土宗の七大本山の一つ)
明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。
場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。

室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。
安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公がときの住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。

慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。

増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。

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